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8月22日(火) 旧七夕 旧暦7月7日
今朝の仙川の町。 行く手には暗雲が。。。 子どもづれのお母さんが指さしながら、 「ほら、みてごらん。雲が真っ黒だよ」と言っていた。 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装帯有り 160頁 著者の内田茂(うちだ・しげる)さんが所属する俳誌「青垣」(大島雄作代表)に2012年7月から2023年7月の11年間に亘って「蕪村の秀句」と題して連載したものを「蕪村の百句」として一冊にまとめたものである。内田茂さんは、「青垣」の編集チーフであり、俳人協会会員、現代俳句協会会員。ふらんす堂より第1句集『管制塔』(2018)を上梓されている。本書には近世俳諧研究の第一人者である藤田真一氏が帯文を寄せている。以下に紹介したい。 蕪村全三千句、そのうち百五句を選んで評した書。 蕪村の鑑賞は、明治の正岡子規以来重ねられてきたが、この度の百句読解は新たな蕪村像をいかにみせてくれるか。本書を通じて、蕪村の真骨頂に迫ってみたい。句の配列は年次順とし、蕪村の生涯とともに味わうことができる。 「蕪村の百句」と題しているが、正確には百五句である。 本書は、蕪村の句を編年体で鑑賞していくものであり、ところどころに蕪村の弟子たちを紹介するという工夫もなされ、たいへん親しみやすい「蕪村入門」である。また随所にちりばめられた図版が楽しい。読んでいくと蕪村の有名句ももちろんあるが、わたしのような門外漢の読者にしてみるとへえーこういう句もあったのかと、あたらたなる蕪村の句にであえる面白さがある。本著には蕪村の作品にふれるまえに著者によるプロローグ「俳人としての与謝蕪村」がある。抜粋して紹介したい。 私は、芭蕉が人生を込めて「侘び・寂び・かろみ」などの蕉風を創出・探究したのに対して、蕪村は、虚構の世界をさ迷いながら、ひたすら架空の美を求めた詩性こそが特徴であると思っている。そして、句に故事を隠したり、浪漫や物語を込めた遊び心は、蕪村の魅力であり、偉才だと感じている。この『蕪村の百句』は、蕪村の生涯の節目にも触れるとともに、蕪村門十哲とも言われる門弟たちや一部の俳友をも紹介しながら、できるだけ詩や物語、浪漫や遊び心などを感じ取れる句を紹介・鑑賞していく。(略) なお、前述の『蕪村自筆句帳』により、概ね年代順に配列する見通しが立ち、制作年に沿って紹介しながら、できる限り蕪村の生涯・足跡を辿ることにつとめた。 本書は、 Ⅰ 俳人としての与謝蕪村 Ⅱ 宝暦十三年(一七六三)以前 Ⅲ 明和五~六年(一七六八~六九) Ⅳ 明和七~八年(一七七〇~七一) Ⅴ 明和九~安永三年(一七七二~七四) Ⅵ 安永四~五年(一七七五~七六) Ⅶ 安永六~七年(一七七七~七八) Ⅷ 安永八~十年(一七七九~八一) Ⅸ 天明二~三年(一七八二~八三) Ⅹ 制作年次未詳 あとがき という構成となっている。編年体であるので蕪村の情報がわかりやすく読者に届くのではないだろうか。 学究的な蕪村研究の一書というのではなく、「詩や物語、浪漫や遊び心などを感じ取れる句を紹介・鑑賞していく。」とあるように、蕪村を愛する市井の俳人による自由な鑑賞の本である。そうは言っても巻末の参考文献が語るように蕪村についての膨大な情報を踏まえそれを駆使しての一冊である。 いくつか句と鑑賞を紹介しておきたい。 狩ぎぬの袖(そで)の裏這(は)ふほたるかな 〔明和五年〕蕪村五十三歳 掲句〈狩ぎぬの……〉は、三菓社句会記録「夏より」に掲載されている句だ。〈狩ぎぬ〉は、もともと鷹匠が着用するものであったが、平安期以降、公家の略服として常用されるようになり、絹地で、夏は単のうすものが多かったようだ。狩衣に紛れ込んだ蛍が袖の裏を這いながら、薄い生地を透かして光を明滅させているという意味だ。いうまでもなく、帳の内に放たれた蛍の幻想性を描いた『源氏物語』「蛍巻」を踏まえており、この句も薄い絹地の狩衣の裏に明滅する蛍の光が青白く、幻想的な景を醸し出している。