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8月13日(日) 寒蟬鳴(ひぐらしなく) 旧暦6月27日
![]() 熱帯の睡蓮。 久しぶりに神代植物園に行き、温室に入ってみた。 そこに咲いていた熱帯地方の睡蓮 全部で40種類以上があり、名前とともに一つ一つ紹介をしていた。 日本の睡蓮よりいろいろな色がある。 温室の中はかなり蒸し暑く、早々に退散。 外のほうが風がある分涼しいように思えた。 すこし歩くと雷が鳴り出した。 傘をもたずに来たので、急ぎ自転車乗り場へと向かい、ほぼ16,7分くらいのところを超特急で自転車を走らせる。 家まであと5分というところで豪雨にあってびしょぬれ。 いやはやトホホホである。 神代植物園は、今日の72候のごとく、蜩がほかの蝉声を制して耳に迫ってきた。 蝉声の大音響の世界だった。 百句シリーズが充実しつつあるが、間もなく五島高資著『平畑静静の百句』が校了となる。 五島高資さんが、ツイッターでカバー写真とともに、この本の刊行を告知してくださったところ、平畑静塔のお孫さんで医師である平畑光一さんが、「おじいさんの本がでるそう、楽しみである」とリツーイトをされたことを知った。そしてたくさんの反響。 その本も、9月上旬には出来上がってくる予定である。 いま再校ゲラが整いつつあるのが、「原裕の百句」である。こちらはご息女で俳人である原朝子さんの執筆によるものである。 肉親であることゆえの情報も生かしながら、原裕という俳人を冷静に理解しつつその俳句についての情報もとりいれ、充実した一冊になると思う。 「鹿火屋」後継主宰した原裕は、評論もよくし俳人としてさらなる円熟期を迎えようというときに急逝をされたのだった。享年69 ふらんす堂では、精選句集『風土』とエッセイ集『四季の小文』(ともにふらんす堂文庫)を上梓しておられる。 鷹羽狩行、上田五千石などとほぼ同世代であり、俳壇の中心的メンバーのお一人であった。 原裕(はら・ゆたか)茨城県太田村(現・筑西市)生まれ。本名昇。(略)書店で「鹿火屋」を見て投句。1949年上京して鹿火屋俳句会に参加、原石鼎の知遇を得て「鹿火屋」の編集を手伝う。51年、石鼎永眠後、夫人原コウ子の要請により養子縁組をし、俳号を「裕」に改めた。74年、コウ子より主宰を継承。 新鮮で柔軟な発想を推進しながら着実重厚な作風を確立する。石田波郷、加藤楸邨に私淑して多くを学び、諸橋轍次からも薫陶を受け、晩年は泉岳寺での座禅体験も加えて、人間と自然のなつかしさを表現することに努めた。後進の育成にも努力した。(倉橋羊村執筆担当・『現代俳句大事典』(三省堂)より』 その作品はもっと読まれてよいのではとつねづね思っていたので、こうして原朝子さんの執筆によって「原裕の百句」が刊行されることはとても嬉しいことである。 このお盆休みをの合間に目下赤字合わせを終えて、校正者に送りたいと思っている。 酒含みゐて新涼を分かつなり 原 裕 「原裕の百句」より。 温室には、こんなデッカイサボテンも。
by fragie777
| 2023-08-13 21:06
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