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8月31日(木) 旧暦7月16日
ひさしぶりに黄鶺鴒をみた。 なんと可憐なことよ。 今日で8月も終わり。 午前中は残暑厳しい仙川の街を、大汗をながしながら、金融機関を行ったり来たり。 仙川には、金融機関は郵便局、信用金庫などをふくめて5件あり、今日はその全部を制覇(まさか!?)した。 まあ、税金をしはらうのが主だったのですけれど、今日はとても混んでいてかなり待たされたのだった。 銀行で待つあいだ、最近ハマッテいるZach Bryan をずっと聴いていた。 (なんか、声がぐっとくるのよ) 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装帯有り 240頁 三首組。 著者の和里田孝子(わりた・たかこ)さんは、昭和15年(1940)東京板橋区生まれ、現在は西東京市在住。昭和58年(1983)に大塚布見子主宰「サキクラ短歌会」に入会し、平成12年(2000)に退会されている。本歌集は、その間につくられたものを精選して一冊にしたものである。 この歌集を上梓することになった経緯を「あとがき」で記されているので紹介をしておきたい。 この三月、八十三歳になったのを機に、今からちょうど四十年前、ある短歌会に入会して以来約二十年間詠み続けた短歌を上梓しようと思い立ちました。しまい込んで忘れかけていた短歌会の歌集を一昨年の引越しの際に見つけ出し、それを前にして私自身の歌集を作ってみたい、そんな思いがふつふつと湧いてきてこの度の上梓ということになりました。 二十年間忘れられていた短歌が作者の目にとまり、こうして一冊となって息を吹き返したのである。そのことをまず喜びたいと思う。 本歌集の担当は、文己さん。 紫陽花を賜いたるより待ちていし雨したたかに降り来つるなり 梅雨晴れて窓開け放ちいる部屋の素足に触るる畳さわやか 強き風雲散らしつつ冬空は藍みずみずしく広ごりにけり 流氷の重なり合えるそのあわい緑の色の透けて見えたり よべの雨都心のビルを洗いしか常より深く息を吸いこむ 遠雷の音聞こえきて高層のビルの小窓に明りのともる 重なりし襟元のごとく山並みの続く彼方に日の沈みゆく ここですと印つけたる吾子よりのオレゴンの絵葉書飽かず眺めおり 文己さんが好きな短歌をあげてくれた。 上梓といっても短歌会を離れていて、ご指導を頂いた先生も入会を勧めて下さった先輩の方もすでに逝かれて、アドバイスを頂くことも叶わず、私がただ作歌順にまとめたものにすぎません。 この二十年は三人の子供がそれぞれ大学へ、社会へと巣立ってゆく時期にあたり、三人の父親である夫の単身赴任も何回かありました。一首、一首読み返してみるとその時の光景、情景が鮮やかに甦り、自分の来し方にも思いを馳せることができて、まとめるという作業もよいものでした。 「あとがき」にこう書かれているように、本歌集には、妻として母として格闘する日々を日記のように詠んでいる歌が多い。文己さんがあげた短歌はそういう生活の日々にあって、ふっと心を草花や自然に解き放っておのずと生まれてきたものである。短歌をつくることによって、心を潤してこられた和里田孝子さんがみえてくる。本歌集を読んでいると生活の些細な局面にむきあったときにも一首にされている。やはり和里田孝子さんが、この20年を短歌とともに生きて来られたということがよく分かる歌集となった。 梅雨晴れて窓開け放ちいる部屋の素足に触るる畳さわやか この一首もそうである。梅雨の季節に窓をあけたとき、素足に畳のひんやりとした感触が伝わった。そのささやかな感動を短歌という形式にとどめたのだ。こういう感覚ってわたしたちが生活をしているときによく経験することである。しかし、それを感じるだけでなく、言葉で記しておくということは、それも散文でなく韻文のかたちで五七五七七に纏めるには、ある程度のいやかなりの時間が費やされることなのだ。わたしは、この歌集を読んでそこに費やされた膨大な時間を思う。そしてそれはまたかけがえのない濃密な時間だったのではないかと思う。 よべの雨都心のビルを洗いしか常より深く息を吸いこむ 和里田孝子さんは、単身赴任の夫をささえ三人の子どもをそだて、そしてご本人も再就職をはたす。この一首は、朝仕事先へと急ぐときのもの。雨に洗われたビル街をすこし緊張しながら仕事場に向かっているのだろう。これから仕事先へとむかうその我を一瞬の景として短歌に詠んだのだ。〈我を生かす仕事のいまだありたりと早起きをしぬ再就職の日〉これはわたしの好きな一首であり、再就職を決断し決行をした作者である。「我を生かす仕事のいまだありたり」と思う作者が清々しい。〈階段を駆け上がりては駆け下る慣いとなりぬ朝の出勤〉という歌がつづき、なかなかハードな出勤の日々である。そして〈初出勤の一日を終えし我に言うどうだったのと三人の吾子は〉と子どもたちは再就職を果たしたお母さんを心配もする。