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5月25日(木) 旧暦4月6日
枇杷の実。 美味しそうだ。 ご近所の丸池公園の川のほとりに生っていた。 鳥たちにはおおいなるご馳走であると思う。 新刊紹介をしたい。 歌人の梶原さい子さんによる落合直文の短歌100首とその鑑賞の本である。 「短歌の最初の一滴」とカバーの文言にあるように、近代短歌は落合直文によって始まったのだ。とわたしはさも知っているようにいま書くが、お恥ずかしいことに近代短歌は正岡子規によってということばかりしか見えていなかった。梶原さい子さんの巻末の解説「始まりのひと、結ぶひと」の出だしはこうである。 近代短歌の流れを遡って行くと、その水源地帯に連なる山々の、もっとも奥に位置する山に行き当たる。それが落合直文である。 (『落合直文│ 近代短歌の黎明│ 』) 歌人の前田透がそう断じたとおり、直文は近・現代短歌の「水干(みずひ)」、つまり、沢の行き止まりと言えよう。遡れば直文に辿り着く。短歌の最初の一滴はここからにじみ出た。 そうなのか、落合直文からはじまったのか。という思いを新たにしてページを繰っていけば、その短歌はなんとやさしい柔らかな表情をしていることか。その短歌のたたずまいにまず感銘をおぼえる。 名もしれぬちひさき星をたづねゆきて住まばやと思ふ夜半もありけり 「住まばや」は住みたいということ。「名もしれぬちひさき星」に住みたいとは、なんてロマンチックな発想だろう。実際に宇宙に行けるとは思いもしない時代の歌である。また、「たづねゆき」という動詞の選びがいい。情感にあふれている。 そして、そんな夜半もあるというところには、現代にも通じる、心は揺れるものだという認識が映っている。 発想がみずみずしく、今詠まれた歌だと言っても、違和感がない。新しい時代の新しい歌を、直文が志向していたことがよくわかる。 第1首目の歌。「発想がみずみずしく、今詠まれた歌だと言っても、違和感がない。」と梶原さんが鑑賞をするように、古くさい匂いがまったくない。いや、なんと可愛らしい歌、なんて思ってしまう。江戸末期に武士の家にうまれた男性の歌とはとてもおもえない。〈夕暮れを何とはなしに野にいでて何とはなしに家にかへりぬ〉二首目の歌だってそう。この脱力感がいいではないか。21世紀をいきるわたしたちの心にもおおいに通い合う。「何も意識しなくていい大らかさ。この何もなさ加減こそ、とても豊かだ。」と梶原さん。わたし、夕方にこんな散歩をすることがよくある。この何もしない感覚を詠んだことが、「あえて、そこを詠んだところにうなる。こう見えて、革新的な歌ではないか。」と梶原さん。やさしい言葉をもちいてわたしたちの日常性や心情にきわめて近く、こんな風にゆったりとしたリズムで詠まれているということ、このような歌をもって近代短歌は始まったのだ、ということにわたしはいま新鮮に驚いている。 担当はPさんであるが、「短歌がすごくいいし、鑑賞もすごくいい」とゲラの校正をしながら言っていたが、いま一冊を手にしてその言葉がよくわかる。読んでいくと心にとどまる歌ばかりである。 砂の上にわが恋人の名をかけば波のよせきてかげもとどめず まるで映画の一シーンのようなロマンチックな歌。人を恋しく思う切なさが、名前を書かせた。だが、「かげもとどめず」という容赦のない表現は、確かならざる二人の関係性を示唆していて。もろい砂の上で波にかき消される名前。 「恋人」という言葉は、当時としては相当にモダンだった。ふるさとである気仙沼の海辺に建つ歌碑には、〈近代短歌史上「恋人」という翻訳語名詞を日本で最初に使った落合直文の歌〉とある。 「明星」の創刊号に掲載。 近代短歌において「恋人」という言葉が落合直文によってはじめて使われたというのもはじめて知る。正岡子規や与謝野鉄幹、森鴎外などとも交流があったということも本書で知ったのであるが、(初心者マークをつけているyamaokaである)、落合直文さんやるなあって、しかも武士の出よ。新しい明治という時代に古きものをしなやかに脱ぎ捨てて、と思ったのだが、短歌を読むとそんな近代短歌を背負うというふうな気張ったところは微塵もなくて(意識にはあったのかもしれないが)短歌はふるきものを大事にしつつ、あくまで日常身辺を肌理細やかにとらえ家族への思いにあふれ、草花に思いを寄せ無理のない詩情がある。すごくいい。 以下は担当のPさんの感想と好きな短歌である。 両親、妻や子だけでなく、自身と関わりのあった人間への惜しみない愛情に溢れ、人間だけでなく、四季や草花も大切にしたひとです。 過ぎ去るだけ日常や人間の些細な行動を美しい調べに切り取ることのできる作家なのだと思いました。 優しさや愛情を十全に詠み、寂しさや悲しさも素直に詠んだ美しい抒情の世界です。 梶原さい子さんの直文を丁寧に読み解いた言葉も、分かり易いように思う直文の歌の世界さらに拡げていて、読後は豊かなものに触れた満足感があります。 カバーは直文が一番愛した萩の花に決まりました。 逢はでのみ秋は暮れけりこの冬はわがたもとよりしぐれそむらむ をさな子の死出の旅路やさむからむこころしてふれ今朝の白雪 をとめ子がまねく袂をよそにして心たかくもとぶほたるかな 世をいとふこころの月のかげまでもさやかにやどす水茎のあと をさな子が乳にはなれて父と添ひ今宵寝たりと日記にしるさむ 色やあると紅梅の花におく露を紙におとして見るをとめかな ちる花のゆくへいづことたづぬればただ春の風ただ春の水 歌かきし筆をあらへば雲なして墨はながれぬ庭のやり水 手ににぎる小筆の柄のつめたさをおぼゆるでに秋たけにけり 今朝のみはしづかにねぶれ君のため米もとぐべし水もくむべし もう少し、梶原さい子さんの解説を紹介したい。 わが歌をあはれとおもふ人ひとり見いでて後に死なむとぞおもふ このような歌もある。皆に仰がれた直文だが、こんな孤独な願いもあった。和歌の革新の中の苦しみを思う。個の内側においても、革新はそう容易くはなかった。 直文の葬儀には、千二百人あまりが集まった。また、葬列の通る沿道でも、戸口に立ち、涙を流して見送る人が多くいたという。 友人であった森鷗外は、直文のことを、「すこしも胸にこだはりの無い、所謂竹を割つたやうな」人柄で、「私は、落合君と話す毎に、いつも愉快を感じて、その愉快が、別れて後も数日間去らなかつた」(「国文学」六十二号」「萩の家主人追悼録」)と言っている。そういうところも、愛されたのだろう。 誰のこころにもそっと届く、そんなやさしい表情をした短歌で近代短歌がはじまったということ、それをわたしは短歌における大いなる幸いと思ったのだった。 さきつづくすみれたんぽぽなつかしみもとこしみちをまたもどりけり すきな一首である。 ![]() 盛りをすぎた楝の花がけぶるように咲いている丸池公園。
by fragie777
| 2023-05-25 19:12
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