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7月14日(金) パリ祭 旧暦5月27日
ダリアの花。 神代植物園にはたくさんのダリアの花がある。 それぞれに、ゆゆしき名前がつけられている。 ダリアの花は好きな人とそうでない人とがはっきり別れる。 太陽が似合う花である。 思うにどの花もちょっとびっくりしているような。 花ことばは、気品、華麗ですって。 俳人の津川絵理子さんに、「猫が死んでしまったあと、アシダカグモと仲よくしています」ってメールをしたところ、津川さんのメールに、 「アシダカグモは・・・私の最も苦手とする生物ですが、 彼らはゴキを食べてくれるので、いいやつなんですよね。 インドからはるばるやってきて、異郷で暮しているのですから健気です。」 とあった。 さすが、津川絵理子さんはくわしい。 やはりゴキブリを食べてくれるのか。 そしてインドからやってきたとは。 しかし、昨夜も「アキレス-!」って呼んだのだけど、出て来なかった。 もう会えないかもしれない。。。。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装帯なし 184頁 二句組 著者の堀かをるさんは、1937年東京生まれ、世田谷区在住。2000年俳誌「ra羅(ら)」(飯島ユキ代表)創刊に加わり入会、現在に至る。本句集は第1句集で、序文を飯島ユキ代表、栞を作家の太田治子さんが寄せている。また、お仲間の石塚秀雄氏による俳句の英訳も収録している。 ふらんす堂が堀かをるさんの句集をおつくりさせていたくことになった経緯は、飯島ユキ代表の紹介である。堀かをるさんは、成城にある老舗菓子店「成城凮月堂」(大正7年創業)の女主人であるのだが、わたしは成城にいくたびにこのお菓子屋さん「あんや」で食事をすることが多かった。 「あんや」は駅のそばにあって、和菓子などで有名である。わたしは、ここに10年以上通っているかもしれない。いやもっとかも。 ときどきこのブログにお店を紹介をしたりしていたのだが、ある時、飯島ユキ代表が、ご連絡をくださり、わたしがよく行くお店の女主人堀かをるさんを紹介してくださったのだ。そんな経緯のなかで作られた句集である。 飯島ユキ代表の序文から抜粋して紹介したい。 成城学園前駅の前にある老舗菓子店「成城凮月堂」の店頭での出会いからはじまり、かをるさんとのお付き合いは六十年を越す。 詩、短歌、小説、絵画にはじまり書道、茶道、華道、などの伝統的分野にも精通し、さまざまな才能にめぐまれたかをるさんであるが、それは本人の天性の素質ばかりでもなく、真摯な努力もあってのことだろう。 また、成城という土地柄、福永武彦や水上勉など多くの文人との交流があったことでも知られているかをるさんが、本格的に俳句を始められるようになったのは、俳誌「ra羅」の創刊によるが、はじめて、かをるさんの句に接したときの驚きと戸惑いを私は今も忘れない。それまで私が触れてきた句とは異なる世界であったのだが、たおやかな女性であるかをるさんの奥に秘められた情念を知り、また身の内に勁さを感じた。後に好きな俳人は加藤三七子氏だと聞き、さもあらんと納得した次第である。 長い間、短歌に親しんできたかをるさんの、古典を裏付けにした俳風は、時に艶やかで、どこか妖しげで、「ra羅」にあっては異色であるが、これらの句を私は「かをる風」と称している。 名付けしは薫風よりと父の言ふ ものの芽をほぐして風の艶やかに 葱坊主愚直に生きて風まかせ あやまちを風に許され芥子の花 らいてう忌白一色の街の風 凩や風来坊を友として 老舗菓子店の女主人として交流の広い堀かをるさんである。栞はそのお一人である太田治子さん。 何よりも、かをるさんは母性の人だと思う。「山紅葉全山腕に抱きたし」という一句から、大いなる母性を感じる。 これからのかをるさんの句は、どうなっていくのだろうか。