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6月16日(金) 梅子黄(うめのみきばむ) 旧暦4月28日
すっかり夏の雲である。 昨夜亡くなった愛猫日向子には、薔薇一輪をもたせてお別れをした。 わたしは3年前に亡くなった愛猫ヤマトどもども、猫たちとすごした倖せな日々をおもうのみである。 いろいろな方々からお悔やみの言葉をいただいた。 ありがとうございます。 逝かしめき梅雨酣(たけなわ)のうでのなか 千葉皓史 皆さまのお気持ちをとてもうれしく、感謝もうしあげております。 新刊紹介をしたい。 四六判上製本(カバー、帯びなし) 212頁 私家版 著者の長尾博(ながお・ひろし)さんは、1033年北海道札幌市生まれ。2004年「さくら」に入会いさ桜子に師事、2007年「往還」入会、菊地一雄に師事、2018年超結社句会「瑞木俳句会」に入会、現在にいたる。本句集に、長尾博さんが現在受講しているカルチャースクールの講師・高橋白崔さんが序文を寄せている。ふらんす堂に長尾さんを紹介してくださったのも高橋白崔さんである。 序文より抜粋して紹介をしたい。 博さんの句集『六月三日』の題名の由来は誕生日であるとのこと。矍鑠として若々しい博さんではあるが、もう齢九十を迎えるのだとご本人から伺い、改めて略 歴を拝見すれば、これまで鍛えられた俳句脳の明晰さを思わずにはいられない・ 断崖の島の端まで耕せり 笛復習ふ潮の匂ひの祭衆 祖谷深し一夜泊りの薬喰 瀬戸小島ひびきあひ寄る除夜の鐘 瀬戸内のちりめん波や淑気充つ 島巡る船に初荷の旗なびき これら産土を描いた作品の数々は記憶の中の実景と拝察する。大志を抱いて上京して幾星霜、古希より俳句を始められた博さんの記憶の抽斗から鮮やかに蘇った情景は歳時記を繰る過程で詩として結実したに違いない。こうしたプロセスは実は簡単ではない。季語の本意をわきまえて初めて詩としての化学反応を起こすことができるのだから。 高橋白崔さんの序文を拝見すると、長尾博さんは、歳時記の季語に果敢に挑戦して俳句をつくっておられるようだ、 本句集の担当は文己さん。 春めくと前行く妻の言ひにけり 春節や絹糸で切る茹卵 たゆたひて水かげろふの春障子 白樺や湖の底まで五月来る 麦秋やしやがんだだけのかくれんぼ 子を呼ぶは涼しき風を呼ぶやうに やはらかくみだれととのへ雁の棹 現世を少し離れぬ湯ざめして 冬耕の暮れて祈りの人となる 春めくと前行く妻の言ひにけり この句集の冒頭のおかれた一句である。とても良い句。この句について、高橋白崔さんは、序文でつぎのように記している。「句集『六月三日』を語るときに忘れてはいけないのが奥様への思いを込めた作品の数々だ。」と語り、「『六月三日』の冒頭には「春めくと前行く妻の言ひにけり」が置かれていて、博さんが奥様の少し後ろを歩いている姿が想像されるとともにご夫婦の在りようがさり気なく語られている。」と。冒頭におかれたこの一句からして、妻にたいする長尾さんの姿勢がみてとれて好ましい。ほんの少し前をあるく妻、そんな妻をあたたかな目でみやりつつ春の訪れを楽しんでいる夫、「春になったわね」と後ろの夫に声をかけ、「ああ、そうだね」と夫もやさしく答える。なんとも良い関係ではないか、しかし、ここには長い間人生をともにしてきた夫婦の関係性がみえる。どうってことない一句のようにみえるがこの句に流れている時間は昨日今日の時間ではない、そして無理のない信頼関係がみえてくる。けっこう羨ましいぞ。。 白樺や湖の底まで五月来る わたしも〇をつけた句である。白樺の林のなかにある湖だろうか、美しい風景だ。「白樺」と「湖」と「五月」の取合わせはまるでよくできた絵はがきのようである。しかし、この一句を一句たらしめているのは「湖の底まで」という措辞だ。この措辞によってこの一句が、単に美しい写真のような一枚の景色ではなく、奥行きのある立体的な現実味をおびた景色として立ち上がってくるのだ。作者の湖の底を食い入るように見つめる目を感じる一句だ。 