カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
外部リンク
画像一覧
|
5月7日(日) 蛙始鳴く(かわずはじめてなく) 旧暦3月18日
愛猫の日向子の病状がおちついた所為か、すっかりまったりしてしまい、ブログを書くことを忘れていた。 Netflixで「韓ドラ」でも見ようかってパソコンの前に座ったら、思い出した。 (ああ、ブログ書いてなかったな)って。 でも、いいこと、 今日は「蛇」の写真をアップします。 だから、 蛇嫌いの人、 見てはダメよ。 そうそう、 あなた。 わたしの知っている人でも2,3人すぐに友人の顔が浮かんでくる。 連休の最終日はうすら寒い雨降りの一日となってしまった。 夏、二日目である。 この寒暖のはげしさはどうだろう。 風邪をひく人も出てくるに違いない。 わたしも気をつけます。 今日は田中裕明・森賀まり著『癒しの一句』より、今日の日付のものから田中裕明さんの鑑賞。 葉桜やすずろに過ぐる夜の靴 金尾梅の門 桜の季節が散り終わって、葉桜の季節がやってくる。青々とした桜の若葉の美しさは、平安の歌人は知らなかった。いや元禄の俳諧師も知らなかった。天明期に入ってはじめて夏の季題として確立した。「葉ざくらや南良(なら)に二日の泊り客 蕪村」「葉桜のひと木淋しや堂の前 太祇」などの句がある。夏のはじめの、新樹や若葉などの生命力にあふれた季語が、発句の中に生かされるようになって、葉桜と言う言葉も詩語として意識されたのだろう。 掲出句は夜の葉桜である。昼はまぶしく見えていた葉桜も、闇の中に沈んでいる。すずろに、は、漫ろにと書く。心のおもむくままにとか、これといって当てのないことをさす。そぞろ歩き、という言葉もある。夜もふけて、桜の木の下をひとりの男があてもなく歩く靴音が響く。作者自身の孤独な心に響くようだ。 金尾梅の門は明治三二年(一九〇〇)富山市生れ。一五歳から俳句をはじめ大須賀乙字に傾倒した。(葉桜・夏) ただ、元気がない。 途中の胴が膨れている。 何かを飲み込んで動けないのか。 このままだと自転車にひかれてしまいそうだ。 友人のHさんが、棒切れをみつけてきて、 傍らの川に戻してやった。 蛇はしずかに浮いている。 多分死にはしないだろう。 これも一期一会である。 死なないで欲しい。 「シマヘビだよ」って誰かがいった。 川にもどった蛇を確認して、少年はほっとしたのか、 「さようなら」って わたしたちにそれは丁寧に挨拶をして 自転車で去って行った。 夏の二日目の出来事である。
by fragie777
| 2023-05-07 21:00
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||