こんな風に本歌集には、生活のあらゆる場面がさらりと自然に詠われていて、まさに短歌による日記であり、生活の記録でもある。 競い合いし友留学すと便りあり主婦なる我の心みだるる この一首は、歌集の前半におかれていて、まだ主婦業に徹していたときのものである。率直な思いが述べられている。「再就職」へを果たすまでの伏線でもある。しかし、和里田さんには短歌があった。己をみつめ対象化し言葉にして調べにのせるという作業、それはかけがえのない時間であり、そのことによって流れ去る時間が濃密なる。和里田さんは、日々を主婦としての仕事をこなすだけでなく、消え去っていく日々の時間を短歌というかたちで刻印したのである。 メカニズム問う我に言うパソコンは無心に覚えよと中二の吾子は この一首がわたしは好きである。中二のお子さんの意見はすばらしい。笑ってしまった。「これってどうなってんの、どうしてこうなるの」と母の声が聞こえてくるようである。しかし、子どもは動ぜずしたり顔で「そんなこといいんだよ、ほら、こうして覚えるだけだよ」と素晴らしい指導をするのである。まさに「習うより慣れろ」である。やりとりが目にみえてくるよう。「無心に覚えよ」とはいい言葉だ。学びの本質をついている。良きお子さんですね。和里田さま。 老人ホームのベッドの上こそ城ならん子と離れて住める媼は これは、和里田さんのお母さまを詠んだ一首である。なかなか剛胆なお母さまだと思った。つづく歌が〈訪ねゆく我を喜び迎えれど老い母早も帰りをせかす〉であって、あるいは強がりなのかもしれないが、この気構え、大したものである。身体は不自由になっても、精神は気骨にみち気高くさえある。あっぱれなお母さまである。 校正スタッフのみおさんは、「〈駆け込みし電車の中の静もりて我が吐く息のみ聞こゆるごとし〉が好きです。気まずいのだけれど、上がった息をどうすることもできない…という様子が伝わってきます」と。 おなじく校正スタッフの幸香さんは、「〈さし昇る朝日に向かひて走るがにターミナル駅に線路の並ぶ〉に特に惹かれました」と。 本歌集を楽しく読んできて、そして最後の一首をよみおえたとき、この歌集は作者の20年前までのことであることに気付かされるのである。 短歌を辞めてしまわれたことが惜しいと。 短歌会を離れてから、ある時、旅先からの友人の一枚のスケッチに心ひかれて、言葉に代えて絵筆を使って表現してみたい、そんな思いを持つようになりました。今はNHK文化センターで日本画家西野正望先生のご指導を受け描くことを楽しんでいます。この度の歌集の準備をしながら、これからは制作する日本画に短歌を添えてみる……そんな夢も膨らんできました。 「あとがき」に書かれているように、いまは日本画を学んでおられる著者である。 本歌集のカバーには、和里田孝子さんの作品「早春の鴨川」を装画として用いた。 装釘は君嶋真理子さん。 葉を落とし欅は枝の細きまでくきやかに見す真青の空に 本歌集のタイトルは「けやき」 和里田さんは、「欅(けやき)」が特にお好きだという。 歌集にも欅の歌がたくさん収録されている。 上梓後のお気持ちをうかがってみた。 ◆所感 出版という初めての事でしたので、その工程、校正等の緻密な目と細かいご指摘、適切なご指導等々、緊張もし、興味も持ち、楽しみもしながらの3か月余を過ごさせていただきました。装丁については無謀にも直前の旅先での、簡単なスケッチをカバーにお願いしましたところ快くお引き受け下さり、ご覧のような柔らかく光る紙質のものを、それに金箔の文字、帯の透け感と色調、単色のスケッチ等々、素敵に仕上げていただき感動しております。家族からこれで和里田孝子の全部が埋まっているねと冷かされました。 短歌から遠ざかって20数年、この度の上梓した短歌の数々はしまい込んで忘れかけていたものですが、思えば私の人生のある時期を共に歩んで、またその時、その時を彩ってくれ、豊かにしてくれた存在だったんだと思い至りました。初めて山岡さんにお目にかかった時の「一生懸命詠んでいらしたんでしょう」というお言葉も心に染みました。短歌から遠ざかってしまったことへのいろいろな思いもこの上梓を機に昇華されて、今は快い安堵感を覚えております。改めて短歌との出会いに感謝し、いつまでも歌を詠む心を持ち続けたいと思っております。 和里田孝子さん。 先日ご来社くださったときに。 ゴッホの絵が描かれているワンピースを素敵に着こなして。 こんどは絵画のお仲間と画集をつくりたい、なんておっしゃっておられた和里田さんである。 それも素敵ですね。 その時はまた是非にご縁をいただけますように。 岬端に立てば我が身は夏の日の海と空との真青の中なる 和里田孝子
by fragie777
| 2023-08-31 19:55
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