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8月10日(木) 旧暦6月24日
友人たちと炎天下をあるいていたら、白い花がびっしりと咲いていた。 「なんだろう」 「柑橘系よ、この感じ」 「ああ、これって金柑の花だよ。ここに金柑の実がいっぱい生っていたじゃない」 ということで、 金柑の花。 離れて眺めやると、とても小さな花である。 明日からほとんどの会社がお盆休みとなる。 ふらんす堂も明日から15日までお休み(わたしは昨日まで、明日が休日であること知らなかった。ガンガン仕事をするつもりでいたのね) 印刷会社の営業マンのKさんがやってきた。 休日の話になった。 「Kさん、この休みの予定は?」と聞くと、 「そうですね、第一日目は長男をつれて八ヶ岳に行きます。そして第二日目は富士山。三日目は高尾山ですかね。」 ただし、Kさんの場合、山登りや山歩きではない。 山を走るのである。 登山ランナーなのだ。 おそるべしである。 183センチのガタイのいいKさん。 それはもううれしそうに語る。 信じられます? 富士山を走るなんて。。。 しかも競争をするらしい・ 「なに、それ! 人と競うわけ?」って聞いたら、 「まあ、そうですが、つまるところ自分との戦いです」とKさん、胸を張った。 その話を聞きながら、わたしは精いっぱいノラクラしようって思った。 常日頃以上に自分をあまやかせてやるぞー! というわけで新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装帯有り 130頁 二句組 著者の金村眞吾(かなむら・しんご)さんは、1939年東京生まれ、現在は神奈川県川崎市在住。1953年の中学生のときに俳句をはじめ、1983年「冨士」入会、吉野麓人に師事、1985年「初蝶」入会、細川加賀に師事、1990年「天為」入会、有馬朗人に師事。という長い句歴の持ち主でおられる。俳人協会会員。本句集は第3句集である。 「あとがき」に、 『日日抄』は『柿』『菊膾』につぐ私の第三句集です。 二〇〇七年~二〇二三年までの句から二一四句を選びました。 とある。約16年間の作品を厳選して一冊にまとめられたのである。 本句集は、編年体ではなく、新年・春・夏・秋・冬の四季別の編集構成となっている。 本句集の担当は、文己さん。 元朝や一分ながく歯を磨く 妣の名を呼べば雲湧く初山河 竹の秀の風に雨知る端居かな あぢさゐの白に雨来てむらさきに 初雁や身ほとり囲む加賀言葉 躓きし石に綿虫生まれけり 文己さんの好きな句である。 元朝や一分ながく歯を磨く 新年の句である。元旦の朝はきっといつもより念入りに歯を磨かれるのだろう。それを「一分ながく」と具体的に詠んだのがおもしろいと思った。一分というのは、いつもより長く歯を磨く時間としてまさに適正であると思う。30秒じゃちょっと短いし、二分じゃ長い。まさに一分がころあいである。「元朝」という季語を配したことによって粛々とした朝の気がただよい、また俳句にある「が」の濁音が句に落ちつきを与えているように思える。声に出して読んでみると、この「が」の音がここちよく、「ながく」と「磨く」のことばが一句にきもちのよいリズムを与えている。すぐに覚えてしまいそうな一句である。 祖母の手はいつも汚れて桃の花 これはわたしの好きな一句である。野良仕事に精を出しているおばあさんなのだろう。日々土にまみれた手は日焼けもし幼かった作者にとっていつも汚れている、という記憶しかないのかもしれない。この一句は、「桃の花」がすごくいい。その汚れた手を救済するかのように明るくふっくらと咲いている。そして働き者の祖母をやさしく照らしているかのようである。梅の花でもなく、桜の花でもなく、親しみやすい桃の花であることによって、その祖母の汚れた手をいとおしむ作者の心がみえる。汚れた祖母の手をかなしむ作者のこころも桃の花によって救済されている。 