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8月17日(木) 旧暦7月2日
神代植物園のあおはだの木。 すでに真っ赤な実をつけていた。 これは裏側から。 今日は仕事場に来るまえに、歯の定期検診があって歯医者へ行く。 そして診察台の上に乗ってより、なんと1時間余も口を開いていたのだった。 午前中でぐったりと疲れてしまった。。。。。。 仕事場へいけば、やらねばならない仕事が山積している。 お昼はアンデルセンの夏カレーパン(これがめっぽう美味い)1コとトマトジュース、梨を四きれで済ませた。 午後より、季語索引、初句索引の作成、領収書の送付、出版案内の送付、組見本の作成、メールの返事、メールの送付、 税理士さんへ資料を作成しておくらねばならない。 そんなことをしていたらたちまち夕方になってしまった。 ということで、新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装帯あり 192頁 二句組 私家版である。 著者の林暁兵(はやし・ぎょうへい)さんは、1940(昭和15)年東京・台東区生まれ、現在は港区在住。略歴には、「平成の代になった頃ぼちぼち作句を始める 極短期を除き結社に所属の経験なし」とある。現代俳句協会会員。本句集は第1句集であり、ご本人による「はしがき」が句集の最初にある。そこより抜粋をしたい。 年号が平成に変わった頃母の影響で俳句を作り始めましたが、暫くは会に入らず師に付かず、どこかに投句をするということもありませんでした。 切り株は地の一部なり雀の子 その頃こんな句を作り母に見せたところ 切り株は大地の一部雀の子 と添削してくれました。母は師と呼ばれる人間ではありませんでしたが、私にとっては師というか俳句世界への導師であったと言えましょう。切り株の句は私にそんなことを思い出させてくれます。(略) このように私にとってはここに並べた句全てにそれなりの背景や思い出があり愛着もあります。しかしながら俳句としての完成度は甚だ心許ないものと自覚しております。ご笑覧頂き忌憚のないご批判を賜れば幸いです。 お母さまの影響によって俳句をはじめられ、そのお母さまによって添削をしてもらった一句を本句集のタイトルとされている著者の林暁兵さんである。ご自身の俳句の出発点として大事にされている一句なのだ。 本句集の担当はPさん。 口紅の少し濃くなり夏終る 回帰線の波サーファーを乗せてくる アイロンにため息とられ秋の暮 シンバルのふたつに割れて冬来る 投函は秘め事に似て花は葉に 春光を手元に集め爪を切る 黄落や手荷物多きホームレス 青蜥蜴奴隷の積みし石の蔭 口紅の少し濃くなり夏終る この一句は、作者が「はしがき」でとりあげている句である。三人の娘さんがおられ、その娘さんについての思い出の一句であるということ。「彼女らが若かった頃そのひとりの口紅が濃くなっていることに気がついてはっとしました」とある。父親としてなかなか繊細な人間、いや娘観察である。通常そこまでお父さん気付くかなってわたしなどおもってしまうが、しかも三人の娘さんのうちの一人というのが、あなどれない。多分、いや絶対わたしの父親であったならわたしの口紅が夏の終わりとともに濃くなっているなんて気付かないと思う。この句、「夏始まる」でなく、「夏終る」であるところにその口紅の主がその心に「夏の濃密な時間の経過」を宿していることを思わせる。その口紅が濃くなったように、その心に陰翳がうまれた、そんな風にも読める一句である。 海をみにきて冬のたんぽぽに会ふ 口語的な一句である。「冬のたんぽぽ」がいい。単なる「たんぽぽ」であったらゆるい一句になってしまうが、「冬たんぽぽ」で、冬の海の厳しい寒さと冷たい色がみえてくる。深い群青の色。遠く水平線が横にはてしなくひろがっている。そんな海を見にきて、目前に冬たんぽぽを見つけたのである。この句「冬たんぽぽに会ふ」と「会ふ」としたことによって、たんぽぽが作者と等身大の大きさとなり、水平線を背景にすっくと立つたんぽぽとなった。海の紺と冬たんぽぽの黄色が目にあざやかで、そして冬たんぽぽの大きさが読者の心に残る一句である。「冬たんぽぽ」への挨拶句である。 みつ豆を少し残して浅草寺 これは、浅草と浅草寺への挨拶句である。「みつ豆」と浅草は似合いすぎるほど似合う。俳句でいうところのつき過ぎ感があるかもしれない。でも好きな一句である。「少し残して」という措辞がいい。余情がある。浅草だからいいって思ってしまう。どうしてだろう。浅草に遊びに行った。人混みの多い浅草をいろいろと見物して、小さな甘味処に入った。きっと浅草にむかしからある甘味処だろう。浅草に甘味処はデフォルトである。みつ豆を注文してそれを食べながらおしゃべりをおおいにして、いつしかおしゃべりに夢中になってしまい、帰る時刻になってみつ豆がすこし残ってしまっていることに気付く。