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8月23日(水) 処暑 旧暦7月8日
稲の花。 国立・谷保の里山をあるいたとき。 稲の花をはじめて見たという人間もいて、いろいろと友人たちが教えていた。 ふらんす堂の時計をあたらしくしたということをこのブログで書いたと思うが、その新しい時計は時をしらせるのに何種類かのアメリカ民謡(?)が入っていてそのときどきに流れる。そしてとても懐かしい曲がかかるのである。そのひとつに多分、小学校や中学校で歌ったヤツ、すごく懐かしいのだけれど、ふっと歌詞の一部が思い浮かんだりするのだけれど、何という曲か判明せずもどかしく思っていた。 ところがついこの間、仕事をしていて曲がながれたとき♫はるかなるスワニー川♫って出だしの歌詞が口をついてでた。 「ああ、遙かなるスワニー川だ!」って思い出した。 フォスター作曲の「故郷の人々」というタイトルの歌。まずは一曲だけだったけれど、思い出せてあらためて懐かしかった。 きっとこのブログを読んでいる人もこの歌、歌ったことがあると思う。 YouTubeで聴けるんだけど、どうかな。 目下、俳誌「泉」の元主宰であった綾部仁喜の全句集の編集をしている。しばらく手がつかず、やっと索引づくりにかかわりだした。 綾部先生の句集は、第一句集から、最後の第四句集までご縁があってわたしが手掛けたものであるということを今回全句集にむきあっていてあらためて知った。第一句集から最後の句集まで35年の歳月がながれ、その前後をふくめると40年近いおつきあいだったと思う。第一句集『山王』(牧羊社刊)のときなど無我夢中でよくわからずにやっていたことを覚えている。最後の句集『沈黙』を上梓されるときは、もう喉を切られていて声が出なかった。現主宰の藤本美和子さんに案内していただき、入院をされている病室を何度も尋ねたことなどをなつかしく思いだしながら俳句を読んでいる。結局亡くなるまでこの病院を出ることはなかった。会話はすべて筆談。「田中裕明賞」の設立をつよく奨められたのも筆談だった。そんな体力があるかしら、と逡巡するわたしに「若い人を育てることも大切」とメモを渡されたのだった。綾部先生のひと言がなければ、ふらんす堂において「田中裕明賞」の設立はなかったと思う。病室のかたすみで俳句のこれからを見つめていた俳人だった。そしてこの度の全句集。ここには編者である藤本美和子さんのご尽力よって、「鶴」投句時代の作品も収録してある。ということは師と仰いだ石田波郷選の句が入っているということだ、句集には収録しなかった俳句群である。目下わたしも年譜づくりを少し協力しているが、なかなかその時間がとれずにいる。藤本美和子さんの「慌てて急がなくてもいい」という言葉に甘えてしまっている。しかし、様々に深いご縁をいただいた綾部仁喜先生である。よき全句集となるように力を尽くしたいと思っている。 今日は藤本美和子著『綾部仁喜の百句』より。 若者と波郷を語る椿かな 綾部仁喜 仁喜が「波郷を語る」ときは決して「波郷」とはいわない。必ず「波郷先生」という。弟子にとって師匠は永久に「先生」なのである。掲出句は筆者が「泉」の若手会員を伴い見舞いに訪れたときのもの。「若者」は神田の古書店で見つけたという波郷句集『風切』を携えてきたのだった。その心ばえが仁喜の心を動かしたのであろう。『風切』を繙きながら、「俳句と一枚になった波郷の生き方」を終始笑顔で語ってくれたのだった。「椿」は波郷の好んだ花。「椿」を介在して仁喜の敬愛する波郷の面影をじかに感じとったひとときだった。 (『沈黙』以後(平成25年作)) 最近、好んで飲んでいる日本酒。 八海山の「貴醸酒」」 甘口のお酒で、飲み始めるとやみつきになる。 いままでは辛口のお酒しか飲まなかったのだが、「貴醸酒」のまったりとした甘さがいい。色も鬱金色。 わたしは冷やして食前酒として美味しく飲んでいる。 この小さなグラスで二杯くらいかしら。 ワインでいうところの貴腐ワインのような、そんなお酒かもしれない。
by fragie777
| 2023-08-23 18:12
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