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7月4日(火) 旧暦5月17日
矢川にはもう赤蜻蛉が飛んでいた。 もっと近寄ろうとしたら、 「カメムシがいるよ」って呼ばれた。 そのカメムシ。 今日は、埼玉県所沢市にある「角川武蔵野ミュージアム」にて、角川俳句賞、角川短歌賞、蛇笏賞、超空賞の授賞式がある。 角川俳句賞は西生ゆかりさん、角川短歌賞は工藤貴響さん。 蛇笏賞は、小川軽舟句集『無辺』(ふらんす堂刊)、超空賞は、水原紫苑歌集『快樂(けらく)』(短歌研究社刊)。 小川軽舟さん、水原紫苑さん、おふたりともふらんす堂とご縁の深い方である。 授賞式は午後3時からだが、その前に角川武蔵野ミュージアムを案内していただき見学をさせてもらえるという。 わたしはまだ行ったことがないのだが、素晴らしいミュージアムであると聴いている。 楽しみだ。 明日のこのブログで授賞式の模様を紹介します。 今日は新刊紹介をしたい。 46判ソフトカバー装帯有り 208頁 2句組 著者の秋山百合子さんは、1941年(昭和16)名古屋市生まれで名古屋市在住の俳人である。1987年(昭和62)第1句集『朱泥』刊行、1998年(平成10)第2句集『花と種』刊行、2004年(平成16)アンソロジー『花音』刊行。現在は、「家」(加藤かな文主宰)、「円座」(武藤紀子主宰)、「晨」(中村雅樹代表)の同人。俳人協会会員。「植田教室」を俳人児玉輝代より引き継ぎ俳句の指導に当たられている。 本句集には、加藤かな文さんが帯文を、武藤紀子さんが栞文を寄せている。 手袋が弥陀の片手のごと落ちて 秋山百合子さんは、 なぜいつも新しいのだろう。 昔からそうだ。いまもそうだ。 加藤かな文さんの帯文である、 わたしは秋山百合子さんの句集をはじめて一読したとき、その俳句のうまさに驚いた、巧いというのはぴったしな表現ではない。なんと言ったらいいのだろう、、としばらく言葉をさがしていた。そしてこの帯文を読んだとき、まさに!と膝を打ったのだった。読後、一抹のさびしさのようなものが胸にのこるのであるが、句は清新である。 蛍袋夜汽車の音のこもりゐる この句にはたくさんの思い出がある。百合子さんと一緒に岐阜の加納宿という所に吟行に行った時の句だ。岐阜駅に近いのだが城跡なども残る古い城下町だ。百合子さんより先に一人で歩いていた私もこの蛍袋に出合った。白い色だったような気がする。昔の匂いがする蛍袋の花は魅力的で、絶対これで一句よむぞとしばらくたたずんでいた。自分がよんだ句は忘れたが、句会で発表された百合子さんのこの句は忘れられない。 たしかに岐阜駅の近くだったから、列車の音はときどき聞こえたが「夜汽車」とは。吟行は真っ昼間にした。どこから「夜汽車」という言葉が出て来たのだろう。 蛍袋の中にこもる汽車の音は、絶対に夜汽車のものでなくてはいけないのだ。 武藤紀子さんの栞文を抜粋して紹介した。 一句一句に発見があって驚かされる。 担当は文己さん。 夜のやうな猫が通りぬ女郎花 明るくて十一月の山の雨 寒紅を濃く引くほどのこともなし 初蝶のどんどん行つてしまひけり 春眠の骨やはらかく目覚めたる 龍の玉しばらく持てば濁りけり やわらかで、素直に気持ちを詠んだ句に共感しました。 春眠の「骨やはらかく目覚め」る、なんて私には浮かばない発想で。 同じ春眠の「いつを目覚めと言ふべしや」の句も好きでした。 春眠の季節は本当にそうですよね。 七夕や星が丘てふ町に住み という句もあるように、お誕生日の7月7日を奥付に、装丁にも星を使いました。 星にご縁のある秋山さんです。 文己さんのコメントである。 夜のやうな猫が通りぬ女郎花 わたしも好きな句である。というか驚いた一句。「夜のやうな猫」という措辞、いったいどんな猫だろうかって思うが、それは黒猫だったのかもしれないが、「夜のやうな」という比喩によって色をこえた不気味な神秘性が生まれた。そして「女郎花」だ。秋草の花で、黄色の細やかな花がけぶるように咲く。猫に夜を見出すということ、安易ではない、冒険的な一句であるが、「女郎花」の季語によって猫の存在感はまし、ふくらんだ。ある不敵なものが通り過ぎていく、わたしにはそんな風にもおもえて、ああ、一度でいいからこんな猫にあってみたい。。。 龍の玉しばらく持てば濁りけり この一句もおもしろい。深い青の宝石のような龍の玉って見つけただけでうれしくなる。そして俳人たちは「龍の玉」を好んで詠む。しかし、「濁りけり」と龍の玉が濁ったことを詠んだ句ははじめてである。たしかに手の中にいれていると曇ってくる。その曇りをあえて濁りと詠んだことで、龍の玉への思いがある。濁ってくるのは、龍の玉がひときわ輝いているからだ。その輝きを「濁りけり」と詠んだことで読者に喚起したのだ。このシンプルな一句、龍の玉をもった人が誰しも納得する一句だ。事実だけを述べているようであるけれど、「龍の玉」がこの作者にとって特別なものであることがよく分かる一句。巧みだと思う。 老いたると知らず老いたり合歓の花 これは共感の一句。秋山百合子さんはわたしより先輩であるが、この句わかるなあ。そうなのよね、老いるなんてこと意識しないで日々生きているわけだけど、ある日、ある時、あれえ-、わたしって人からみれば老女かも、そんなことを気づかされて老いていることを知るのよ。この句、上五中七が巧みである。この句を読むとまさに「老い」とはこのようなものであるのだって思う。そして「合歓の花」である。夏の夕暮れに咲く、あわいピンク色のやさしい風情の風通しのよい花だ。