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6月2日(金) 旧暦4月14日
どくだみの花。 いまはいたるところに咲いている。 少し前は家のどくだみを摘んで、乾かして、どくだみ茶などをつくったこともあった。 が、 そんなことをしたのも遠い夢のように思える昨今である。 朝から雨風がすごい。 したたかに濡れながら、燃えるゴミを出したのだった。 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装帯あり 二句組 著者の猪爪蓬子(いのつめ・よもぎこ)さんは、昭和12年(1937)埼玉・飯能市生まれ、飯能市在住。俳句は、平成2年(1990)飯能市の公民館でおこなれた「初心者教室」(中島まさを講師)に学び、俳誌「かたばみ」を経て、現在は俳誌「椋」(石田郷子代表)の会員である。本句集は平成6年(1994)から令和4年(2022)までの29年間の作品を収録した第1句集である。序文を石田郷子代表が寄せている。抜粋して紹介をしたい。 寺の子の作りし大き雪達磨 笛方は長子の役目在祭 分校に入口二つ燕の巣 教頭の枝ごと手折るさくらんぼ せせらぎは母の胎内秋桜 写実を基調とした、いわば「軽み」の表現は、今も作者の持ち味の一つだが、読み手の想像力を大いに引き出すのだということを、これらの作品は証明しているのではなかろうか。 「瀬音」という句集名、「蓬子」という俳号、どれも代表の石田郷子さんが命名されたもの。「瀬音」と命名したいきさつには、「瀬音の好きなのは、母の胎内にいた時の安らぎなのかと思いながら、今日も川辺を歩きます」という蓬子さんのエッセイの一節がひかれ、それによると記されている。序文を読んでいくと、近隣に住む人同士のざっくばらんで気取らないやりとりが見えてきて、そんな師と弟子の関係であることがわかる。著者はご自身よりおおいに若いこの師をこころより信頼しておられるのである。又、作者の率直な気取らない人となりが、作品をとおして見えてきて、読み手はおもわずシンパシーを感じてしまうだろう。 本句集の担当は文己さん。 好きな句をあげてもらった。 瀬の音の遠く聞こゆる良夜かな 病院の売店で買ふ団扇かな 花筵癒えたる足を伸ばしけり 先生に抱きしめられて卒園す 亡き人の好きな風鈴鳴りにけり 惜しみなく剪つてくれたる薔薇の花 病院の売店で買ふ団扇かな この句の前が〈糠床を預けこの夏入院す〉とあるので、ご自身が入院したときの句である。この「糠床」の句にしても、「団扇」の句にしても作者の生活のスタイルが見えてくる、そんな一句だ。糠床はなによりも大切なものなのだろう。入院という一大事にあっても生活者としての根付いた落ちつきのようなものがうかがい知れる。だから、団扇が必要となれば、病院の売店で売っている団扇を買うのである。この気取りのなさが、いい。わたしは多分作者にお目にかかったことはないと思うが、どういうお方かはこの二句でおよそ想像がつく。なんて言ってしまっていいか。饒舌ではなくて、そうかと言って寡黙でもないのだけれど、ぽつりぽつり話すことばに嘘がなくて本人は大まじめでもどこかユーモラス。そんなお方だと思うのだけど、どうかなあ。きっと病院の売店で買った団扇を大事に持ち帰って長く愛用されたんじゃないかって思う。質朴な感じも伝わってくる。 先生に抱きしめられて卒園す 「卒園す」という言葉で、幼稚園児であるとわかる。先生なるものが「抱きしめる」ことができるのは、多分幼稚園児までかもしれない。もちろん小学校ぐらいまでなら、「抱きしめる」ということもあるかもしれないが、やはりそこには照れや屈託が混じってしまう。この句はそんな気恥ずかしさなどとは無縁のもの。卒業証書のかわりに先生がひとりひとり抱きしめてくれたのかもしれない。なんて素敵なんだろう。園児たちのうれしそうにはしゃぐ顔が浮かんでくる。きっとこの抱きしめられたときの温もりは、園児たちにとって忘れられないものになるだろう。いい卒園式である。 手鏡に映る齢や冴返る わたしはこの句にすこしドキッとした。手鏡になにが映ったかって、それは「齢(よわい)」だというのである。目尻の皺や、膚の染みや、そういう具体的なものを言わず、「齢」といったところが巧みだと思った。この「齢」はいろんなものをひっくるめている。鏡はそれを正直に映し出すのだ。「冴返る」の季語が、肉体の感覚をこえて心情的な寒さを呼び起こしている。すごく分かるわ、この感覚。わたしは、手鏡は見ないことにしている。ふつうの鏡をみるときも、眼鏡をかけずうすぼんやりと見る。