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6月29日(水) 旧暦5月12日
梅雨の飯能・名栗。 この日は、老鶯だけでなく、ほととぎずや頬白などさまざまな鳥が鳴いていた。 今日から家に植木屋さんが入った。 植木屋さんといっても息子の同級生であり、しょっちゅう家に出入りしていたS君である。 保育園時代からよく知っている。メシもときどき食べさてやった。 わが家は狭い庭に木々がところ狭しと植えられているので、いまの季節まさにジャングルのような様を呈している。 木々が窓をおおい、家は薄暗い。 前からS君に頼んでいたのだが、忙しいらしく6月末まで待って欲しいということだった。 手をいれたあとと前ではもう天国と地獄くらい違うので、今日は家に帰るのが楽しみ。 今日から3日間かけての仕事となる。 明後日の最終日は、お兄ちゃんのJ君も草むしりに来てくれるそうな。 「Y(息子のこと)は元気ですか?」とS君。 「元気だと思うよ。仕事とサーフィンとあとはわかんないけど、結構ストイックにやっているみたいよ」とわたし。 「すこし前に連絡をいれたんだけど返事がなくて、もう2年くらい会っていない」とS君。 「そうなんだ、わかった、LINEしておくね」 こんな会話が交わされた朝だった。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装帯有り 286頁 著者の井上青軸(いのうえ・せいじく)さんは、1954年愛媛県西宇和郡双岩村(現八幡浜市)に生まれる。北海道大学に入学して朝日新聞社に入社。定年まで朝日新聞社の記者として仕事をされる。その間の1982年新聞協会賞を受賞されている。俳人でもある。俳歴は、2004年ホトトギス同人内藤呈念氏の指導で作句開始。2015年「秋麗」入会、藤田直子主宰に師事。現在「秋麗」同人、俳人協会会員。 本著は、俳誌「秋麗」に平成29年(2017)10月号から令和2年(2020)8月号までの約3年間連載したエッセイをまとめたものである。 思いついたテーマを気ままにという意味合いで、タイトルを「つれづれ風物詩」としました。二年分のテーマを決めてスタート、二十四回で終わる予定でしたが、藤田先生の勧めで、趣味でもあった「野鳥編」を書き継ぎました。 と「あとがき」にある。 しかし、拝読してわかるようにつれづれなるものであっても、そのテーマへの掘り下げ方など、やはりハンパなものではない。記者魂というか、そのテーマについて調べられることは調べつくし、現地に取材し、写真をとり、たいへん読み応えのあるエッセイとなっている。そこには、思い出をたどりながら、戦後日本の人々の生活へと分け入って、父親をふくめ戦争体験をした人たちを追想しつつ、戦後の暮らしから現在へといたる生活のあれこれを浮き上がらせて書き記してあり、ひとりの自分史の範疇をこえたものがあるようにわたしは思った。日本人の暮らしの肌触りに触れる思いがする。やはり、新聞記者として生きたこられた人間のものを見る目の鋭さがあり、テーマに食い下がっていくエネルギーがあり、文章をかきつづけてきた筆力がある。しかし、あくまでつれづれなるままに書かれたものゆえの肩のこらない読みやすいエッセイであることも魅力である。なによりも作者である井上青軸さんが、とても楽しんで書いておられるそんないきいきとした気配がエッセイから伝わってくるのだ。カメラマンとしての腕もすばらしく、文中のたくさんの写真はこのエッセイをさらに親しみやすいものとしている。 担当は文己さん。 「どのお話も印象的でしたが、カノープスの星の話や、戦争の記憶の話もとても興味深く、お仕事柄とはいえ、釣りからお遍路、郷土料理の実践まで…井上様のご趣味や知識の幅広さにも驚きました。帯にも引用させて頂きましたが、「長寿星」の話が、お父様との思い出もあり温かく、好きなエッセイでした。 その文己さんが帯に引用した、「長寿星」を抜粋して紹介したい。ここはお父さまにふれられているエッセイである。 星が美しい季節になった。 冬の星の中でも、オリオン座や全天一の明るさを誇るシリウス(天狼)は歳時記に載っていて俳句の世界でもお馴染みだ。オリオン座の首星ベテルギウスとシリウス、それに子犬座のプロキオンを加えた三つの一等星は「冬の大三角」と呼ばれ、冬天を代表する景観を形作っている。その大三角の下の方、南天低くに身を潜めているのがカノープスである。地上すれすれに見える目立たない星だが、実は全天で二番目に明るい実力者であり、また見つけにくいがゆえに見えれば寿命が延びるという「幸運の星」でもある。 カノープスのことは父から教わった。 父は太平洋戦争末期に、ニューギニアに近いラバウルへ出征した。戦争の話はほとんどしなかったが、美味しかった野生のバナナやパパイヤのこと、上官に教わった囲碁、将棋のこと、そして南天の星空のことなどを話してくれた。 (略) 父は、旧制の高等小学校を出ただけの無学ながら好奇心旺盛な人だった。 昭和四十年の秋「世紀の大彗星」池谷・関彗星が出現した時の、ある夜のことである。深く寝入っていた私は突然父にたたき起こされた。事情の分からないまま庭へ出ると、父は東の空を示し「あれが池谷・関彗星じゃ」と言った。寝ぼけて不機嫌だった私だが、夜空に慣れた目で見直すと山の際から斜めに長々と尾を伸ばした彗星が見えた。「月よりも明るい」と聞いていたが、想像をはるかに超える大きさと見事さで、明け方まで小一時間見入ったことを覚えている。父はその後も彗星や流星群、日食、月食などの情報を仕入れては教えてくれ、私は次第に天文少年になっていった。 作者の井上さんの守備範囲はめっぽう広く、さまざまな料理の味も体験しておられる。以下は、「ソウルフード」と題した章の抜粋である。料理の紹介のみならず、作り方などが懇切丁寧に記されているのである。 私の生まれ育った愛媛県の南予地方では、結婚披露宴は嫁ぎ先で行うのが一般的だった。出される料理は「鉢盛」と呼ばれ、有名な高知の郷土料理「皿鉢」とよく似ている。各人ごとに膳を用意する「本膳」は、出席人数がはっきりせず、参集する時間も合わせにくい農村には不向きで、大きな鉢に料理を盛り小皿に取り分ける方が合理的なのだ。(略) 鉢に盛る料理は、酒肴系の刺身、煮物、練り製品、酢の物など。主食系としては鯛そうめん、巻き寿司、ばら寿司、稲荷寿司。デザート系の羊羹やタルト、菓子、果物なども出された。種類ごとに鉢を替え、四、五鉢で一セットとする。昼から夕方まで客は数十人に上るので、人数に合わせて何セットか用意する。漆器の小皿を重ねて大鉢の脇に配し、銘々が小皿に取る。(略) 私は常々、むかし食べた郷土料理を再現しようといろいろ試している。材料の違いや調理法が原因なのか、もう一つしっくりこないでいるのだが、その中で比較的成功しているのは鯛そうめんだ。 そして「鯛そうめん」の作り方がわかりやすく箇条書きにしてしるされている。 鉢盛料理の定番で私がソウルフードの一つに挙げた「ふかのみがらし」は、昨年末に初めて作った。以前から気になっていたのだが、材料のサメが手に入らなかった。天佑は、インターネットだった。アンモニア臭が嫌われ、食べるのは四国の南西部だけといわれるサメ食文化が北関東にもあり、栃木では「モロ」と呼んで広く食されていることを知った。 栃木は海なし県である。なぜ内陸部で、といぶかしがったが、アンモニアが肉の腐敗を防ぐため、海産物に乏しい栃木では重宝されたのだという。食べ方も、わが故郷のように湯ざらしを辛子入りの酢味噌「みがらし」で食べるだけでなく、唐揚げや煮付け、コロッケなど多様な食べ方をしているらしい。サメ肉もスーパーで普通に売っているようだ。この際、調査を兼ねて現地訪問を企図したのだが、もっと簡便な方法が見つかった。ネットにサメを扱う店があったのである。 結局、ネットストアで宮城・気仙沼産のモウカザメを購入、みがらし味噌は四国から取り寄せた。調理は簡単。解凍したサメを刺身サイズに切り分け、沸騰水で湯がき、身が白くなったら冷水でさらす。後はみがらし味噌で頂くだけ。こうして懸案のソウルフード「ふかのみがらし」はあっけなく私の胃袋に収まった。 「私の出身が栃木県の田舎だったので、モロの煮付けはしょっちゅう食べていました。 (まさかサメだったとは、そして北関東でしか食していないとは、と大人になり気付いたときの衝撃は大きかったです) 様々なジャンルのエッセイ、とても興味深く拝読いたしました。」と文己さん。 校正スタッフの幸香さんは、「風習や動植物なことなど、たくさん知ることができてとても勉強になりました。」 おなじく校正スタッフのみおさんは、「「自給自足」には特に惹かれました。手作り干し柿がうらやましいです。(干し柿が大好きなので!)」 その「自給自足」の章から。 「何でもかんでも作りたがる」と妻に言われる。確かに手を動かすことは好きだが、それは農家の子どもの習性だと思う。私が生まれて二年後、昭和三十一年度の経済白書は「もはや戦後ではない」と書き、消費経済が進展し始めていたが、田舎ではまだ食べることに追われていた。物は買うのではなく、作るのが当たり前。自給自足が基本だった。 実家には甘柿も渋柿もあった。裏の畑から母屋の屋根にかぶさるように生えていた渋柿の大木が干柿用だった。柿は「嘉来」とも書き、福を呼ぶという。わが家では、健康を願って正月には年の数だけ食べるのが習慣になっていた。大人は、さすがに年の数は食べないが、保存が可能なので百個単位で作っていた。 皮を剝いた柿は、T字型の枝を藁縄に挟み込んで軒下で干す。表面が乾いたら早く熟すように実を揉む。その作業は私も受け持った。縄一本に七、八個ずつ十数連。