思い出を蛍袋にひとつずつ詰められたかをるさんに、そっとその袋をあけて美しい句にしていただけることが、楽しみでならない。 「栞・母性の人」より後半の部分を紹介した。 葱坊主愚直に生きて風まかせ 飯島ユキ代表も序文にあげている一句だ。「風の譜」という句集名からもわかるように、著者には風を詠んだ句が多い。序文にあげられている句も風の句である。そのなかでこの「葱坊主」の一句は、わたしも好きな一句である。老舗のお店を切り盛りしながら、成城という高級住宅地の文化的な環境で生きてこられた堀かおるさんである。その佇まいからはおよそ「愚直」という言葉が似合わないゆえにこの「愚直に生きて」にはハッとさせられる。そうか、豊かな暮らしのなかで店をきりもりする女主人として自身を振り返ったとき「愚直に生き」ている自分をあらためて認識したのだ。「葱坊主」の季語がその気づきをあたたかく支えている。下5の「風まかせ」が「愚直」と言いながら、そんな自分をやんわりと微笑んでいる、一種の洗練をわたしは堀かをるさんに思うのだ。 唄はねば母は遠のく手鞠唄 「母恋い」の一句である。老舗菓子店のお嬢さんとしてご両親に愛されて幸せに生きてこられた堀かをるさんである。かつて母が手鞠をつきながら唄った手鞠唄がいまも耳に残っている。その歌を口すさむとき、母の面影が鮮明に甦るのだ。それほど、作者の心に焼き付いている手鞠唄である。しかし、時間の経過とともに遠のいていく母の面影、その面影を手繰り寄せるように堀かをるさんは手鞠唄をくちずさむ。〈コスモスのひとつ色濃し母眠る〉という句もあって、この句も好きだ。「ひとつ色濃し」がいい。確かに秋桜は同じ株であっても色に濃淡がある。その特に色の濃い秋桜に心が止まったのだ。その色の濃さが作者の母への濃密な感情となって詠まれている。この「母眠る」は、永眠の母であろう。この句につづいて、〈秋桜こゑなき風や母遠し〉という句もあって、秋桜と母は作者にとって切っても切れないものなのだろう。堀かをるさんは、太田治子さんが書かれているように「母性の人」でもあり、また深く「母を恋う人」でもある。 風薫る私の椅子は定位置に 風を詠んだ句のなかで、わたしはこの句がいちばん好きかも知れない。初夏の緑が美しい季節、まさに薫風となって風が吹いてくる。いつもすわっている椅子にいて、風を楽しんでいる作者がみえてくる、それのみならず、この句の「中7下5」によって、ご家族の関係性においてもゆるがない存在としての堀かをるさんを思う。薫風の季節のみでなく、台風の吹き荒れる季節、秋風のふく季節、寒風の季節、春の嵐の季節、すべてにゆるがない定位置にいて静かに微笑んでいるかをるさんをわたしは思う。そんな風にしてお店をささえ、家族をささえて来られた方である。 人を恋ふ思ひ直線寒昴 句集のおしまいの方におかれた一句である。「直線」がいい。この「直線」という言葉が読み手にも突き刺さってくるようだ。また、「寒昴」もいい。まっすくに見上げる目線の先の寒昴、「人を恋ふ思ひ」という措辞は、やや甘いけれど、この「直線」と「寒昴」によって、それが作者の嘘のない一途さへと導かれる。そしてそれは一途であってもそれほど甘やかなものではなく、厳しいものであることも「寒昴」が示しているのだ。 句集『風の譜』は、私の第一句集となります。平成十二年から令和元年までの俳誌「ra羅」へ投句したものを精選収録したものです。 句集刊行に当たりましては、「ra羅」代表の飯島ユキ先生には懇切なるご序文とご選句を賜りました。飯島ユキ代表は、お若いころより成城に住まわれ、私どもの経営する「成城凮月堂」に足繁く通って来られました。それがご縁となって私の「ra羅」への投句が始まったのです。 この度の上梓に際しましては、飯島ユキ代表をはじめ、栞文を寄せて下さいました太田治子様、並びに俳句を英訳して下さいました石塚秀雄様に心より御礼を申し上げます。 また、私を今日まで支えてくれた家族たちひとりひとりに感謝を伝えたいと思います。