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5月19日(金) 旧暦3月30日
家の山法師の花を剪って、花瓶に挿してみた。 山法師は背の高い木なのでなかなか花に手が届かないのだが、ひとつは二階の出窓に寄り添うように植えてあるので窓を開けると花にふれることができる。 好きな花なので、家のなかにも飾ってみたかった。 もう一輪もこんな風に。 実はこのテーブルの下に猫の日向子がいる。 最近はもっぱらここがお気に入り。 山法師が咲く頃にはきっと生きていないだろうって覚悟していたので、いまだに信じがたい。 新刊紹介をしたい。 46判変型ハードカバー装帯有り 388ページ 歌人・水原紫苑(みずはら・しおん)さんが、2022年にふらんす堂のホームページで連載したものを一冊にしたものである。 連載においては、日々の詞書きも日記形式で記されていたのだが、一冊にするときに全部削除して、短歌のみにして上梓されたのである。これはこれでなんと思い切りのよいこと。ご本人に思うところがおありだったのだと思う。 連載当初から担当はPさんであり、本の編集担当もPさん。 担当当初からこうして一冊となるまで、Pさんは歌人・水原紫苑に十分に魅了されたようだ。 拝読すると、古語を駆使し、ご自身の世界を流麗な調べにのせて展開していく。描かれた世界は現実ともことなる様相ではあるが、読者のこころはその世界のもつ引力にぐいっと引き寄せられてしまい夢ううつつとなる。枕詞を多様しながら、古語に精通し、卓抜なる修辞力でもって一気に読ませる。わたし個人として、登場人物によく知っている人(?)が多く、パリへの憧れなども心くすぐられた。というかすべてが羨ましい。 Pさんは曰く 「すでに亡き人や神話や物語の登場人物がまるで友人のような存在であって、それらの人物と対話をしているよう。」 Pさんが好きな短歌を紹介したい。 わたくしは鳥かも知れず恐龍の重きからだを感ずるあした 夢の中に階段多し罪深きあかしのやうにつね眞紅なり ペンギンは金星の人、ヴィーナスの正身(むざね)を知れる唯一者なり 夏鳥の尾長來たりてすさまじきこゑにさけびぬ美は虛妄なり ポリティカルコレクトネスの嵐吹く丘に立ちけり死者迢空は 新しき冷藏庫さくら白犬の生まれかはりぞはつかに啼ける オペラ座はいかに微笑む黑革のジャンパーきつくたましひ締むる につぽんはさむき國なり直面(ひためん)に步むひとびと斃れゆくなり 新しき冷藏庫さくら白犬の生まれかはりぞはつかに啼ける 水原紫苑さんの世界を支配し、心を大きく占めているのは亡くなった愛犬さくらである。これってよくわかる。冷蔵庫をあたらしくしたのはいいが、その冷蔵庫がかもしだす音を愛犬の鳴き声ととらえるのが可笑しいのだが、水原紫苑さんは大まじめである。「はつかに啼ける」に、亡き犬へのかなしい情愛が滲み出る。 フリージアは魚(うを)の泪(なみだ)に活くべしとこゑのみ立てり壺の中より この一首はわたしの好きなもの。目のまえのフリージアの花を見ていて引き出された幻想であるかもしれない。壺の中より声のした、というのが、妙に現実的な感覚を伴う。魚の泪もいい。魚の目の泪に気づかせてくれたのは「行く春や鳥啼き魚の目は涙」と詠んだ芭蕉であるが、水原紫苑においては、魚の泪はたっぷりと豊か、そこに活けられるのがフリージアというのもいい。この壺のこえは、ギリシャ神話の神々のひとり、ポセイドンのこえかもしれない。というのはわたしの幻想。 紫木蓮固き花よと思ひしかどたとふればロミー・シュナイダー壯麗なりき これもわたしの好きな一首。なんたってロミー・シュナイダーが登場しているもの。ウィーン生まれでドイツとフランスをまたにかけて活躍した女優ってわたしは思っている。