すると案外しあわせでいられるのよね。ほかに〈子をあやす手の老斑や雪ぼたる〉これもなんというか、リアリズムそのもの。「雪ぼたる」でごまかしようがない。 湯婆に夫は素直になりにけり この句も好き。ご夫婦の関係まで見えてくる。ちょっと意地をはっている夫、関係がぎくしゃくして、ああもう面倒ったらない。と。そうは言っても、いつものように湯たんぽを用意してやる。そのえもいえぬ「ぬくもり」。それに触れたとたん、意地をはっていた夫が、「素直」になったのだ。この「素直」になるっていうのが、なんだろう、いいなあ。まことに可愛らしさのある旦那さんだ。知らなかったな、「湯たんぽ」にこんな効力があったなんて。安上がり(失礼)でまことによろしいのでは。しかし、句集を読み進んでいくと、〈亡き夫は素麺が好き孫もまた〉という句があって、亡くなられたことを知る。さらに〈かなかなやひとりの家に帰らねば〉という句もあって胸をつかれる。こんなふうにまことに率直にご自身の思いを季語に託して詠んでいる猪爪蓬子さんである。 校正スタッフの幸香さんは、「〈月明かり夫も目覚めてをりにけり〉に特に引かれました」ということ。 もうひとりの校正スタッフのみおさんは、「〈朝顔の種採る薬袋かな〉の句が好きです。「薬袋が溜まりがちな暮らし」というのが伝わってきます。」と。 俳句を始めるきっかけは、年の離れた兄姉が俳句をしていたことでした。私は末子で仲間に入れず、のちに公民館の初心者俳句教室に入りました。 あれから三十年、働きながらさわらび句会・鮎句会にお世話になりました。 平成十年に退職してからは、石田郷子先生の山雀の会にお世話になっております。自然豊かな名栗で吟行し、俳句をすることを生甲斐にしております。 多くの皆様に支えられ、今も俳句を続けられることを、改めて師と友に心から感謝申し上げます。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本句集の装釘は、君嶋真理子さん。 タイトルの「瀬音」は金箔j押し。 タイトルはからすれば、青とかグリーン系が妥当なのだが、ご本人の希望によってセピア色に。 それがかえって詩情のある一冊となった。 「懐郷の思いのようなものが感じられて、素敵な1冊になりました。」とは担当に文己さん。 吟行たのし冬青空を杖ついて 願わくば、俳句という文芸が、私たちの吟行仲間である蓬子さんの佳き伴侶として、いつまでも、いつまでも傍らにあります様に。(石田郷子/序より) 上梓後のお気持ちを伺った。 いつか句集をと思い、PCの出来ない私は句を手書きで原稿用紙に書き留めておきました。高齢なので最後のチャンスと思い、石田郷子先生にご相談しましたところ、親身にご指導を頂き、この度「椋」の叢書に入れて頂けたことは、身に余る光栄なことでした。 希望を失わずにいれば、いつか願いは叶うものと実感しました。 若い時は、秩父の自然が大好きで仲間と札所めぐりをし、コンビニもない時代で急須持参で「吾亦紅」の畦で昼食を食べました。至高の時でした。 平成十年に退職後はひとりで運転し、小鹿野などに行っていましたが、近年は秩父もカーブが多く、ダンプも恐いので行っていません。 俳句とは私にとっては日記のようなもので、家族の絆と思っています。九十五歳の姉が施設におり、共に俳句を嗜んでおりましたので句集完成を喜んでくれると思います。夫を看取り十年が過ぎ、無為のまま月日を過ごして参りましたが、どんな時にも俳句は生活の一部になっていました。 これから歳を重ねて行動範囲が狭くなりますが、身近なものをよく観察して、いつまでも俳句を続けたいと思います。最後になりましたが、いつも見守ってくださる「山雀の会」の皆様に御礼申し上げます。 わたしの郷里の秩父がお好きなんですね。札所めぐりもされたとか。わたしの実家は、札所15番のすぐ近くなんですよ。わたしは札所巡りをしたことはありませんが。。。そういう方にご縁をいただいて句集をおつくりさせていただいたこと、改めてうれしく思います。 しやくし菜を洗ふ秩父の空つ風 本句集の最後から二番目におかれた句である。「しやくし菜」は秩父の名産の漬け物。案外知られておらず人にあげると喜ばれる。わたしの亡くなった母が大好きだった。わたしにとってはすべてが懐かしい一句。 これから帰るのだが、外の雨はどうだろう。 風がつよくて車のバンドルがとられそうになったって、印刷会社の営業のKさんが言っていた。 こわいな。
by fragie777
| 2023-06-02 19:27
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