この句のシチュエーションについて、『蕪村句集講義』で鳴雪は、「野道などを歩いているときに蛍が飛んできた」と言い、虚子は、「蛍狩りに行ったときの方が自然」と言い、子規は、「源氏物語の闇の中へ蛍を放ったという面影」という旨、三者三様の鑑賞をしている。どの解釈も間違っているとは思わないが、この時代、蛍は、現代よりも身近な存在だっただろうし、「摑まえたと思った蛍が手の裏側を這っていた」という経験は誰しもあることだろう。自身の経験を源氏物語のエピソードになぞらえた句と解した方が自然ではないだろうか。 鳴雪、子規、虚子のそれぞれの鑑賞が紹介されているのが興味深い、そして著者はどう読んだか。 腰ぬけの妻うつくしき炬燵(こたつ)かな 〔明和六年〕蕪村五十四歳 〈腰ぬけ〉は、「意気地がなく臆病」という意味ではなく、文字どおり、腰が立たないということだ。同じ腰が立たないでも、何らかの病で腰が立たないのか、一時的に腰が立たないのかによって、解釈が変わってくる。『蕪村句集講義』で子規らは、前者の立場を採って、「何かの病のため腰立たで燵に入っているが、美しい妻である」旨の解釈だが、普段から腰が立たずに燵に入っているのなら、今更美しい妻だと言うのも不自然だ。後者だと、妻は立ち働いてほとんど燵に入らないが、たまたま入った燵が余りに心地好く、腰が抜けて動けないということになる。こういう妻が愛おしく、惚れ直したという解釈だ。この句は空想句だと言われている。蕪村の妻のことは良く分かっていないが、実感が伴わないと詠めないような気がする。 「腰ぬけ」の解釈によって句の表情もことなってくる。余談ながら、わたしはこの一句を読んだとき、尾崎紅葉の句〈うつくしき妻驕り居る火燵かな〉を思い起こしたのだった。「妻」「炬燵」「美しい」がこの二つの句に共通している。紅葉は蕪村のこの句をおそらくは知っていただろう。が、「腰ぬけ」と「驕り居る」ではその姿は正反対だ。蕪村の句は一読するとそこにしみじみとした情愛を感じるが、紅葉の句は妻への手放しの賛美だ。炬燵までが華麗にみえてくる。なお紅葉の句は、高山れおなさんの解説によると実際の妻ではなく、小説の主人公がモデルであるようだ。 埋(うづみ)火(び )我(わが)かくれ家(が)も雪の中 〔明和七年〕蕪村五十五歳 明和五(一七六八)年に再開された三菓社句会、同七年に始まった夜半亭句会は、題詠による句が中心で、蕪村調といわれる俳風はこの頃確立されたようだ。蕪村調とは、作りごとの美しさや想像力が生み出した架空の世界を基本として作句する手法のことで、紀行文『おくのほそ道』を著した芭蕉が「旅の詩人」と呼ばれるのに対して、『與謝蕪村の小さな世界』の著者芳賀徹氏は、蕪村を「籠り居の詩人」と呼んでいる。掲句は、題詠による句が盛んに詠まれ、蕪村調が確立した時期の冬の句だ。 この句はフランス語にも訳されて、戦前版の『二十世紀ラルース大百科事典』に掲載されていたというから驚きだ。埋火が白い灰の中に潜んでいるように、私の隠れ家もまた雪の中に埋もれている、という句意だ。「籠り居の詩人」というネーミングの論拠の一つとなった句で、〈埋火も我名をかくすよすが哉〉も同年の句で同じ情緒だ。子規はこの句を「家の外から家を見たのでは無く、家の内に在りて我家が雪深き中に埋もれて居る様を思ふたのであらう」と評している。 蕪村の句が『ラルース』にも掲載されていたと言うことに驚く。こんなふうに思いもかけない情報をあたえてくれるのが本書である。 しら梅に明る夜ばかりとなりにけり 〔天明三年〕蕪村六十八歳 臨終三句の第三句、絶吟だ。蕪村は、この句を詠んだ後、「初春」という前書を付けるよう申し添えた。咲き始めた白梅の中、初春を迎える夜が明けようとしているが、自身は、白梅の香りの中にいるばかりだ、ということだろう。朔太郎は、「印象の直截鮮明を尊ぶ蕪村として、従来の句に見られなかった異例である。(中略)句の心境にも芭蕉風の静寂な主観が隠見している……以下略」と述べている。