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8月29日(火) 旧暦7月14日
神代水生植物園のヤブマオ(薮苧麻)の花。 橋に乗りだして咲いていた。 左側は蘆、右側は稲。 橋を初秋の風が通り抜けていく。 残暑の日だったが、風は心地よい冷たさがあった。 紹介が遅くなって仕舞ったが、新刊紹介をしたい。 四六判変型ハードカバー装 212頁 天地左右をカットし、手のひらにおさまるくらいの小さな本である。 著者の井野佐登(いの・さと)さんは、歌人である。1948年愛知県安城市生まれ、現在は蒲郡市在住。1975年「まひる野」に入会、1983年まひる野賞を受賞されている。第1歌集『楕円の球率』(1988年刊)を刊行されてより、すでに5冊の歌集を上梓されている。2019年には第10回中日短歌賞を受賞されている。「まひる野」会員、現代歌人協会会員、日本歌人クラブ会員、中部日本歌人会会員。本著は、蒲郡新聞に約20年にわたって連載したもののコラムより百篇を選んで加筆し収録したものである。 「星越峠」の集名については、「星越峠は、街の東のはずれ近くにある峠で、国道二十三号線と東海道本線とが通っている。」とあとがきに記されている。 「星越峠」とは、その意味を想像するとなかなか素敵な名前である。きっと、星をこえるくらいの近さまで星に近づくことができる峠なのだろう。などと思ってみたりもする。 本著の担当は、Pさん。 井野さんには独特な世界観があります。 海外旅行の宿泊の数え方も独特でした。 車中泊や機内泊の日数はカウントせずに二泊二日の夜行バスでの大阪万博、というふうに数え方も感性も独特です。 読んでいくと、このエッセイをとおして新しい価値観に触れることができる楽しい一書です。 日常に感じた少し面白かったこと、少し引っ掛かったこと、少しイラッとしこと、を井野さんの独自の視点でエッセイにまとめています。 犬好きな井野さん、井野家にいる保護犬とこれからもずっと仲良く楽しく暮らして頂きたいです。 と、Pさん。 本書のエッセイは見開きで読みきるようになっており、短文であるのでとても読みやすいものだ。 何篇かを紹介したい。 ここよりは各駅停車となる電車星越峠を越えて海見ゆ まず、序としての短歌が記されている。 各駅駅停車の電車に乗ったつもりで、ゆったりと頁をめくって欲しい、そんな気持もみえる一首である。 わが家の野鳥 2007年7月11日 二階の北側にある寝室の雨戸の戸袋に鳥が巣を作った。朝、ことこと音がするので、ネズミが巣を作ったかと案じたのは五月の初め。窓を開け戸袋を覗くと羽毛が転がっており、一番奥にひとかたまりの黒いもの。じっと見つめていたら振り向いた。不安と不屈に満ちた黒い眼。鳥が抱卵していたのだ。 それから戸袋の中の「カタコト」を聴くのが私の朝の目覚めの日課となった。ある日、磨り硝子に鳥の影が映った。戸袋から出て飛び立つところだ。気がつけば、親鳥はひっきりなしに戻ってきては飛ぶ。雛は餌をもらうときだけかしましい。以後ときどき、わが家の野鳥の巣を覗いて見る。五月末、雛はだいぶ大きくなった。三羽いる。奥から出て戸袋の中を歩いている雛も。羽毛の山も大きくなっている。六月五日、戸袋の中は空っぽ。 雛達も皆、飛んだのだ。七月、もう餌を求めて鳴くこともない。朝も昼も静かだ。細長い戸袋の中で縦一列に並んで眠るのかと思っていたのに。 窓から見える電線にチッチと鳴く鳥がいると、あれがわが家の鳥だと見上げてしまう。 帰って来ない。鳥は巣を捨てたらしい。 ポチ 2009年9月9日 わが家に来た推定二、三歳のコーギー犬をポチと名付けた。ポチは捨てられた犬を保護しては新しい飼い主を探す「しっぽの会」から貰った。 七月の末の日曜日に、はるばる瑞穂市から犬を連れてきてくださったボランティアのご夫婦は、その日五軒の家に(五匹の)捨てられた犬を届けるのだと言っていた。