初蝶や貧しさほかに取り得なく やや変わった叙法かもしれないが、好きな一句である。貧しいということを恥じるわけでもなくそれを「取り得」として自負している作者は自然体である。なによりも「初蝶」がいい。早春のひかりをまとって初蝶があらわれたのだ。その初蝶にみあうものとして自身の貧しさがある。その貧しさを初蝶に誇ろう。「初蝶」と「貧しさほかに取り得な」き我。そのふたつを早春の光がやさしくつつみこんでいる。 寝返りのまた寝がへりの虫の闇 よくわかる一句である。旅先なのだろうか、小さな旅館に泊まった。さっきから虫の声がよく聞こえる。かなり激しい鳴き声だ。まっ、寝てしまえば聞こえなくなるさ、なんて高をくくって寝てはみたものの、鳴き声はやむことなくいっそうはげしくなった。何度も寝返りをうちながら眠れない作者像がみえてくる。この一句「虫の闇」としたことによって、虫声の呪縛にとらえられ肉体を呻吟させている様子がよく見えてくる一句となったと思う。リフレーンが効かした巧みな一句だとおもった。 綿虫を鼻に遊ばせ老いてゆく 文己さんは、〈躓きし石に綿虫生まれけり〉を好きな一句にあげている。こちらは作者の実体験だろう。こちらもいい句であるとおもうが、わたしは、鼻の綿虫を選んでみた。このノンシャランとした構えのない生きるスタイルがいい。まさに「貧しさを取り得」とされている作者に通じるものがあると思った。綿虫というたいへん小さなふわふわした虫、俳人たちが好む虫である。そんな虫を鼻に遊ばせるなんて、しかも手とかじゃなくて「鼻」にというのがユーモラスである。この「鼻」は、綿虫の飛びそうな高さがみえてきて一句として現実的であるのだ。「老いていく」の向こうに飄々とした作者像がみえてくる。 校正スタッフのみおさんは、〈日の枝に毛虫丸まり哭きにけり〉の句に惹かれました。 気持ち悪がられることの多い毛虫ですが、この句では何だかかわいらしいですね。 題名の「日日抄」は細川加賀先生の「初蝶」(昭和)、有馬朗人先生の「天爲」(平成)に詠み続けた日々、有馬朗人先生逝去以後も変わりなく一途に日日詠み続けたい願いを込めて選びました。 「あとがき」に書かれているが、「日日抄」という題名はこの作者に本当にふさわしいものだ。 装釘は君嶋真理子さん。 シンプルに仕上げたいという金村眞吾さんのご希望をかなえるかたちで装釘をしてもらった。 タイトルは黒メタル箔。 カバーの表は、タイトルのみ。 俳句は全人格の投影である―――細川加賀 写生は観であり、感である―――有馬朗人 俳句は自惚れの文学である―――金村眞吾 帯に記されている。 表紙は背のみにシンプルに。 扉もシンプルに。 俳句の始まりの柴崎草紅子先生、有季俳句の手ほどきの吉野麓人先生より細川加賀先生、有馬朗人先生に一七音の宇宙に誘われて厳しさを、楽しさを教わり、良き知遇を得て、よき晩年を授かり心より感謝申し上げます。(あとがき) ご上梓後のお気持ちを伺ってみた。 上出来に感謝申し上げます。 ふらんす堂刊の『日日抄』を「天爲」の仲間に大変褒められて喜んでいます。 第三句集により良き最晩年であることを期待しています。 ありがとうございます。 お言葉も短くシンプルに思いをこめて。 満天の星に溺れて案山子かな 旅好きの死後渡るべし天の川 あの星は手編みセーターくれし人 金村さまは、夜空をながめるのがお好きのようですね。 「星」の句がたくさんありました。 秋になって星空が美しい季節をむかえます。 さらに星の句をたくさん作ってくださいませ。 昨夜、天井をはっていた守宮のこども。 あらって言ったら、すこし動き、様子をうかがう。 かわいい。 蜘蛛のアキレスがいなくなってしまったので、 この子と友だちになれないかなって思っているのだけど。
by fragie777
| 2023-08-10 19:54
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