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9月5日(火) 旧暦7月21日
黄花コスモス。 秋である。 五島高資著『平畑靜塔の百句』が出来上がってくる。 平畑靜塔の作品にふれる機会があまりないままに来てしまったので、本著をとおしてあらためて平畑靜塔の作品に向き合うつもりで私も本作りにのぞんだのだった。 著者の五島高資さんは、靜塔とおなじく医業にたずさわる俳人である。それゆえにこその医師として生をまっとうした平畑靜塔のありように深い理解をしめしつつ、「平畑靜塔の百句」に取り組んでくださった。 いくつか、句と鑑賞を紹介したい。 武器を地に累か さね木犀かぐはしき 「現代俳句」昭和21年 前書に「上海集中営」とある。昭和十九年に応召、中国南京市陸軍病院に軍医として勤務。やがて昭和二十年の終戦を迎える。そこで無用となった銃器などを地面にうち捨てたのであろう。その積み上げられた武器の嵩はもちろん、少時とはいえ戦争に加担せざるを得なかった運命に対する複雑な思いが、「重ね」ではなく「累ね」と書かせたのだろう。死屍累々の記憶もよみがえる。もちろん、将来の不安はあれども、折しも木犀の芳しい香りが漂っている。本来の医師として、また俳人として次の時代を担う静塔をひそかに予祝するかのように。 我を遂に癩の踊の輪に投ず 『月下の俘虜』昭和22年 岡山のハンセン病患者隔離施設を大阪女子医専の学生達と訪れた際の作。折しも患者らによる盆踊が催されていた。当時、癩菌の感染力は低いことは知られていたが、治療法が充分に確立されていなかった。ゆえに患者と接近することは躊躇われたはずだが、学生に促されて静塔はその踊の輪に加わった。それはまさに我をして我を捨て去る「忘我」の境地だったのではないか。盆踊における音楽性と体感性、そして何よりもその回転運動が二項対立的な観念を超えて真の人間性を発露させるのかもしれない。以後、それは静塔俳句の核心的な詩境となる。 海の中鯖青くして雪止みぬ 『栃木集』昭和44年 静塔夫妻は、正月旅行のため柏崎に旅したが、大晦日から夜来の大雪。三日には、糸魚川で句会に参加する約束のため、二日中に、数キロの雪道を歩いて南下し、やっとタクシーを拾い、直江津を経て糸魚川に到着。苦難の末に見た、雪晴れの空とエメラルドグリーンの日本海の美しさに静塔は心打たれる。その景は鯖をよく食べさせられたという故郷の思い出と相俟って海中の鯖が洞見される。海(わた)は腸(わた)に通じるが、かつて故郷を追われた静塔にとって、青く渦巻く鯖の群れは、何か雪辱が果たされたような清しい体感として立ち現れたのかもしれない。 巻末の解説もすこし抜粋しておきたい。 精神科医であればこそ静塔もまた前述した秋櫻子の行動にシンパシーを強く抱いたことは疑いない。しかし、秋櫻子が掲げた「芸術上の真」もまた「父の掟」であることを察知したがゆえに、静塔は「馬醉木」と距離を置き、京都大学の自由主義に裏打ちされた「京大俳句」を立ち上げて、そこを拠り所としたのだろう。ところが、前述した「京大俳句事件」による検挙と投獄、さらには応召による戦地(中国)への出征によって、静塔は社会的死と肉体的死という二重の危機に直面して筆を折ることになる。しかし、この危急存亡を乗り越えることで、静塔は俳句界はもとより社会や生死といった二項対立的な固定観念を超克した境地へと参入することが可能となったと言える。 滝壺に落ちて椿の崩れざる 平畑靜塔 新聞の記事を紹介しておきたい。 9月3日付けの信濃毎日の土肥あき子さんによる「けさの一句」は、堀かをる句集『風の譜』より。 みせばやの咲きて日暦薄くなり 堀 かをる 「みせばやの花言葉は『大切なあなた』。猛烈な暑さが残していった忘れもののような愛らしい花が、今年の秋を知らせてくれる。」と土肥さん。 今日の毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、寺田幸子句集『見失ふために』 より。 崩壊を孕む地球や法師蟬 寺田幸子 「ツクツクボーシ、ツクツクボーシ、ツクリンヨというホウシゼミの声は崩れゆく地球の悲鳴かも」と坪内さん。この異常気象の日々はわたしたちを不安にさせる。虫の声を聞いてもそう能天気ではいられない昨今だ。 今日は、昨日の早退をあなうめすべく勤勉に働いた。 口数もすくなく、それはもう集中して。 わたしの働きぶりをみせてあげたかったくらい。 昨夜は素晴らしい一夜だった。 とくに良きことが二つほどあったのね。 だから、頑張る。。
by fragie777
| 2023-09-05 19:12
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