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7月1日(土) 富士山開き 旧暦5月13日
今日から7月である。 家近くの鶯は気を取り直したのか、今日は朝からすぐ近くで景気よく鳴いていた。 夕方ちかくなっても鳴き声は止まなかった。 夏鶯って、こんなにもいろんな鳴き方があるのかと思うほど、さまざまな鳴きようである。 もはや鶯が「ホーホケキョ」と鳴くということさえ忘れそうなほどだった。 夕方の5時過ぎに、丸池公園まで自転車をとばす。 翡翠にあえるかな。 ここんとしばらく会っていない。 そんなことを思いながら、丸池公園に自転車を止めると、なんと翡翠の声がする。 わたしはそさくさと池のほうへむかう。 最初の翡翠。 カメラをむけてどうにか一枚をとると、すぐに飛んでいってしまった。 実はこのあと、7回も翡翠に会ったのである。 池をはなれて、川へとすすんでいく。 いた、いた。 カメラのシャッターを切ったらその音に気付いて、わたしの方に顔をあげた翡翠。 わたしは、挨拶をしながら、「猫の日向子が死んじゃったんだ」と告げる。 仙川の翡翠には、ときどき胸中を告白(?)しているのだ。 ちがう場所で。 まだ若い翡翠だ。 今年生まれた雛かもしれない。 同じ翡翠が移動。 きっと雌。 上をむく翡翠は愛らしい。 喉が白いんだなあって思う。 これは別の翡翠。 大人の翡翠だ。 雄だね、多分。 この間、何羽かの翡翠が川を超特急で下流にむかって飛び去った。 そのスピードにはほれぼれする。 こちらは、若い翡翠。 行く先々で今日は翡翠にあった。 30分くらいの間に遭遇したのは8回ほどであったが、同じ翡翠ということもあるので、多分実際は5羽くらいかもしれない。 それにしても一度にそんな多くの翡翠をみられるとは、、、、。 今日は岸本尚毅著『川端茅舎の百句』から、「翡翠」の句。 翡翠の影こん〳〵 と溯り 「ホトトギス」 昭八・八 虚子は句評会で「水がこん〳〵と流れて居る、其水の流れは見ないで、影がこん〳〵と溯って居ると観じた」と解した。石原八束は「(翡翠が)影を水面の上に落としながら、その水流をさかのぼってゆく」と解した(『川端茅舎』桜楓社)。翡翠は静止しているのか(虚子)、移動しているのか(八束)。翡翠らしい姿は虚子の解釈だが、その場合、「溯り」は「溯っているように見える」という意味である。 実は、この翡翠が川を飛び去っていくのを見るたびに、この有名句を思い出す。 「こんこん」というのが凄いなとも。 わたしは移動している翡翠と読んだ。 家の庭の手入れも今日で終了。 山法師の花をいくつか残してくれた。 家の庭はみちがえるほどさっぱりし明るくなった。 植木職人のS君がいうことには、 昨日の夕方ごろ、わたしの家あたりの上空を、鷹が旋回していたというのである。 「あれはたぶん、大鷹だと思います」とSくん。 「きっと神代植物園の大鷹じゃない」とわたし。 こっちまで来るんだ。(ワクワクする) ということで、 今日は何度も空を見上げてしまった。
by fragie777
| 2023-07-01 21:10
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