わが家に犬を降ろすと、かかった医療費(フィラリア検査代と去勢代)以外は受け取らず、これから浜松まで行くのだと早々に出発して行った。 この犬種は、牛の脚を噛んで牛を追うのに使われていた犬だから、噛むのは元々の性格ですよと言っていた。最初の夜、夜中に懐中電灯を点けて見に行ったら、買ってやった犬小屋の隣にうずくまって怯えた眼をしていた。 ポチはほんとによく噛む。私の腕や顎をちみくる(つねる)ように噛むことがある。「だからお前は捨てられたんだよ」と思わず大声で怒鳴った。やんちゃで陽気なポチと近頃はよく散歩する。ポチは捨てられたのではなく、迷い犬かもしれない。 ストーブとわれの間に割り込みてコーギー眠る座布団の上 (第五歌集より) アイドル 2015年3月18日 二月二十二日、倍賞千恵子さんの講演を聴いた。蒲郡市制六十周年記念で、お話あり、朗読あり、三つも歌を歌ってくれたという楽しい講演だった。講演の中で、寅さんシリーズの映画を観たことのない人はいますかと客席に問いかけてきた。誰も手を挙げなかったが、実際に、四十八作あった渥美清の寅さんと妹さくらさん(倍賞千恵子)の映画は、誰もが一度は観ただろう。 私が深い印象を持っているのは、「ハウルの動く城」 二という二〇〇四年の宮崎駿監督のアニメだ。主人公は十八歳の少女。魔女に九十歳の老婆に変えられてしまう。この声優が倍賞さんだ。ひとつの会話の中で、少女や老女の声になる難しい役。封切り映画を聴き4 4 に行った。今も倍賞さんの声は美しい。 チャーミングな倍賞千恵子さんはやっぱり私のアイドルだ。ロールモデルと言い換えてもいい。何歳になっても、憧れのお手本を持つのはいいことだ。六年半の後に私も彼女の年齢、同じように生き生きとしていたい。まず、倍賞さんが、松竹音楽舞踊学校でしつけをうけたという「挨拶をしっかりする」から始めよう。 本書の装丁は、和兎さん。 小さな本なので、できるだけシンプルに仕上がるように心がけた。 カバーと帯は一体化して、帯カバーとした。 タイトルはツヤ消し金箔。 すこし見える青の色をテーマカラーとした。 帯カバーをめくると、青い本があらわれる。 角背がシャープである。 見返しも表紙とおなじ色の用紙。 花布は、白とブルーのツートン。 扉。 目次。 星越トンネルを東へ抜けると見える海が好きだ。大塚、御津の三河湾だ。若いころ、浜松の病院勤務をしていた時、帰りの電車のなかから、夕陽に輝くこの海を見た。美しいと思った。 小文集の名前を星越峠とした。(あとがき) 峠から海がみえるとは、、、 わたしも一度星越峠から海をみてみたい。 上梓後のお気持ちをうかがってみた。 昨年の秋、股関節の手術をしたあとにふとこの歌が出来たとき、いや、第7歌集の題は赤い自転車にとしようと思いたった。くるくると脚をまわして空をも飛びたいという前向きな気持ちが、懐旧的な「星越峠」という題名を拒んだのである。つまりは、「星越峠」という本の名前が空いた。 私が、20年前から月に一度ほど書いてきた蒲郡新聞のコラムをまとめてみようという考えはここに芽生えた。私はやはり、「星越峠」という名の本を出すのだ。 「星越峠」の表紙は素晴らしい。東から峠を望む銀色の写真をカバーにして海を思わせる青い本体にかぶせている。ふらんす堂ってセンスがいいなと、短歌日記シリーズを読んで思っていた私。三河平野を発ってはるばる調布市まで行った甲斐があった。パリッパリッの編集者さんと顔見知りになったことも人生の勉強になった。 「星越街道は、昔は山際のうす暗い道だったよ」という便りが来た。「僕の父は『星越』という名の喫茶店を崖の道でやっていたよ」という便りも来た。 私が選んだ百話を楽しんで読んで欲しい。 そう、井野左登さんは、ふらんす堂刊行の「短歌日記」の愛読者でもいらっしゃっる。「あの本のかたちがいい」ということで、今回の一冊は出来上がったのだ。井野さんの仕事は医師。医業のいそがしい日々をぬって短歌をつくりつづけておられる歌人だ。 