そして、誰よりもこの句集の出来上がりを楽しみにしてくれていた夫・貢は、この句集を手にすることもなく、一昨年五月に逝去致しました。この句集を夫の霊前に感謝をこめて捧げたいと思います。 「あとがき」を紹介した。 実はこの句集の制作過程で、ご主人の貢さまが亡くなられたのだった。 本句集の装釘は、君嶋真理子さん。 ブックデザインをしてもらうにあたって、一つおねがいされていたことがあった。 それは、成城凮月堂の包装紙を装釘に使用すること。というものである。 その包装紙は、飯島ユキ代表の序文によると、 「かをるさんのご子息である三代目社長の義父で日本画家、小泉淳作氏の画が使われ」たデザインであるということ。 包装紙と冊子「成城ものがたり」 この冊子作りには、かおるさんがおおいに関わられたということだ。 君嶋真理子さんが、色もおなじようにして美しく装釘をしてくれた。 タイトルは金箔。 表紙のクロスもピンクに。 見返しは金銀の箔を散らしたもの。 扉。 口絵の著者像。 画家、織田廣喜によるものである。 織田廣喜は生前、堀かをるさんと親交があった。 大分前になるが、わたしも織田廣喜をこの辺で見かけることがあった。 奥さまと手を組んで静かに散歩をされていた姿だった。 水仙の香りに埋みデスマスク Sweet scent of Daffodils, Decorate a death mask Of my dear friend. 花布は金。 すびんはピンク。 あえかなる風の譜にのり柳絮舞ふ 風から知る四季の移ろいを詠うだけでなく、時には自分の生きようを風に重ね、作者の時々の気持ちが風を通して伝わってくる。また、それらの風は、作者をかつての文学少女に戻らせたり、癒したり、鼓舞する風でもある。(飯島ユキ/序) 句集上梓後のお気持ちを伺ってみた。 飯島ユキ先生による選句も、自身の納得のいく作品を網羅していただき、こころより感謝するばかりです。 幼いころよりずっと、「無口な子だ」「変わった子だ」と言われ続け、想いを言葉にできず泣いてばかりだったが、俳句では言葉が湧き出るように思いを表に現すことができました。 俳句に出会わせていただき、その後もずっと助けていただいた飯島ユキ先生と太田治子先生は、神様が遣わせてくださった方なのではないかと、感謝しております。 堀かをるさん。 (2019年9月7日、ご来社されたとき) 冊子「成城ものがたり」について、紹介しておきたい。 この冊子のマップは、堀かをるさんの情報を基に作成されたものであるということ。 成城に住んだ文化人たち。 平塚らいてう、柳田國男、成瀬巳喜男、瀧口修三、黒沢明などなどたくさんの人たち。 最近亡くなった大江健三郎も成城の住人だった、(仙川でみかけたことも) また、画家・横尾忠則さんを「あんや」でときどきお見かけした。 上段は「文庫本片手に成城散歩」とあり、成城の住人の本や、成城に関わる本などが紹介され、下段は「まちの記憶にふれる場所」としてギャラリーや教会、庭園などが紹介されておりその一つに成城凮月堂もある。 成城に行かれることがあったら、ぜひ「あんや」に寄って、あんみつを食べてみては。 寒天の風味、餡のやわらかさ、黒蜜のあまさ、最高である。 スタッフのPさんが、あんまり紹介しないで、と言っていた。 「混んじゃうといやだから」って。 和菓子もすぐに売り切れになってしまうほど、美味しい。 堀かをるさま、 とうとう出来上がりました。 すこし時間がかかりましたけれど、手にとっていただけてうれしいです。 美しい一冊になりました。 ご子息のおつれあいである堀澄子さまには大変お骨折りをいただき、感謝しております。 待ち望んでいた方々に読んでいただけますように。
by fragie777
| 2023-07-14 19:53
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