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7月10日(月) 浅草四万六千日 旧暦5月23日
神代植物園の睡蓮。 前にきたときよりたくさん咲いていた。 お暑い日々、すこしでも涼しくなればと思い、水に咲く花を。 藺草慶子さんの今日の「俳句日記」を読んで、ああ、今日は浅草の「ほおずき市」だってことを知った。 一度だけ、友人たちと行ったことがある。 おびただしいほおずき、そして人混み、暑かったことは覚えている。 ほおずきは買わなかった。 新刊紹介をしたい。 本シリーズのいままでの編集のありようとすこし異なり、松平さんは、本著を12章にわけてそれぞれにテーマをたてた。テーマに目をとおすことによって、与謝野晶子の人生がおおむね展望できるというしくみである。与謝野晶子の人生における心の動きを中心に歌集から歌を紹介し、それを鑑賞されている。 与謝野晶子という世に知られた歌人を、その知られざることもふくめてあらためて新鮮に読ませようというはからいである。 松平盟子さんが、どんな編集意図をもってこの「百首」に臨んだか、まずは解説の部分を紹介しておきたい。 晶子短歌が好きだ、心惹かれるという読者には、『みだれ髪』以後の歌の変化や深化も本書で知っていただきたい。歌集、詩歌集の数は実に二十冊を超えるからだ。評論集なども多数で、歌人に留まらぬ幅広い文学活動を続けた意志と、一方で味わった多難な人生に生起する苦悩は、中年期を経て複雑で微妙な彩りを歌に与えた。生涯で五万首とも言われる歌数の多さは確かにおどろくべきことだが、それ以上に光と影のそれぞれを含んで多様な歌世界を作り上げている。晶子短歌を知りたい理解したいと願う読者のささやかな水先案内が本書でできればと思う。 反対に『みだれ髪』ですでに興味を失った、晶子短歌から遠ざかってしまった、という読者には、現代と同様に女性が働き家計を担いながら、何があっても歌を忘れず、詠うことで人生を支える生き方を晶子が選んだことに目を向けてほしい。晶子短歌には時に派手な趣向や自己肯定の強さが前面に出て、それを自我の強さと押しの強い鬱陶しさと捉える人があるのは事実だ。けれども、百年前の女性への抑圧が強かった時代に、晶子短歌によって励まされた読者がたくさんあったことも、また確かなことだった。子供や草木に注がれる眼差しの優しさや瑞々しさも恋の歌とはまったく違う。そのような部分を含めて本書の晶子短歌に付き合ってみようと思っていただけたらありがたい。 どのようなテーマで12章が立てられているかここではつぶさに紹介はしないが、いくつかの章から歌と鑑賞を紹介しておきたい。 第二章─ 恋2 夫婦愛の変容、現実との対峙(登美子との再会と死・「明星」廃刊、その先へ)より みづからの恋のきゆるをあやしまぬ君は御空(みそら)の夕雲男 〈あれほど恋に燃えたあなたなのに、いつしか恋心の消えることさえ不思議に思っていないらしい。まるで夕陽に染まり茜色に映える雲ほどの淡々しさで空に浮かぶ夕雲男ですね〉 夫を見る眼差しの変化を描いた歌。揶揄とも失意とも取れる晶子の心情が伝わる。自分は変わらず夫を愛し続けているのに、夫は違うようだ。私の愛の反照を受けているにすぎない、と。「夕雲男」は面白い表現。美しいけれども実体の希薄なさまを捉えた物言いで、比喩の得意な晶子らしい個性がある。 第三章 十一人の子の母として(二十代から四十代まで続いた出産と育児)より 腹立ちて炭まきちらす三つの子をなすにまかせてうぐひすを聞く 〈気に入らないことがあれば腹を立て、炭をあたりへ撒き散らす三歳の子。気がすむまでどうぞ。私は春の到来を知らせる鶯の声をしばらく聞いているから〉 幼い子供の短気に手を焼きながら、どこかのんびりとした気分に誘われたのは、鶯の声の美しさに聞きほれたから。「三つの子」は三男・麟のことだろう。長男と次男の少年らしいようすを捉えた「かぶと虫玉虫などを子等が捕る楠の木立の初秋の風」もこの歌集にある。子供への愛の深さが晶子を育ててもいた。 与謝野晶子はなんと12人の子ども(六男六女)を生んでいる。本書にはその子どもたちの名前も記されている。