知的な精神性をおもわせる風貌とシャープな輪郭に燃えるような眼差し。好きな俳優のひとりである。紫木蓮から連想したことも新鮮であり、「壮麗」ととらえたことも発見だった。たしかに「華麗」より「壮麗」という言葉が合っている俳優だ。ジェラール・フィリップといい、水原紫苑さんが好きな登場人物は、わたしの心に眠っている人たちを呼び起こす。〈イングリッド・バーグマンのごとく帽子被て他者なるわれは涼風のもと〉これもまた帽子を斜めにかぶった「カサブランカ」のバーグマンがあらわれる。わたしのようなミーハーをも楽しく読ませてくれる歌集である。 われのごとカフェに物書くいちにんよみづから卷ける煙草吸ひつつ Pさんの好きな一首でわたしも好き。パリの街角のカフェの風景だ。水原紫苑さん、カフェで何かを書いている。つまり創作行為をされているのだろう。そこには、巻きたばこを吸いながらやはり何かを書いている人間がいる。なんだか良いなあ。いかにもありそうなパリの風景だ。水原さんの短歌を多くは虚構の世界の面白さであるが、これは経験からのものかもしれない、まあ、願望のようなものであってもいいのだけれど。この「いちにん」は、ジャン・ギャバンであっても、あるいはジャン・ポール・ベルモンドであってもいい。いや、モーリス・ロネが一番いいか。あるいは、シモーヌ・ヴェイユであったらさらにカッコいいなあ、などと、こんな風に心をとおくまで遊ばせてくれる短歌が多い。 ロシアによるウクライナ侵攻という衝撃的な出来事があり、一方、個人的には久々のフランス渡航を果たすことのできた思い出深い年でした。 この星の未来を信じてなお走ります。 「あとがき」を紹介した。 このあとがきにあるように、連載中の8月の上旬にパリにいかれて年末に戻られた水原紫苑さんである。そしてさらにふたたびパリに行かれて目下パリ滞在中である、実はこの本もまだ手にされていないのである。間もなくお帰りになると伺っているが、なんとも精力的な方だ。 本書の装丁は和兎さん。 「普段はつかえないようなピンクをつかって思い切り可愛い本にしたかった」ということ。 あたたかなピンク色にツヤ亡しの銀の箔押し。 小さな本のゆえか、愛らしい出来上がりである。 水原紫苑という歌人のもつ華やぎに響き合っている。 カバーを取った表紙。 カバー、帯、表紙、見返し、すべて同じ用紙である。 扉。 花布は白。 栞紐も白。 ピンクでないところがいい。 水原紫苑という歌人にひそむ凜乎としたものに響きあっている。 しらべなきいのちとおもへひびきよりかがやきならむうたこそ快樂(けらく) 「水原紫苑さんの短歌は、自己との対話のようにも思えます。そして自己陶酔なるものもあります。美しいものを呼び込み、断定するような詠い方、それが魅力でした。自身を魅了するものをすべて友人のように見立ててそれと対話していく。すごく充実した豊かな人生であるように思いました。そういう生き方に憧れます」とPさん。 この連載が終わる頃に、パリ滞在を綴ったエッセイ『巴里うたものがたり』(春陽堂書店)を上梓され、今年はじめには第十歌集『快樂(けらく)』(短歌研究社)を上梓された水原紫苑さんである。本当にすばらしいバイタリティである。Pさんは心の底から驚いていた。 第十歌集『快樂』では、今年度の「超空賞」を受賞されている。 「巴里にあこがれているが、すでに巴里を超えてしまっている。水原紫苑さんはそういう方だ」とPさん。 地下食堂にボードレールの詩句ありて移民勞働者ペドロ降り來(く)も 韻律がロマンティックな調べとなって、読者の身体を真っ直ぐにつらぬく。 朝日にかかやく山法師。
by fragie777
| 2023-05-19 19:55
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