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8月18日(金) 蒙霧升降(ふかききりまとう) 旧暦7月3日
バッタに出会った。 その後、水を渡った。 朝仕事場への階段の途中に油蝉が死んでいた。 仰向けになって。 5秒ほど眺めた。 蟬は死ぬとき、きっと仰向けになる。 最後の力をふりしぼって仰向になるのだろうか。それとも落下するとき仰向けで落ちるのだろうか。 よく見たら翅がボロボロだった。 新刊紹介をしたい。 四六判フレキシブルバック製本カバー装帯有り 192頁 二句組 著者の寺田幸子(てらだ・ゆきこ)さんは、1948年大阪府生まれ、2007年に「未来図」(鍵和田秞子主宰)入会、2009年「未来図」同人、「未来図」終刊後、2021年「閏」(守屋明俊代表)創刊同人。俳人協会会員。本句集は、2007年から2022年までの作品を収録した第1句集であり、序文を守屋明俊代表が寄せている。たいへん丁寧に書かれた序文であるが、ここではほんの一部を抜粋して紹介したい。 天上と地上は隣蟬氷 天上は空よりも無限に遠い所。地上は我々生き物が住むこの世。普通は行けそうもない天上だが、死ぬと昇天するので、そういう意味でこの句の「天上と地上は隣」を読むと、生と死は隣同士にあるのだと理解できる。「蟬氷」は水の上に薄く張った氷が透明な蟬の羽根に似ていることからそう呼ばれる。それを剝がして日にかざすと美しい。生と死の幻想がこの一句を通して感じられた。(略) 「生と死の幻想」と筆者は書いたが、これは寺田幸子さんの俳句全体に言えることではないか。「風を呼ぶ地球は青きかざぐるま」「蟷螂生るすぐに線描画のモデル」「有情かな佇むものへ泉鳴る」「遥かなる眼差しに似てかなかなよ」「天上と地上は隣蟬氷」「見失ふために見つむる綿虫を」など、宇宙も星も地球上の小さなものたちも、毎日それぞれが生と死を隣り合せにしているという幻想。それがこの句集の全編を詩情豊かに流れている。 句集名「見失ふために」は、「見失ふために見つむる綿虫を」による。 本句集の担当は、Pさん。 「守屋先生と一度ご来社頂き、そこで装丁についてじっくりとお打ち合わせしました。 本文のフォントはサイズも拘られました。 表紙の色も最初は白を提案しましたが、濃紺を選ばれて、とても雰囲気のある個性的な一冊に仕上がったと思います。」とPさん。 好きな句をあげてもらった。 きさらぎの山は簡素でありにけり 新しき水汲む春の北斗かな ひたひたと嵐近づく金魚玉 朝顔をだれも花束にはできぬ 蟷螂は線で生まれて来たりけり 朝顔をだれも花束にはできぬ これは句集を拝読していておもわず立ち止まった句である。あえて思ったことはないが、こう詠まれてみると確かにそうである。蔓ものの花は朝顔にかぎらず花束にはできないが、そのなかで作者は朝顔に目をとめた。朝顔は多くの人に好まれる花だ。朝顔市があるくらいだから、育て愛でる人が多いこともわかる。朝顔は花束ではなく、鉢植えで買われていく。この一句、作者は朝顔の前に立って、花束にできたらと思ったのだろうか。罪なきさまに花ひらいている朝顔。そんな朝顔を鉢植えから引きはがして花束にすることは過酷なことであるし、朝顔の本性からして無理なことだ。この句じいっと見てると、実は作者の「朝顔」への特別な愛情、それは執着ともいうべき愛が見えてくるような気がする。「だれも花束にはできぬ」と言い放って、朝顔を独占するのだ。この句は、朝顔への一般論では決してないのである。 ぼたん雪母は時々大阪弁 この句はわたしの好きな一句である。詩情豊かでときにメルヘン的であったり幻想的であったり主情の濃い俳句が多いなかで、この句は生活の現場に取材した一句だ。序文で守屋明俊代表がご両親を詠んだ句を紹介し鑑賞をよせておられるが、ご両親を詠んだ句は背後に生活がみえる句が多い。この一句はまさにそのまま母の思い出の一句である。大阪出身の作者であるが、もうきっと大阪弁を話すことはなく、東京弁(?)で生活をしている。母もそうであるのだろうが、やっぱり大阪弁が出てしまう。そんな母をやや面白がって見ている作者だ。「ぼたん雪」の季語がいい、一句をよりユーモラスなものにしている。一句にある「ん」の響きが、句にリズムを与えている。すぐに覚えてしまいそうな一句。気取りのなさも好き。ほかに〈もう父の居らぬ町なり雹が降る〉〈母と食むレタス明るきレストラン〉〈朝顔の実が鳴る母が年を取る〉 絶滅といふ骨格の涼しさよ 〈博物館真空地帯めく真夏〉という句のあとに置かれた一句であるから、博物館で恐竜をみての一句だ。「絶滅といふ骨格」という言葉でおよそ推測はできるけれど。大きな恐竜の骨の展示はときに目にするものだが、骨だけのものは怖くもそれほど気味悪くもない。生気はすっかり抜かれ、存在感は実物よりもはるかに軽量となっている。その骨格を涼しいと作者は捉えたのか、いや、はるかかなたに絶滅した骨格であるゆえに涼しいと捉えたのだ。涼しさには「絶滅」が関係している。