「光」や「佐保子」にまじって、「エレンヌ」や「アウギュスト」という名前もある。数においても、名前においても破格である。 第八章 心を映し出す季節と自然(草木虫魚への愛・写生とは異なる心情の表現)より 狂乱に近づくわれを恐るるや蝶もとび去る髪をかすめて 昆虫類を数多く詠む晶子だが、もっとも好んだのは恐らく蝶だった。蝶は自身の心情を映し出す華麗ではかない歌材だったとも言える。 『青海波』の頃の晶子は夫との軋轢や経済的な不安にさらされる毎日を送っていた。それゆえの心身に及ぶ大きなストレスを抱え、体調も非常に悪かった。「狂乱に近づくわれ」を支えるすべはなく、蝶も恐れて「髪をかすめて」「とび去る」。まして周囲の人間は。「おさへ居し手のひらぬけて五つ六つ目の前に舞ふかなしみの蝶」(『青海波』)には蝶ならぬ晶子の悲哀があふれている。 本書の装画は「蝶」である。蝶が好きだった晶子のために、松平盟子さんが希望されたのだった。 有名な短歌もたくさんあるが、あと一首のみ紹介したい。 この歌は、担当スタッフのPさんが好きな歌である。 第七章 人生の深みを生きるということ(家計を賄う柱として・中年の憂い・老いへの予感)より 若き日は尽きんとぞする平らなる野のにはかにも海に入るごと 明治時代にあって三〇代を生きるとは、若さとの決別を促されることだった。次々と出産した晶子は身体的にも疲労を重ね、一家の経済的な支柱であり続けることはさらに過酷だったと想像される。『青海波』の背後にあるのは、心身ともに切羽詰まった晶子の悲鳴にも近い本音だった。 「若き日は尽きんとぞする」の予感は、平らかに続く野が突然海へとなだれ込んでいく映像として描かれ、なすすべなく委ねるしかない宿命への不安と悲哀が漂う。晶子の卓越した比喩の力が説得力をもって迫る。 ふたたび「解説」より。 晶子の短歌は、彼女の人生の実際を知ることでより深く理解できる。 目次に示した十二章は、彼女の人生の十二のテーマでもある。その彩りは目次からだけでも察せられるのではないか。恋の熱狂を経た後の生活苦に耐える日々、歌人として脚光を浴び才能を伸ばした光の部分もあれば、雑誌﹁明星﹂廃刊と夫の失意や自虐に苦悩する影もあった。出産という女性ならではの宿命に命を賭けつつ、死の恐怖も味わった。当時の女性としては極めて稀な渡欧、パリ滞在という体験を通して、広く社会へと視野を広げもした。晶子の才能を愛した森鷗外や上田敏のような人々との交流もあった。 この解説には、与謝野晶子の略年譜も付されている。 まさに、密度の濃い「与謝野晶子入門」の一書といえる。 訃報である。 俳人の澤好摩さんが亡くなった。 驚いている。 7月7日の七夕の日に、旅先で亡くなられたということだ。 享年79歳 以下の俳句同人誌「円錐」の山田耕司さんのブログをアクセスしてください。 飛白(かすり)着てこの身は杳し天の河 やがて死ぬ景色に青きみづゑのぐ 樫に風いのち虔しみ眠らなむ 門松や容姿端麗にして老いよ 有明の空蝉は木を離れしか 以下は、2014年の5月25日に行われた「澤好摩さんの受賞をお祝いする会」についてのわたしのブログである。 澤好摩さんを検索していてたまたま見つけたものだ。 句集『光源』で第64回文化庁芸術選奨文部科学大臣賞を受賞された澤好摩さんを俳人のお仲間が集まってお祝いをした会である。 ほぼ10年前のことである。宇多喜代子さん、池田澄子さん、坪内稔典さん、仁平勝さん、小林恭二さん、高山れおなさん、今泉康弘さんなどがいらしてお祝いのスピーチをされたのだった。 もちろん澤さんのお姿もある。 山田耕司さんが司会をされていたか。 よろしければ、在りし日の澤好摩さんを偲んでいただきたい。 彼我も星に住まひて星まつり 澤好摩 七夕の日に亡くなられた澤好摩さん。 彼とは髙柳重信であり、加藤郁乎であり、摂津幸彦であり、かっての「俳句研究」時代の懐かしい俳人たちであろう。 澤好摩さま 校正のお仕事など助けていただいて、大変お世話になりました。 ご冥福をこころよりお祈りもうしあげます。
by fragie777
| 2023-07-10 19:15
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