カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
外部リンク
画像一覧
|
4月26日(水) 旧暦3月7日
矢車草。 家の近くの道ばたに咲いていた。 昨年この矢車草をみたのは、群馬県・前橋の萩原朔太郎記念館に行ったときであったことを思いだした。 あれからもう一年か。。。。。 わたしが不毛な時間をあくせくしている間にこのブログに紹介すべきことを忘れていたことに気づく。 「静かな場所 №30」(発行人・対中いずみ)を送っていただいた。 この号から、森賀まりさんが「裕明の句帳」と題して田中裕明さんについての連載をはじめられた。 そのことを森賀さんから伺っていたのに、目先のことに追われてすっかり失念をしていたのだった。 いま拝読したのだが、一人の俳人について語られたものと思えばたいへんおもしろい。 が、ときどきせつなくなる。 改めておもったのは、文章を通して森賀さんが田中裕明さんのことについてこんな風に語るのはあまりない。いやはじめてではないだろうか。ということ。 句帳をとおして、田中裕明さんの句作りがみえてくるし、まりさんと田中さんの日常の関係も垣間見られて興味ふかい。 というか、まりさんの田中さんへの優しい眼差しがとてもいいのだ。 すこしだけ紹介したい。 田中裕明の句帳は四十一冊が残っている。ほとんどが総合誌などの付録のものだ。外出先でも自宅でも万年筆で書いた。(略) 彼の句帳は後になるほどきれいだ。書きなれて文字が軽くなってくる。万年筆で書く速さと彼の速度が合っていたような感じだ。めくってゆくとその中に文字が乱れたものがたまに混じっている。酔って書かれたものらしいが、今回その頻度の高い一冊を発見したので作品を紹介したい。字はふらついているのだが、句が不味いかというとそうでもないのが可笑しい。 以下に紹介されている句のなかより、 秋草のきみをちひろと名づけしは 『櫻姫譚』 長女を詠んだこの句は昭和六十三年秋の作。(略)この句と「にぎやかな産着に年の改まる」という句を私は誌面で知った。この他所ごとのような別次元からの詠みは何だと当時あきれていたが今見てもそう思う。この句は活字で読むにはみやびでいいのだが、句帳では「秋草」を大きく打ち込みすぎて「名」で行が尽き「づけし」と欄外を回り込んだその左に「は」がぽとりと置かれている。彼が飲むお酒は美味しそうだった。このときもいい気分だったに違いない。我が家からひとり離れた地で酌みながら赤子を思っていたのかと今さらではあるがやさしい気持になる。(略) そして入院先の京大病院で使っていた最後の句帳についてはこんな風に語られる。 去年今年人の心にわれいくつ (未収録) 亡くなる前日に「息苦し ゴムマットレス」のメモとこの句がある。褥鰺の予防となるラテックスのマットレスに取替えられ、その後個室へと移動となった。個室は危篤となったら行く部屋だった。せいぜい四十冊だった田中裕明の句帳の最後の句である。元気な頃は飲み過ぎることが心配だった。この句の字のふらつきも酔っ払っていたのならよかった。 田中さんが亡くなられて来年で20年となる。 森賀まりさん、やっと田中裕明さんのことについて語ることができるようになったのだなと思ったのだった。 そして、もう一冊。 俳誌「鷹」五月号 「小川軽舟『無辺』特集・第一弾 」として岸本尚毅さんと小川軽舟さんの対談が載っている。司会は髙柳克弘さん。といっても髙柳さんもお二人の句集に鋭く食いこんでいるのがおもしろい。 タイトルは「いかに言葉を制御するか 岸本尚毅×小川軽舟」 「主宰の新句集『無辺』と、同年齢である岸本尚毅さんの『雲は友』が昨年刊行されました。二冊を比較しつつ、作品論や世代論ができればということを考えております」という髙柳さんの司会のことばからはじまる。そして、お互いに相手の句集より十句を選びあっている。そしてその句について語り合うというもの。すごくおもしろい。これは是非一読をおすすめしたい。 ほんすこし抜粋して紹介を。 岸本 (略)『無辺』では、言葉のニュアンスを把握して、一句の中にいろんな言葉を使っているわけですが、その言葉のニュアンスの使われ方の正確さ、的確さを強く感じました。もう少し実作よりの言い方をすると、使うと危なっかしい言葉を、実に巧みに制御している作品がありました。(略)「バーベキュー薫風汚すこと楽し」の「楽し」は、わたしもときどき図々しく使いますが、かなりベタな言葉です。それともう一つ、「汚す」という言葉ですね。風を汚す。物を汚すというのは、抽象的なものを汚すこともあるし、何かを汚すということで日常会話で使われる言葉なんですが、俳句の中で、何かを汚すという言い方がうまくいくんだろうかと。わたしは臆病なので、「薫風汚す」なんていう言い方は正直、まねができない。ところが、バーベキューというものは確かに薫風を汚していますね。「汚す」という言葉が、この句ではとても的確です。(略) (略) 髙柳 岸本さんの一番の特徴は、一物仕立ての写実の句というところにありますね。『雲は友』の「なめくぢを越えゆく蟻や梅雨菌」はその典型です。 小川 一句に季語は一つであるべきだと考えるのが常識ですから、三つも同じ時期の季語が入っていることに当然反発を抱く人もいるでしょう。そこをわかってやっているところが大変挑発的です。でも考えてみれば、世界には様々な季語が同時に存在するわけでして、それをそのままリアルに受け止めれば季重なりというのは当然出てくる。そして、岸本さんの写生を見ているとしばしば思うんですけれど、写生を突き詰めると、そこに見える世界が奇想めいてくるんです。例えば伊藤若冲の動植物の絵のように、時にはグロテスクにもなるというところがある。その典型がこの句かなと思いました。 この小川軽舟さんの岸本写生論はとてもおもしろかった。この小川さんの言にたいして、岸本さんは「季重なりに関しては確信犯です」と言い切っているが、もちろんそうでしょうとわたしも思ったのだった。季重なりは誰でもできるものではない。写生力が問われるものだ。
by fragie777
| 2023-04-26 19:20
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||