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8月15日(火) 敗戦記念日 旧暦6月29日
夕暮れの高砂百合。 またの名を鉄砲百合。 夕暮れに白さが際立っていた。 今日は敗戦忌である。 ふらんす堂のホームページの藺草慶子さんの「俳句日記」、吉川宏志さんの「短歌日記」ともどもそれについての俳句、短歌である。 学生時代にお会いしたヘーゲルの研究者でありプロテスタント教会で牧会をされていた故大村晴雄先生が、「終戦忌ではなく、敗戦忌であることを胸に刻んでおきたい」と語られたことがいつまでも記憶に残っている。 今日は午前中から仕事場で仕事。 ゲラの赤字合わせをして読み、季語索引をつくり、校正者に送る。 お隣の工事も盆休みとあって工事音も聞こえず(普段はかなりやかましい)、とても静かである。 今日はお昼を抜き、ちょっとばかりお腹がすいたので、頂きもののお煎餅を一枚食べたところである。 疲れるとバランスボールの上でゴロゴロする。 身体をうしろにそらせたりするのは気持の良いもの。 お臍のあたりがキューンと伸びる。 わたしは家でもバランスボールの上に乗っかっているので、丸い地球の上のそのまた丸いボールの上にいる時間が長いことになる。 お休みの日であるが、新刊紹介をしたい。 四六判ペーパーバックスタイル帯カバー装。218頁 二句組。 著者の吉田哲二(よしだ・てつじ)さんは、昭和55年(1980)新潟県生まれ、東京・練馬区在住。平成26年(2014)「阿吽」入会。平成29年(2017)第29回阿吽新人賞受賞、令和2年(2021)第32回阿吽賞受賞、令和3年(2022)星野立子新人賞受賞。現在「阿吽」同人、俳人協会会員。本句集は、平成26年(2014)から令和4年(2022)までの作品を収録した第1句集である。塩川京子「阿吽」主宰が、序文を寄せている。 抜粋して紹介をする。 里の子の膝まで入りし春の川 子の肩のてんたう虫をまだ告げず 遠出して父と子いよよしぐれけり 産声のひときは高し実南天 子放てばたちまち駆けて飛花落花 風鈴の揺れて山並揺らしけり 煽られてまた弧を海へ冬鷗 哲二さんの句を最初から見て来て感じるのは、石田波郷の「俳句は生活の裡に満目季節をのぞみ、蕭々又朗々たる打坐即刻のうた也」という言葉である。哲二さん自身の生活者としての確かな視点に立ち、日常の暮らしの中に訪れる季節を掬い取って一句に詠みとめているのである。(略) 句集『髪刈る椅子』一巻は、我が子の成長を俳句というフレームで切り取った、写真では表現出来ぬ十七音のアルバムでもあると私は思うのである。 たしかに本句集を読んでいくと、「父親としての我」がこの句集を貫いているように思える。 担当の文己さんが、好きな句である。 ためらひもなき子の靴よ春の泥 粧へる山粧へる老姉妹 土筆摘むだけのつもりの一日かな さはやかに豆腐の角の揃ひけり 新米の置かれし土間の静かなり いちまいの青となりたる初御空 ちりとりへ春光ばかり集めけり 朧夜や桜色なる犬の舌 ためらひもなき子の靴よ春の泥 序文でも塩川京子主宰が引用していた一句であり、わたしも好きな句である。「ためらひもなき子の靴」の措辞に、子どもの血気盛んな命の勢いを見る。「ためらひもなき子の靴よ」との叙法は「春の泥」によって裏付けられているのだ。春の泥につけられた子どもの足跡、それを見て作者は「ためらひもなき子の」靴跡を見たのである。時間の経過を逆転させて、下五に「春の泥」の季語をおいたことによって、緊張から解き放たれてゆるんだ大地とそこに躍動する子どもの命の形跡を見せ、万物が春の訪れを喜ぶさまを詠んで見せたのである。子どもの命の成長を喜ぶ作者の感動が率直に伝わってくる。 子の肩のてんたう虫をまだ告げず 作者の自選句の一句であり、わたしも好きな句である。こちらも父親の気持ちが率直に詠まれた一句であるが、これは父親でなくとも母親でも大人からみた子どもでもいいのかもしれないが、本句集の文脈でよむと、子を愛おしく思う父親の感情が伝わってくる一句だ。「いつ教えようかなあ」なんて、子どもの反応を楽しみながら肩の上のてんとう虫を見やっている。ちょっとにやにやしているかもしれない。その告げるまでの時間、そんな時間を持つことのできるのも親としてほんの一時のことなのかもしれない。子どもはずんずん育っていく。てんとう虫のことをまだ教えない時間、それを楽しむ時間、そういう時間がいかに貴重でそしてあっという間の時間であることか、取り戻すことのできない時間、なのである。告げないでいる時間は、父と子は濃密な関係でいる。告げてしまったらその濃密な時間は消え去ってしまう。「てんたう虫」であることが、その時間を持続させている。「かまきり」だったら、こうはいかない。〈親子して腕に這はす甲虫〉という句もあり、虫は父と子をつなぐかっこうの生きものである。 遠出して父と子いよよしぐれけり この句は、父のやや複雑な感情がみえる一句だと思った。序文にもとりあげられている。二人だけですこし遠くへ遊びに行ったのか。天候が不順な冬のはじめの寒い日である。子どもははじめから、「こんな日に外にいくのなんていやだ」と行ったのを久しぶりの休みを子どもと過ごそうと父親が連れ出したのだろうか。いろんなことが想像できるが、つまりは、遠くへ来たもののそれほど楽しくないのである。「時雨」に出会ってまったくさっぱりしない、ヤレヤレである。