柿が黒くなると、縄にはぽつぽつ隙間ができるのが常だった。柿揉み中に私が味見した跡なのだが、大人も同類なので余り𠮟られることはなかった。 そして美味しそうな干柿の写真が添えられている。カラー頁でないのが残念だ。 結社というのが初めてだった私は、俳句の精神から季語の大切さ、さらには助詞の使い方まで一から教わりました。俳句の腕前はさておき、写真が好きな私に、「秋麗」の写真担当を命じられ、インタビュー写真や行事の写真などを撮りました。そのついでに「何かエッセイでも書いてみない」と勧められました。人様に読んでいただける自信はなかったのですが、自分の作句のヒントにでもなればと思い、季語や俳句に関連する話題を書かせてもらうことにしました。 ふたたび「あとがき」を紹介した。 本著の装釘は、君嶋真理子さん。 鳥がお好きな井上青軸さんである。 本著には、「野鳥篇」としてさまざまな鳥が登場する。 この箇所は、とくにわたしは興味深かった。 ということで、装釘には鳥たちがいる。 裏側にも。 タイトルはツヤ消しの金箔。 表紙クロスは紬の風合い。 ここにも鳥が。 見返し 扉。 本文の写真をいくつか紹介しておきたい。 クマゼミ。(「昆虫の北上」) 鳥たち。(ブッポウソウ、コノハズク、イソシギ)(「梅に鶯」「鴫立沢」) 「ノコギリクワガタ」(「昆虫の北上」) 「コウノトリの復活」 体験したことを書くだけでしたが、自分の記憶と手持ちの資料だけでは足りず、取材で補いました。久しぶりに会う親類縁者や恩師、友人知人の話を聞くうちに余談が膨らみ、エッセイは自分史・交友録のようになってしまいました。 ご協力をいただいた皆様に感謝いたします。また著作、記事、写真などを引用させていただいた方々に深く御礼申し上げます。 「あとがき」より。 わたしは、作者の井上青軸さんとほぼ同世代であるので、どの頁も懐かしい生活の匂いがした。青軸さんが、戦争体験をした父との思い出をかたり、またその世代の人たちに取材をしながらその時代を再現しつつそこで人々がどう生きたかをつぶさに語っておられるのを拝読し、自分たちの歴史やそのよってきたる足元を見つめ直すという作業をこのエッセイを書くことによってやっておられるのではないかと思った。またこのエッセイには日本の風土が培ってきた豊かな地方文化や生活が記されており、目が啓かれるような思いがしたのも事実である。 上梓後の所感をいただいた。 「つれづれ風物詩」では、大変お世話になりました。おかげで思った以上に素晴らしい本に仕上げて下さり感謝しております。 私は、定年まで勤めた新聞社で紙面編集を受け持つ「整理部」に長く在籍しました。出稿される原稿を各面に振り分け、レイアウトし、見出しを付け、降版(校了)する仕事です。毎日完結する仕事はスピード勝負でしたから、今回のように月単位で作業が進む本の編集には戸惑いました。しかし、おかげさまで校閲担当者様には字句の間違いのほか、時系列の矛盾や表現の不一致など多岐にわたってご指摘いただきました。私の雑駁な日本語を丁寧に磨いていただいた気分です。デザイナー様には複数の案をいただきました。その中から鳥を抽象化したものを選ばせていただきました。現実にはいないのに、どこかにいそうな不思議な魅力を感じました。 元々は俳誌での連載終了後すぐに出版をと計画し、修正加筆作業をしていましたが、思わぬ病を得て脱稿が3年ほど遅れました。そのためみなさまにご無理をお願いすることになり申し訳ありませんでした。スタッフの皆様、誠にありがとうございました。 ●見本をご覧になって タイトルが入り、扉、花切れ等、全てが揃うと、見本とはまったく印象が違いますね。素晴らしいものを作って頂きました。執筆開始から数えると6年かかりました。たわいもない書き物ですが、自分にはそれなりの感慨があります。 井上青軸氏。 昨年の11月にご来社くださったときに。 昨年のご入稿でしたが、お待たせしてしまいました。 こうして拝読してみますと、自分の生きて来た時間を見つめ直すような思いがいたします。 この一冊には自分史を越えたものがあり、わたしたち日本人が時間をかけて育んできたものに触れるそんな思いがいたしました。 また、生活を楽しむことの大切さをあらためて知ることになりました。 わたしは鳥に興味がありますので、「鷹」や「鴉」のエッセイには興奮しました。、 多くの人に読んでいただきたい一冊です。 出版のご縁をいただきましたこと、あらためうれしくおもっております。 昨日お蕎麦屋さんで飲んだ冷酒「春鹿」 奈良の辛口のお酒。 わたしはあまり日本酒はのまないのだが、美味しかった。 名前もいいじゃない、「はるしか」なんて。
by fragie777
| 2023-06-29 19:36
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