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8月3日(木) 旧暦6月17日
ご近所の丸池公園にある田圃。 この田圃はこの周辺の三鷹市の小学校の生徒たちのものだ。 案山子がそれぞれの小学校の名札をさげている。 この案山子の顔がとくに気に入った。 今は青田であるが、収穫の季節になると黄金色に色づいて、子どもたちによって収穫されるのだ。 子どもたちが働く風景をみてみたいともおもうのだが、わたしがここに来るときはいつも休日か、夕方遅くである。 一度も子どもたちに会ったことはない。 田植えの風景も稲刈りの風景も見たことがない。 吉川宏志さんによる今日の「短歌日記」を拝読して、すこし切なくなってしまった。 文章は、郷里で一人暮らしておられるお父さまのことに触れている。 はやく終わりにしたいけど、いまは頑張って生きるという父がいる。 きっと、息子である吉川宏志さんの胸には遠く離れてくらすお父さまのことがいつもにあるんだろうなあって。 そして、短歌をふたたび読むとなんとも言えない哀しみがひろがる。 新聞記事を紹介したい。 7月18日づけの神戸新聞の山田六甲さんによる「句集」紹介では、山口昭男句集『礫』がとりあげられている。 タイトルは「常人にない比喩表現」抜粋して紹介したい。 風ほどくやうに早乙女歩みゆく 「風ほどくやうに」という表現におどろく。私は比喩の表現はよほどの独自性がないと認めないが、この作品は新鮮。早乙女というのは田植えに従事する女性で古くから女手が主力にもなっていた。(略) 毛の中に犬の顔あり夏木立 夏木立の作品は「犬の顔が毛の中にある」という発見も俳句の大事な要素で、毛深い犬をみて顔が毛の中にあると思えたのも常人にはできない。夏木立とは夏の(青々と、また深々と)生い茂る木立のことで毛深い犬と通うものがある。 とにかくこの句集には優れた句が多く、学びたいと思う俳句を作る人たちに大いに参考になる句集。 7月29日付けの毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、大牧広の俳句から。 缶ビールかちりと旅のはじまりぬ 大牧 広 「こういう旅をしたなあ、と懐かしい気分になっている。もちろん、昭和の旅だ」と坪内さん。朝からビールを飲んで旅の解放感を味わうんですって。この一句、『大牧広全句集』によると、第8句集『正眼』に収録されている。『正眼』は平成28年(2014)の刊行。大牧先生は平成の時代もこんな風にのどかな旅をされていたのかしら。きっと俳句仲間との楽しい吟行旅行だったのでしょう。 今日の毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、山口昭男句集『礫』より。 お習字の長き机や百日紅 山口昭男 「江戸時代の寺子屋という風景である。」と坪内さん。そして司馬遼太郎の『世に棲む日日』の主人公・吉田松陰のことに触れている。その勉強の仕方をについてのことだ。「朝食がすむと兄といっしょに畑へ行き、あぜ道に座って素読した。畑を打っていた父が時折寄ってきて必要なことを教えた。いいいなあ。」と坪内さん。ほんとうにいいですねえ。 余談であるが、もうだいぶ前にこの司馬遼太郎の『世に棲む日日』を読んで、吉田松陰を思う(?)旅をした。 大学時代に行った津和野や萩にふたたび行き、松下村塾をたずね、山口市にある司馬遼太郎の定宿にとまり、レンターカーを借りて下関まで行き高杉晋作をおもったりした。 『世に棲む日日』は司馬遼太郎の著書のなかでもとりわけ好きなものだ。 この本をきっかけに吉田松陰について書かれた別の本などもいくつか読んだりしたが、この『世に棲む日日』に登場する吉田松陰が一番すきである。 ときどき乗ることのある世田谷線に、松陰神社前駅という駅があって、吉田松陰の墓所があるらしい。そこをとおりすぎるとき、若くして切腹した吉田松陰のことをたいてい思う。だけど、下りたことはない。 この目。。。
by fragie777
| 2023-08-03 19:02
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