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7月25日(火) 大阪天神祭 旧暦6月8日
炎天下の白き象。 練馬区立美術館にて。 蜻蛉もいる。 この日はたいへんな猛暑だった。 今日はドアのところに蟬が仰向けになっていた。 「蟬も熱中症か!」 とおもったスタッフのPさん、さっそくその仰向けをもとにもどして、水をあげた。 すると、 「いらねー!!」とばかりにすごい勢いで飛んでいった。 「熱中症じゃなかった……」とPさん。 余計なお世話だったかも。 Pさん曰く、「ふらんす堂のナウシカを目指している」と。。。 24日付けの毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、吉岡麻琴句集『琴柱』より。 日雷さて本題に戻りませう 吉岡麻琴 「あっ、雷!」と皆の関心が雷に移り、ひとしきり雷の話題で盛り上がり、「さて本題に」となった情景、と坪内さん。 「日雷」は、「日照りの前兆だともいう」と。 最近の猛暑つづきのうえ、東京はほとんど雨が降らない。 わが家の植木もつらそうである。きわめてすぼらなyamaokaであるが、このところ朝早くおきて水撒きにはげんでいる。 毎朝というわけにはいかないがすくなくとも一週間に二度ぐらいは水をあげたいって思っている。 虫のみならず、木々だって熱中症になってしまう。 今日は新刊紹介をしたい。 46判ハードカバー装帯あり 180頁 二句組 著者の大下綾子(おおしも・あやこ)さんは、1960年生まれの、東京にお住まいの方である。2002年より作句をはじめられた。2020年に句友の奈良雅子さん、望月和美さんとの合同句集『漕ぎ出でよ』を上梓されている。 今回は、個人句集としての第1句集を上梓されたのである。2003年から2022年の20年にならんとする句歴より精選された句集『未知なる島へ』である。 日常のささやかな心の動きや、ふと目に留まったことが蒸留され、十七音の器に収まると、何やら不思議な気もします。ご縁に恵まれて四十代から始めた俳句が二十年余り身に添い続けてくれるとは、思っておりませんでした。 「あとがき」にこう書く大下綾子さんである。 本句集の担当は、文己さん。 文己さんの好きな句は、 メモよりも多く買ひ来て年の暮 松茸のやはらかき土はらひけり ぶらんこや空の色身に満つるまで 桜ごと暮れゆく町へ帰り来し 髪切つて歩幅大きく秋の空 存分に泳ぎし手足長きかな 松茸のやはらかき土はらひけり 松茸狩りをしているのだろうか。とりたての松茸の土をやさしく払う、その手つきがみえてくるようだ。わたしは残念なことに今日まで松茸狩りをしたことがないので、いまYouTubeで見てみたところ木の根元などの土が盛り上がってやわらかそうなとこに生えている、それをそっとカッターナイフのおおきヤツで土から剥がすようにとる、そもそも松茸はやわらかくてふっくらしている、それを傷つけないようにとるわけだ。湿ったやや暗いところに生えるので、その湿った松茸についている土をやさしく払う。この句の眼目は、「やわらかき土」であると思う。土の感触を詠むことによって松茸の物質感も詠みこんでいるのではないか。やわらかな土に生えている松茸であるが、松茸そのものもやわらかなものである。土をよむことによって松茸そのもの質感もみえてっくるそんな一句であるとおもった。 桜ごと暮れゆく町へ帰り来し この一句は、わたしも立ち止まった一句である。中7下5はどうっていうことないことを詠んでいる。暮れゆく町へ帰ることはよくあることだ。しかし、この「桜ごと」の上5の措辞が、なんとも目を開かせる。満開の桜が咲き満ちている町、大都会ではない、町全体が遠望できるような小さな町かもしれない。その町全体がうすピンク色になって見えるのである。「満開」とも、「咲き満ちている」とも詠まず、「桜ごと」とは大胆な措辞だ。しかし、まさに的確でありこれ以上の措辞はないと思う。その桜が咲き満ちている町が夕日で染められている、もう間もなく暮れてゆくのだ。こうして一日が終わっていくように、いまを盛りと咲く桜もやがて終わっていく、そんなあはれを心に呼び起こすような一句であると思う。 あたたかや路地の先にも道のあり この一句、多くを語っていないのだけど好きな一句である。