「ああ、どうしましょう。残してしまったわ」などと心をみつ豆に残しながらもあわただしく立ち上がる。帰るにしてもまだ浅草をみておきたい。まずは浅草寺にお参りをしてそれからもう少し浅草も見て、ああ、遺してしまったみつ豆が残念、なんて思いながら浅草を去るのである。この句「蜜豆」ではなく「みつ豆」と記したことによってやさしい表情の一句となった。それもいい。 ハローワーク香水の香とすれ違ふ 好きな一句である。ハローワーク、つまり公共職業安定所、いわゆる職安である。職をもとめて人々が相談にやってくるところだ。職がないゆえに気持にもゆとりがなく、精神的にせっぱつまっている。わたしも経験がないわけではない。そんな状況で一人の人間とすれ違った。ふっと香水の香が。多分香水をつけて職安にくる人は多くないだろう、だからそれはとても印象的だった。「香水の香」と擦れ違うとし、人間の気配を消したところがこの句を軽快に爽やかにしている。香水の香りに心をとめた作者のこころも香水の主とおなじように、厳しい現実に向きあいながらも、どこかにゆとりがある。ゆとり? もっと的確なことばはないかしら。そう、「心意気」と言おう。こういう心意気って大事だとわたしは思っている。「心意気?」いやさらに「粋」と言ってもいいかもしれない。 青蜥蜴奴隷の積みし石の蔭 Pさんが好きな一句だ。「チュニジア二句」と前書きのある一句である。著者の林暁兵さんは、海外旅行をたくさんしておられ、本句集には「海外詠」と題した章を二つもうけている。チュニジアは北アフリカに位置する共和国である。わたしは行ったことがないが、古いいろいろな遺跡があるようだ。その遺跡の現場に立っての一句なのだろう。青蜥蜴が遺跡の間より姿を現した。胴体の縞模様があざやかでしっぽが瑠璃色の美しい蜥蜴だ。この句、その蜥蜴があらわれた石が「奴隷の積みし」石なのだと作者はあらためて認識をしたのだ。この言葉によって、石の蔭の陰翳はさらに深まり、作者の心象もその影に吸い寄せられるかのようだ。そして、青蜥蜴がいっそう生あるものとしての精細を放つのである。 母の手ほどきを離れてからはインターネット上での俳句という道を選びました。そのために殆ど結社とは無縁でしたが、それでもその道中いろいろの方との出会いがありました。 俳句を始めて間もなくの頃の短い月日でしたがインターネットを通じて「水煙」の高橋信之・正子両先生に切れの無い口語俳句をご指導いただきました。「心太俳諧通信」の笹心太さんには自由律俳句や連句をご指導いただきました。現代俳句協会のインターネット句会を通じて「沖」の林昭太郎さんに出逢うという幸運に恵まれ、「モノに語らせる」を教えて頂きました。皆々様に厚く御礼申し上げます。そして日々お付き合い頂いております多くの句友の皆さまに、長く辛抱強くお付き合い頂いておりますことを心より感謝し、今後とものご好誼を重ねてお願い申し上げます。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 「あとがき」に登場されている林昭太郎さんのご紹介で、この度、句集をおつくりするご縁となったのである。 本句集の装釘は、和兎さん。 落ち着いたデザインの句集となった。 花布はツートンのもの。 切り株は大地の一部雀の子 最後に「この句集を亡き母に捧げる」と陳腐な台詞を吐いて筆を擱きます。(あとがき/著者) 句集後のお気持ちをうかがってみた。 (1)本が出来上がってお手元に届いたときのお気持ちはいかがでしたか? 装丁が上品、帯の色が調和している、と大満足しました。 (2)初めての句集に籠めたお気持ちがあればお聞かせ下さい 余技で焼いた陶器が置き所もないほどの量になったのである日思い切って大半を捨てた、そして多少は未練のある作品だけ残した。 私に陶器を焼く趣味はありませんが、今回の句集の出版を総括すれば、そんな整理に近いかと思います。 6000程の句といってもエクセルファイルにして1メガの半分程、パソコンのハードディスク上ではゴミほどの量ですが、気持ちとしてはそんな感じです。 (3)句集を上梓されて、今後の句作への思いなどございましたらお聞かせ下さい。 多少はあった評価を気にしての作句から解放され、これからは周囲の評価を全く気にしないで開き直って句を詠めるような気がしています。 お写真ではなく、自画像を送ってくださった林暁兵さんである。 お目にかかったことはありませんが、とても素敵な紳士でいらっしゃるようですね。 自画像であるからご本人が描かれたもの。 絵もよくなさるのでしょうか。 亀鳴けど終る気配のなき戦 林 暁兵
by fragie777
| 2023-08-17 19:32
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