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5月8日(月) 旧暦3月19日
じいっと見ているとくらっとしてくる。 神代植物園の芍薬である。 牡丹はすでにおおかた散っていた。 芍薬へ流眄(ながしめ)の猫一寸(ちょと)伝法 川端茅舎 芍薬や枕の下の銭減りゆく 石田波郷 芍薬や友は富むゆゑみなやさし 山田みづえ 芍薬の花によせる俳人たちの思いや観察がユーモラスだ。 あでやかさには共通するものがあるが、そこが牡丹とちがう。 なぜだろう。 今日の讀賣新聞のコラム「俳句あれこれ」に森賀まりさんが「受賞の後」という題で文章を寄せている。 実は森賀さんのコラムはこれで3回目。毎回拝読をしている。短い文章ながら丁寧にして味わいの深い一文である。 今回は、田中裕明さんのことに触れながら、「田中裕明賞」のこと、そして今回の受賞者の岩田奎さんのこともその俳句とともに紹介をしておられる。 全文を紹介したいところであるが、抜粋にとどめる。 (略)彼の死後その俳句を顕彰し若い俳人を育てるための一助として「田中裕明賞」が創設された。(略)受賞された方たちがそのまま俳句を継続し彼の年齢を超えてそれぞれの詩を深めてゆく。それを見ることが授賞する側の本意であるだろう。 清朝に写真がすこし百日紅 岩田奎 私はといえばこうした受賞作に裕明の「雪舟は多くのこらず秋蛍」などが映り込んでいる気がする。彼の知らない齢(よわい)を生きながら彼の不在が照らすものを見ている。 森賀まりさんは、「田中裕明賞」に対してつねにあたたかなお気持ちをもって支えて下さっている。 こうした森賀さんのお気持とともにこれまでの選者の方たち、そしていまの選者の方たち、受賞者、応募者の方々を思いつつ「田中裕明賞」の歩みを思うと、「田中裕明賞」は多くの人に愛されている幸せな賞なのではないかと、つくづくと思うのである。 ともかくまずは「第14回田中裕明賞」の冊子づくりである。 もう少し、お待ち願いたい。 以下は余談。 今日のゴミ回収は、空き缶、空き瓶、そして段ボールや新聞紙のたぐい。 空き缶等はいいのだけど、今朝の激しい雨では、段ボール等の紙類はとても出せない。 ご近所を見回したところ、どこの家も出していない。 出しちゃおうって思ったが、思いとどまった。 今になっておもえば、雨もあがって、出してしまっても良かったかなと。 まあ、予定どおりにはいかないものである。 予定(予測)がよろしき方向に変更になったものもある。 車のサイドミラーの破損の件は、ミラーの交換のみで済んだ。 これは有難かった。 修理代もはるかに安く、代車に乗る必要もなくなった。 わたしはこの代車っていうやつが苦手。 代車をぶつけてしまったことがある。 車の運転、ほんと、苦手だわ。。。 さらに、愛猫の日向子が持ち直したこと。 すばらしい回復ぶりだ。 ああ、でも、あんまり喜んじゃうと、もしっていうこともある。 だから、覚悟は残しておく。 色鮮やかな芍薬の群。
by fragie777
| 2023-05-08 19:12
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