麦秋やしやがんだだけのかくれんぼ この句も好き。今回文己さんが好きな一句とおおいにだぶる。「麦秋」という季語が十全に詠まれた一句だ。十分に熟した麦畑で遊んでいる子どもたちの様子が目にうかぶようだ。麦畑は乾いていてほのかにあたたかく入り込んでもいい匂いがして気持のよい風が通り抜けていく。おもわずかくれんぼなどしたくなってしまう。大きな建物がなくても、大丈夫、広い麦畑には身体を隠してくれるところがいっぱいある。ばらばらに散ってあっちこっちに隠れてしまったら鬼はそれこそ見つけるのが大変。隠れるほうはクスクス笑いながらしゃがんでいればいいだけですもん。ちょっと動いてやったり、声をだしてあげたりしないと鬼はかわいそうかもよ。 子を呼ぶは涼しき風を呼ぶやうに この句も好きだわ。作者の子どもに対する思いがよく見える一句である。と書いたが、これは眼前で誰かが子どもよ読んでいる一瞬の風景を叙した一句なのかもしれないといま思った。郊外だろうか、やや遠くにいる子どもを親が呼んでいるのだ。多分まだ小さな子ども、小学生くらいの子どもだろう。夏休みを利用して家族で遊びにきていて、そんな一日の親子たちに混じって作者もいる。親はいつものように子どもを呼んでいるのかもしれないが、その呼び声を「涼しき風」ととらえた作者の「涼しい心」が見えてくる一句なのだ。だからわたしたちもこの一句で涼しくなる。良い句だと思う。 見えてゐて灯台遠き水仙花 これはわたしの好きな一句である。灯台のあたりにはこんな風景が展開しているかもしれない。「見えてゐて」の措辞でおおよその作者の立ち位置がわかる。灯台をめざしているのだろう。灯台ははっきりと見えているのになかなかたどりつかない。その見えている灯台の少し手前に咲いている水仙もよく見えてきた。この一句はやはり色をまず感じさせる。灯台の白、そして水仙の黄色、灯台にちかづけばやがて見えてくる海の青。よく晴れ渡った一日なのだろう。灯台の高さ、水仙の低さ、そして海までの遙かな距離、清々しく景色が立ち上がってくる。 校正スタッフのみおさんの好きな一句は、〈うららかやほよんと抱かれモルモット〉が抜群にかわいかったです。モルモットを抱きたくなりました。」と、 六月三日は私の誕生日です。 卒寿の記念として十八年間書きためた句を上梓することにしました。 初心の頃はパズルをする感覚で楽しんでいましたが、知れば知るほど奥が深く、これと言ったものも掴みきれず、今だに手探り状態です。 唯一生き甲斐となった俳句に誘って下さった岡田省三氏に感謝です。 「あとがき」の言葉を抜粋して紹介した。 本句集の装釘については、自装と申しあげてよろしいとおもう。 それほどに装釘にこだわられた長尾博さんである。 お仕事ご自身でデザイン会社を立ち上げて仕事をされて来られた方である。 ご来社くださったときも見本になるものをご持参くださり、それを元に装釘案をおっしゃられたのだった。 また、ご自身で描かれた絵を、扉とかく章に配したのであるが、それがこの句集を優しい表情のあるものとしている。 真っ白なツヤのある用紙にタイトルは黒メタル箔。文字は濃いグリーン。 見返しは深緑。 扉。 春 夏 秋 冬 新年。 花布はテーマカラーの深みどり。 栞紐は白。 角背が美しい一冊。 焚き捨てて涼しき十年日記かな これからも博さんの歳時記を巡る旅は続くだろう。季語が己の血肉の一部となるまで歳時記を確りと読み込んでいく真摯な姿に筆者は一表現者としてはっとさせられるとともに、俳句を嗜む者全てにとって肝に銘ずべき手本であり続けるのだ。(序/高橋白崔) 「「思った物になりました。お陰で良い句集になりました。」とご上梓後にメールを下さったのだった。 ご来社のときに。 長尾博さん(右手前)と高橋白崔さん 長尾博さま。 卒寿での句集ご上梓、まことにおめでとうございます。 さらに第2句集の刊行を目指して、ご健吟くださいませ。
by fragie777
| 2023-06-16 19:37
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