老いていくご自身へのいたわりの思いもあるようで、あるいはそれをさらりと受け流すような淡さもあって、いい。「老いたると知らず老いたり」そんな風に澄ましていいながら老いていくのもいいかもしれない。 鶏頭をなでたる指のうつとりす この句もおもしろい。正岡子規のゆえもあって「鶏頭」は俳人が好んで詠む。でも、こんな詠み方をした人はあまりいない。確かに鶏頭という花は、読んで字のごとく鶏の頭のようである。ごつごつした物質感と派手な色、作者はあえてその鶏頭を撫でたのである。撫でたところ「うつとり」としたという。鶏頭をなでてウットリした人なんてあまり見たことも聞いたこともない。うっとりしているのは「指」である。よほど、指がなにかを感じたのか。この句「指」と限定することで読み手の意識を作者の指に収斂させる。そしてその指を自身も追体験するかのように、わが指も鶏頭の感触がおとずれるのだ。うっとりとしている指をもつ作者の心情の底にあるものは、鶏頭の先にある子規への思いもあるのかもしれない。 大風に鎌倉の鳴る虚子忌かな 「虚子忌」を詠んだ一句である。「鎌倉の鳴る」とは鎌倉の住人であった虚子への挨拶でもあり、おもしろい。また、虚子という大人のスケールを思わせていい句だと思う。大風というのも、虚子が俳句界に吹き込んだ大風を思わせ、花鳥諷詠はそう安穏とした思想ではないことも思う。「虚子忌」をこんな風に詠んだ俳句もあまりないように思えたのだった。 柩には寒の星々入り来よ この句集の最後から二番目におかれた一句である。七夕に生まれ、星が丘という地名に住まわれ、星が好きであるという秋山百合子さん。「柩には」は「我が柩には」の謂いであると思う。そしてその星は「寒の星々」が良いという。つめたく寒々しい星々、この作者のどこかおのれを見つめる目の厳しさを思う。星が好き、と伺えば乙女チックなロマンチストなんて思ってしまうが、ある意味その対極にあるようなある厳しさをわたしは秋山百合子さんに思ったのだった。しかし、柩に星々を招きいれるなんて、やはりそれも一種のロマンではあるけれど。。 『星が丘』は私の第三句集です。三五〇句収めました。私には子供がありません。この世に遺すものがありません。俳句を始めて五年目に、今から思えば何も知らずに『朱泥』を上梓させて頂きました。その時、自分の生きた証に句集を慈しんで残そうと思ったのです。今回の句集名は、今住んでいる町の名から取りました。移り住んで十七年です。東山動植物園の隣で三越の隣で、交通の便もよく、何もなければまだまだ住み続けようと思う愛着のある所です。(略) 今日まで結社の変遷はありましたが、続きましたのは、俳句が好きだったこと、俳句の奥が深くどこまでやっても尽きないこと、才能ある先生方がお導き下さったこと、切磋琢磨する友人にも恵まれたことにあります。すべてにありがたく感謝したいと思います。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本句集の装釘は、君嶋真理子さん。 白と紺との美しい一冊となった。 タイトルはツヤあり金箔。 カバーをとると濃紺の本体が現れる。 秋山百合子さんは、濃紺がお好きとうかがった。 その町にこどもの私冬すみれ 句集上梓後の所感をいただいた。 句集を編むということを18年ぶりに体験して、疲れましたが、心弾む日々でした。 まず18年間の句を大まかに選び、季節ごとに並べ、350句に絞ってゆく。その中で季語が適切でないものは再考しました。最終的に一頁2句組でしたので、配列の関連や響き合いを考えました。上手くいったものもあり、しまったと思うものもあります。長い期間をまとめましたので、無理に350句とか、2022年までとせず、期間を短くし、残りは又1冊にすればよかったという思いはありmす。 第2句集『花と種』の時は、象徴に少し傾きすぎたという反省があり、写生を心がけることにしました。しかし本当の写生はとても難しく、まだまだこれからの課題です。人生の最終章に入りますので、しっかり周りを見つめ、自分を見つめ、言葉を鍛えなければと思っています。 秋山百合子さん。 東山動物園にて。 そして文己さんあてにいただいたメールより。 『星が丘』受け取りました。本当にありがとうございました。 金で題名が入りますとやっと句集が出来上がったという気がいたしました。光に当たるとキラキラ控えめに光りちょうどいい感じです。ふらんす堂さんの皆様のお陰です。 18年間の句集を作ってみて、もっと早く作ればよかったとつくづく思いました。あと一冊と思っても多分時間が足りません。 あと5年頑張れたら、次もと思っています。 秋山百合子さま 次の句集を目指して、頑張ってくださいませ。 そしてまた、ふらんす堂をお心にかけてくださいませ。 柩の星はまだまだずっと先のことに致しましょう。 余談であるが、秋山百合子さんは、わたしが足をよくツルということで、先日、つったときに塗るといいですよって塗り薬をくださった。 その塗り薬、わたしのベッドの脇においてある。 足がつったときのみならず、歩きすぎて疲れた膝にぬったりしてとても助かっているのだ。 ありがとうございました。 もうすぐ、お誕生日の七夕がやってきますね。 よきお誕生日をお迎えくださいませ。 盲腸のほか全部ある桜かな には笑いました。。。。
by fragie777
| 2023-07-04 19:44
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