この句の巧みさは、「いよよしぐれけり」と天候を詠みながら、父と子の関係の寒々しさ、そして父親の心許なさまで見えてくることだ。お父さんのちょっといじけてしまった感もあり、情けなさそうな顔がうかぶ。 俳諧味のある一句だ。 革手袋嵌めつつをとこ来りけり シンプルなはからいのない一句である。が、好きな句である。どこが好きなんだろうかっておもったのだが、この句のもっているスピード感と緊張感がいい。まさに一瞬の景を切り取った一句だ。いま目の前に革手袋をはめつつ男がせまってくるようだ。この句、やはり「革手袋」が一句を制している。革手袋はおおかた手の形にそってピッタリとするものが多い。だから嵌めるときも集中力を要する。そんな革手袋を歩きながら嵌めるというのは、年寄りにはなかなかできない行為である、この句にはスピード感だけでなく、颯爽とした若さが潜んでいるのだ。革手袋の硬質な感触、あしさばきのスピードと緊張感、きっとカッコいい漢なんだろうなあ。バリバリの仕事人かもしれない。なかなかできるヤツなのかも。お会いするにはちょっと遠慮したくなってしまうような切れ者!? 蝶を追ふ蝶ひるがへり午も過ぎ うららかな春の余韻のある一句である。蝶が春光のなかでひらひらと飛び交っている。それを「蝶を追ふ蝶ひるがへり」と写生した。この措辞がすでに春のゆったりした時間の経過を思わせる、そして下五の「午も過ぎ」と言い放った叙法によってさらに時間の経過のなかに作者もゆだねられている、そしてそのゆるやかな時間に蝶も読者も運ばれてゆく。蝶を詠んだ一句であるが、その叙法によって駘蕩とした春の気分が生み出された一句である。好きな一句である。 校正スタッフのみおさんは、「〈首出ねば歩めぬ鳩よ凍曇〉の句に惹かれました。鳩の生態の切なさといじらしさが伝わってきます。」と。 長子が生まれてほどなくして俳句を始めたので、収録句は自然と子の句が多くなった。そこで、句集名は集中の〈青芝に髪刈る椅子を据ゑにけり〉から採った。最近では子を詠むことがやや減ったので、今回は俳句を始めてからのこの十年を振り返るいい機会となった。ずいぶん自画像的な句集になったと思う。本作には、「阿吽」に入会して俳句を始めた平成二十六年から令和四年までの句を収めている。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本句集の装釘は君嶋真理子さん。 お若い吉田哲二さんにふさわしく「緑」をテーマカラーに。 青芝に髪刈る椅子を据ゑにけり 哲二さんの句は平明だが、決して平板でも単純でもない。対象を哲二さん独自の感性で柔らかく鮮明に描いていて、余韻が残る句なのである。(塩川京子/序) 上梓後の所感を伺った。 ○句集を出版されてみて 第一句集を出された方は皆さんおっしゃいますが、初期の頃の句は恥ずかしいですね、本当に(笑)。どこまで収録するかはかなり悩みました。でも、現在よりも作り方が不十分だった分、より生々しい自分自身の生き様が見えるかなとは思います。昔のアルバムや通知表をおそるおそる覗くような感じでしょうか。 ○気づいたこと 今回初めて句集を上梓してみて、一冊の句集が出来上がる過程がよくわかりました。それで感じたのは、句集出版の第一歩は日々の句作や句会なんだということでした。 俳句を始めて十年経って、良くも悪くもこの世界に慣れてきたというか、ちょっと調子に乗っているようなところもあったと思うのですが、おかげさまで背筋が伸びました。やはり初心が大事だなと。気が早いですけど、既に次の句集作りは始まっているんですよね。 ○今後のヴィジョンは、 今回は子どもの句をたくさん収録しましたけど、実は最近はあまり作ってないんです。それはだんだん子どもが大きくなってきたっていうのもあるし、子どもの句は類型的になりがちで、手詰まり感があるからなんです。 顧みると自分が気づかないうちに、これからどうしようかという岐路に立っていたんだと思います。句集なんてまだまだ先のことだと思っていたはずなのに、今回はちょっとしたきっかけで急に思い立って句集を作ることになりました。もしかしたら一度自分をリセットするために、丁度いいタイミングだったのかもしれません。 ところで、少し前に千葉皓史さんがふらんす堂様で第二句集を出されて、この編集日記にもコメントを寄せていらっしゃいましたよね。千葉さんがおっしゃるには、「作者と作中主体は同一ではない。そこは演技のような関係なんだ、客観性が大事なんだ」とのことでしたが、ウーンと考えさせられました。 千葉さんの言葉はまだ完全に消化できているわけではないのですが、何か大きな示唆をいただいたような気がしました。私は人生自体が大きな演技ではないかと思うときがあるのです。その立場から考えると、今後はいわゆる三枚目の俳句を詠んでいきたいですね。二枚目の俳句はカッコイイかもしれませんが、私はシリアスな顔が苦手なので。 吉田哲二さん ご来社のときに 吉田哲二さま 率直なお気持ちをうかがうことができたのはうれしいです。 意欲的で前向きな姿勢が素晴らしいと思います。 三枚目の俳句というのは、俳諧性に富んだということに受け取りました。 第二句集へむけて、さらなるご健吟をお祈り申し上げます。 そして再びご縁がありますように。 誰もいない今日の仕事場。 そしてわたしのデスクトップの散らかり様。。。。 ![]()
by fragie777
| 2023-08-15 18:17
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