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9月1日(金) 二百十日 防災の日 旧暦7月17日
いつもの榎の大木の木蔭。 神代水生植物園の丘にある。 このベンチでひとときを過ごすのが好き。 榎の大きな枝が外部から守ってくれるよう。 大木のふところに抱かれたような感じがあり、なんとなくホッとする。 この日もたっぷりと時間を過ごした。 聞こえるのはすさまじいまでの蟬の声。 蜩、法師蟬、油蟬が競うように鳴いていた。 今日は二百十日である。 「立春から数えて二一〇日目、新暦ではおよそ九月の一、二日頃に相当する。古来、風雨の激しい日とされ、現在でも台風の襲来することが少なくない(略)」(新版『角川大歳時記 秋』より) 釘箱の釘みな錆びて厄日なる 福永耕二 「ふらんす堂通信178号の編集が始まった。 この間177号が出たばかりなのに、もう、である。 それぞれが仕事の合間にやる作業なので、なかなか忙しい。 178号から、新しい連載がひとつはじまる。 俳人・千葉皓史さんによる「俳書遠近」と題する、評論である。 毎回一冊の句集もしくは俳書をとりあげて論じてもらうものだ。 どんな書籍をとりあげるかは、千葉皓史さんにお任せしてある。 第1回目は、岩田奎句集『膚』について。 すでに先ほど原稿をいただいたところである。 若き岩田奎さんの句集『膚』がいかに語られるか、楽しみしていただきたい。 岩田奎さんの句集『膚』は、本年度の田中裕明賞の受賞句集である。 これからもいろんなところで取り上げられていくだろう。 俳誌「鷹」九月号で、兼城雄さんが「グロテスクの向こう側」と題して、句集『膚』を論じている。すこし抜粋したい。 逃水を轢きたるあとはだれも見ず 蚯蚓死すおのれの肉と交叉して を引用しながら、「生命自体が内包する死と生命とのせめぎ合いが描かれている」と記す。そして、 「徹底的に写生を行うことで、確かに自然のグロテスクな側面が見えてくる。しかし、そうして自然を解体していった先に、私たちは失われたはずの生命を、それまでとは異なる次元で取り戻す。現代の俳句とは、このグロテスクさから出発し、その向こう側に逃水のとごく立ちのぼる生命を見ようとしているのではないか。そう思わせる現代的な句集であった。」 おなじく「鷹」九月号で、「本の栞」に、鈴木雅史さんによって、岡田由季句集『中くらゐの町』がとりあげられている。 「日常の生活で目に触れた物や事柄が柔らかな言葉で表現されており、また読者に安心感と納得感を同時に与えてくれる。それは季語の現代風な活かし方のお手本のような具合でもあり、そしてその感じが、句集名ともぴったりとマッチされている。」と。 自宅から土筆の範囲にて暮らす 橙の記憶が餅につたはりぬ 今日の午後は、紙屋さんが来社。 HEIWA PAPER(平和紙業株式会社)の販売促進部のIさんである。 前もってメールをいただいていたので、こちらの要望はお伝えしてある。 今日はいろんな紙の見本をもってきてくださった。 最近は輸入紙をはじめ特殊紙などが、ずいぶんなくなりつつある。 ヨーロッパの有名な製造元が倒産し、よく使っていた用紙が手にはいらなくなった。 しかし、それもなんとか復活しそうである。 そんな事情も聴けて、いくぶんかはホッとしたのだった。 新しい用紙見本を手にいれて、こんな風にしばらく飾っておくことにしたのだった。 使ってみたい用紙がいろいろ。 このとりどりの紙見本をみていると、なんだか仕合わせな気持になる。 この用紙をつかって、こんな本ができたら、あんな本ができたらと、夢がふくらむ。
by fragie777
| 2023-09-01 19:00
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