もう存在しないもの、しかし、骨格のみをのこして長い時をやってきたのだ。すでに命なきものが命なきことに耐えて(?)時間を旅してやってきたその骨格なのだ。生きることを断念され骨だけをいさぎよくさらしている生物への「涼しさ」とはある意味最上の挨拶となるのではないか。はるかなる昔を生きたものへの挨拶でもある。〈木登りといふ涼しさにゐる子かな〉も好きな一句である。 柊の花や売られてゆく家に その直感的な森羅万象の把握の仕方に目を瞠らされる寺田幸子さんであるが、そういう句のなかにあってこの句は地味な一句かもしれない。が、わたしの好きな一句である。とてもわかりやすい句でもある。売り家となったその家に柊の花がさいているのだ、そのことだけを詠んだ一句である。柊の花は小さく可憐で触れると花がすぐにこぼれてしまう。空き家となって誰も住んでいないのに咲いている柊の花。そしてこの一句「売られてゆく家」という措辞が、なんとももの悲しい響きがある。「売り家」ではなく「売られてゆく」ところに作者の心情がこもっている。その心情に添うかのように可憐な白い柊の花。「ヒイラギ」という「イ音」をひびかせた語によって哀切さがます。 蟷螂は線で生まれて来たりけり 序文にもとりあげられ、著者の自選句にもあり、Pさんも好きな一句である。この切り口は作者の得意とするところだ。読者をハッとさせ、そして、納得させてしまう。おそらく作者の直感が生み出した一句だ。こう詠まれてしまうと、ほかの虫だってなどと言うのは、まずダサいかも。この「蟷螂」の句はすぐに覚えてしまいそうだ。ほかに〈ななふしは精一杯の棒切れです〉という句もあって、思わず笑ってしまった。 校正スタッフのみおさんは、〈冬海を見に来て岩となりし象〉がお好きだということ。「象の硬い皮膚のようなごつごつとした岩が目に浮かびます」と。 文学仲間であった両親の家は本で溢れていました。その中から高校時代に、秋元不死男著『俳句入門』を貰いました。俳句との初めての出会いでした。「易きにつかず、自由に創造する自己にじぶんがめぐりあう」という主旨の文章などに魅かれ、いつか私も詠んでみたいと思ったのです。 憧れのまま数十年が過ぎた或る日、カルチャーセンターの公開選講座を受講し、翌年「未来図」主宰鍵和田秞子先生に師事することができました。先生は、もっと自己を突き放して、どんな事があってもあなたらしくと励ましてくださり有難く存じました。 この十六年間には、父母も亡くなり、ひと回り下の弟も逝ってしまいました。ただ茫然とする日々も、俳句そして先輩・句友は家族の様に傍にいてくれました。『俳句入門』は、晩年の今、一層深く私の胸を熱くするのです。 鍵和田先生ご逝去後二〇二一年に、長く編集長でいらした守屋明俊様創刊の同人誌「閏」の門を叩きました。学ぶほどに難しく途上にありますが、初心の頃よりの三〇〇句を収め、初句集と致しました。 集名「見失ふために」は、「見失ふために見つむる綿虫を」(二〇二二年二月「閏」第七号)に拠ります。綿虫は自らをふと過る一瞬の断章でもあります。 「あとがき」を紹介した。 本句集の装釘は君嶋真理子さん。 青の階層が美しい一冊となった。 見返しの明るい青。 表紙は紺色に。 クータ―バインディング製本。 角背が若々しい。 装釘・造本にこだわられた寺田幸子さんは、活字にもこだわられた。 信ずるに足る一本の青き麦 寺田さんは世界を先ず素手で摑み、そこから普遍的な詩情を掬い取る。自己を語らずとも一句の中に確り作者が存在している。それが幸子俳句だ。(守屋明俊/序) 上梓後の感想をいただいた。 少し細めで開きやすく、そして好きな活字と色彩と。 句群が希望の一書となり届き、感激です。 俳句はほんとうに不思議です。 こんなに短いのに、手放せません。 不器用で苦吟の日々が続くでしょう。 ちちよりもははに似てゐる泉かな 寺田幸子 今日はお客さまがひとりいらっしゃった。 田中俊光さん。 お父さまの遺句集のことでご相談に見えられたのだ。 お父さまは田中俊尾さん。 「馬醉木」と「鯱」の同人であり、NHK学園講師もなさり、地域で俳句の指導もされていた俳人である。 平成13年(2001)に第1句集『絹の道』を上梓され、 平成29年(2017)第2句集の刊行の準備をしている最中に亡くなられたのだった。 そのお父さまの遺志をついで句集上梓を実現されたいとご来社くださったのだ。 担当はPさん。 お目にかかっていろんなご要望をうかがい、造本もきめていただいた。 お父さまの色紙を手にした田中俊光さん。 「ずっと気になっていた父の句集の刊行が実現でき、なんとか七回忌には間に合いそうでホッとしています」と。 句集には曾孫さんたち四人のカットがたくさんはいるという。 さきほどその絵をみせてもらったのだが、とてもいい。 「いままでにはない句集になりそう」とはPさんの弁。
by fragie777
| 2023-08-18 20:42
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