芭蕉を敬慕した蕪村を熟知した朔太郎の、死を目前にした蕪村に対する餞の言葉としての解釈なのかも知れない。 この句は本書では、101番目におかれ、この後は「制作年次未詳」として四句が紹介され鑑賞されている。 さて、本書の大まかな内容ですが、俳人であり、画家であるという蕪村の特性を踏まえ、出来るだけ詩性や絵画性を感じられる句を年代順に百五句(書名は「蕪村の百句」)抽出して、その詩情や色彩、浪漫や幻想、物語性などについて論じることとしました。また、俳句の鑑賞に当たっては、できるだけ当該句に関わる先達・識者のコメントを紹介するとともに、蕪村を支えた門弟や俳友を紹介することにも努めました。蕪村句の奥深さや魅力、蕪村の人となりが少しでも多くの方々に伝われば、これほど嬉しいことはありません。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本書の装丁は、和兎さん。 装画は蕪村画の「夜桜楼台図」の部分を用いた。 遅き日のつもりて遠きむかし哉 〔安永四年〕蕪村六十歳 〈つもりて〉は、「積み重なる」という意味で、〈遅き日〉を擬人化した表現だろう。長くなった日も暮れようとしているが、遅日を重ねていくと気持ちも弛緩し、遠い昔のことが蘇ってくる、ということだろう。前書に「懐旧」とあるので、〈遠きむかし〉は、遠い昔を懐かしく思い出していることが分かるが、それでも幾とおりかの解釈が可能な句だ。『蕪村全集』の編者尾形仂氏は、この句を「今日のような甘美な遅日が積もり積って、かくも年老い、思えば甘美な青春も遠い昔となってしまった」と、また、『蕪村句集』の訳注で、玉城司氏は、「〈遅き日〉と〈遠き昔〉が響きあい、過去が現在に甦り、現在もまた過去のように思われてくる」と解釈している。そもそも、〈遅き日のつもりて〉何故、〈遠きむかし〉につながるのか判然としないが、相当に省略が効いていることだけは確かだ。この句、蕪村の還暦のときの作だが、今までの人生を振り返ったときに、そこはかとないノスタルジアを感じたのだろうか。 蕪村のなかでわたしの好きな一句である。 本書の担当はPさん。 著者の内田茂さんの蕪村への情熱になんとかお応えすべく頑張って作業をすすめたようである。 「蕪村の百五句を瑞々しく勢いのある筆致で鑑賞されています。 従来の蕪村像にとらわれずに伸び伸びとした鑑賞に新しい蕪村像がたちあがります。 著者の蕪村への愛情に溢れた一冊です。」とPさん 上梓後の思いを内田茂さんにうかがった。 (1)本が出来上がってお手元に届いたときのお気持ちはいかがでしたか? 句集を出版した時は異なり、ついに自分の本を出版したという感慨、正直、いっぱしの作家になったのかなあという思いがしました。 また、装丁の「夜色楼台図」を見たとき、かつて、自分の部屋に貼っていた「夜色楼台図」、蕪村の絵画の中で最も好きな絵画を自分の本の表紙にできたという充実感がこみあげてきました。 (2)この御本を作るきっかけを教えて下さい。 あとがきにも書きましたが、この連載は季刊ですが、11年余り続けたことになります。 一回一回は、千百字ほどの小文ですが、蕪村句の選定から、句の解釈、先達の鑑賞調査、執筆、推敲等、相当な労力を要してきており、大袈裟に言えば、六十歳台の俳句人生の大半をこの蕪村とともに過ごしたと言っても過言ではなく、その証しとして、一冊のまとまった本にしたかったということです。 その結果として、この本を読んだ読者が蕪村に興味・関心をもっていただき、蕪村贔屓が増えれば望外の喜びになると思いました。 『蕪村の百句』の上梓をはたした内田茂さんは、今後は、第二句集の編集にむけて集中されるご予定らしい。 第一句集『管制塔』上梓よりすでに5年余が経過した。 第一句集に引きつづき、ご縁をいただけるとうれしい限りである。 最近の翡翠。 川に水が少なくなって、ところどころ干上がっていたのに驚いた。
by fragie777
| 2023-08-22 19:21
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