井野佐登さん 今年の4月4日にご来社のとき。 もう一篇だけ、エッセイを紹介しておきたい。 自転車 2023年3月1日 赤色で小ぶりで脚がスッと立つ秋の澄む日に欲しい自転車 佐登 自転車が欲しいと思う。五年前、名古屋からふるさとの埼玉県に帰った友達から電動自転車をもらった。がっしりしていて重いが、すいすいと走れるのは便利だった。私よりも背の低い友達だったのに、つまさき立ちでないと足が着かないのはなんで? と思った。当時、股関節の手術前の私には、走っていて停止するのがこわかった。足をつくとキッと股関節が痛かったし、急な停車に対するしなやかさのすでにない「老嬢」さんだ。(このちょっと厄介な自転車は人に差し上げた。) コロナ禍で、出かける人が少なかったあいだ、蒲郡駅前の駐車場はいつでも「空き」があった。「空き」がないために予定の列車に乗れないなんてことはなかった。そろそろ、コロナの第八波も収まってきて、駅に必ず車を止められるとは限らない。やはり、自転車が欲しいなぁ。 赤色がいい。乗ったら、銀河鉄道のように、すいすいと空へも駆けていける自転車がいい。くるくるくるとやたらと脚をまわす車輪の小さいのがよい。自転車を買ったら、自転車の歌を作りたい。 そして、 今日はお一人お客さまがみえられた。 俳人の井上弘美さんである。 井上弘美さんは、武蔵野大学で長い間学生たちに俳句を教えてこられた。 3月をもって終えられたので、学生たちの俳句を合同句集のかたちになさりたいという。 そのことでスタッフのPさんは相談を受けていた。 この度原稿もまとまり、いよいよ本作りの作業となる。 今日はそのご相談に見えられたのだった。 いろんな本を御覧になって、 「若い人たちの俳句でしょ、できるだけ清新なものにしたいと思ってます」と井上弘美さん。 そのご意向をくむべく、Pさん、いろんな資料をお見せしてご意見をうかがう。 で、おおよその方向性はみえたみたいである。 ほっとされたところで、久しぶりの井上弘美さんとすこしおしゃべりをする。 というか、ちょうど俳句総合誌「俳句」9月号で、井上さんが執筆された「大石悦子追悼」の文章を拝読したばかりだった。 「遊戯に殉ずる」というタイトルの力のはいった大石悦子論である。 「大石悦子を知るための貴重な論となりましたね、ずいぶん丁寧に書いてあります。」と申し上げると、 井上さん、この文章をおこすために、寝る間をおしんで年譜づくりをされたらしい。 「まず、年譜をつくって大石悦子さんの時間を追ってうめて、その上で取りかかりました」ということ。 4頁の文章であるが、かなりの時間をかけて取り組んだものだったらしい、俳人・大石悦子が凝縮している、そんな俳人論である。 「ただ、〆切まであまり時間がなくて」と井上さん。 「ちゃんと寝ました?寝る時間を削ったのではなくて」と申し上げると、(「弘美さんは、寝ないで仕事をするのよって、」つねづね藤本美和子さんから聞かされていたので) 「まあ、ソファで二時間ほどなんてこともありましたが、なにしろ、ちゃんとしたものを書きたいという思いで」と言って、にっこりとされたのだった。 井上弘美さん そしてこの「俳句」9月号には、「勝彦忌」と題して、千葉皓史さんが俳句16句を寄せている。 掉尾の句は、 「七月九日」という前書があり、 常しへの破顔一笑勝彦忌 師・石田勝彦を詠んだものである。 石田勝彦先生は、ふらんす堂にとっても忘れてはいけない俳人である。 小さなふらんす堂をはじめから応援してくださった方である。 わたしにとってはたいへん恩義のある方である。 まさに「常しへの破顔一笑」の笑顔がすばらしい俳人だった。 コスモスのまだ触れ合はぬ花の数 石田勝彦 コスモスが咲く季節になるときまってこの句を思い出す。
by fragie777
| 2023-08-29 19:17
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