物理的なあたたかさだけでなく、心情的なあたたかさも感じる一句である。どうしてだろう。それは思うに、この一句の作者が物理的なあたたかさのみならず、その気持ちにおいてもあたたかさを感じているからだろう。春になったその気温のぬくもりを喜びながら路地にさしかかった。日ざしに満ちている小さな路地、そこを歩いていくとさらに道がみえてきた。あら、こんなところにも道があったわ、なんて発見をよろこぶ心も春になったことを喜んでいる。春の日を存分に浴びながら思わぬ道をあるいていくことも楽しいのである。まさに春ならではの一句だ。 手相見とふと目の合へり夕時雨 おもしろい一句。手相見を俳句に詠み込むことはなかなかないが、路上にいる占い師さんと目があってしまうっていうことはよくあることだ。この一句、占い師を具体的な「手相見」とすることによって句にリアル感がましている。また「手」と「目」という人間の肉体の一部が詠まれていることもおもしろい。そしてこの一句、けっこう暗い一句だと思う。その暗さは「夕時雨」という季語にあるんじゃないだろうか。手相見の暗き眼差しと心に屈託のある人間の目が、寒々しい小雨のふる夕暮れに一瞬交差したのである。なんとも暗いなあ。やるせないような沈鬱さを感じてしまう一句だ。それはやはりひとえに「夕時雨」の季語によるものだと思う。 湯上りのやうな満月上りけり 「湯上りのやうな満月」って詠まれてもいったいどんな満月かなかなか説明できないが、でもなんとなく分かる一句だ。あたたかそうで湯気をたてているような満月か。。ともかくも、心がポッカポッカして和んでくるような満月を作者はみたのだろう。見上げている満月に対して、ある充足感を感じながらその自分がみている満月をなんとしたら言い得るのか、そんなことを呻吟して「湯上りのゆうな」という言葉が作者に舞い降りたのだ。まさにそんな感じ。その作者がうけた感銘は、この一句をみているとじわじわと読み手にも伝わってくる。いい満月だったのだなあって。わたしも見てみたい満月。。。校正スタッフのみおさんもこの一句がお好きと。きっとみおさんもこんな満月を経験したいって思っているんだと思う。 二〇一五年からは、中学・高校の同級生お二方が句友にもなってくれました。 その奈良雅子さん、望月和美さんと、二〇二〇年に還暦を記念して合同句集『漕ぎ出でよ』を上梓できたことは、大きな喜びでした。 本句集の二〇一五~二〇一九年の句の多くは、『漕ぎ出でよ』既出です。 「あとがき」を紹介。 本句集は、合同句集『漕ぎ出でよ』同様、君嶋真理子さんの装釘である。 大下綾子さんは、君嶋さんの装釘をたいへん気にいっておられるのだ。 ブルーが美しい一冊となった。 タイトルは金箔押し。 花布は紺。 しおり紐は、明るいブルー。 星涼し未知なる島へ丸木舟 表題となった一句である。 世界のあらゆる地域が平和でありますように、個人としてはなるべく長く元気に俳句を詠めますように、願って止みません。 これまで句座を共にしたすべての方へ感謝申し上げます。(あとがき) ご上梓後の所感をいただいた。 句集をまとめるにあたり、お世話になりました横尾さん、君嶋さん、校正の方に御礼申し上げます。 ほぼ20年分ですから、幼い句も出来はともかく思い出があり掲載した句も多々あります。それでも、生き生き詠んでいるなと、かつての自分を微笑ましく思いもしました。 私には子どもがおりませんで、ごくささやかながら生きた証を残せたことに、安堵に近い感情を覚えています。 一句でもどなたかの心に届くことがありましたら幸甚に存じます。 今後は深みのある句を詠めるようになりたいと思っております。 大下綾子さん。 ご来社のときに。 第1句集のご上梓、おめでとうございます。 合同句集をおつくりしたときに、単独の句集を是非にとおすすめして良かったと思います。 同じ句であっても、合同句集でよむときはまた別の味わいがあり、やはりどの頁を繰ってもその人の顔がありますね。 第2句集にむけて、さらに未知なる俳句へむけて、ご健吟をお祈り申し上げております。
by fragie777
| 2023-07-25 19:17
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