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4月23日(日) 旧暦3月4日
水木の花。 夏の花である。 ご近所の丸池公園に咲いていた。 もとより山の木であるから、大木となる。 昨晩はなんとも疾風怒濤の数時間だった。 じつは、近くのホームセンタ―に買い物に行って、お財布を失くした。 愛猫・日向子を大学病院へ連れていく予定もあったりして、かなりのまとまったお金が入っていた。 そしておびただしい数のキャッシュカードやクレジットカード、なにしろ法人と個人がいくつかの銀行ごとにあって、それらがお財布に結集していた。 思い当たることとしては、コートとバッグを椅子においたままちょっと席をはずしたことぐらい、ひょっとしたら置き引きという可能性も。。。 で、夜の交番に行って、被害届を出し、その後カード会社や銀行に連絡すること2時間余、なんともいやはやであった。お財布の紛失に気づいたときはすでにホームセンターは閉まっていて、確認することもできない。 マイナンバーカード、保険証、運転免許書、病院のカード、すべてそこに入れ込んでいたのだった。 失くなってしまったら、わたしはもう機能しないっていうくらい。 落ち着かない気持ちで朝をむかえた。 で、朝一番にホームセンターに電話をいれた。 で、 なんと、 あった!のである。 ノジマ電気で買い物をした際に、お財布をレジのところに置き忘れたらしい。(なんということ!) 良かった!! カード関係はすべて使えなくなってしまったが、もうこれは粗忽者のわたしへの神がくだした鉄槌と思い、おおいに反省したいと思う。わたしはこれまで4度ほどお財布を失くしている。幸いなことに全部もどってきた。 しかし、とんまな人間であるとつくづくと思う。 一つのところにそんな大事なものを集結させるな、って周りからは言われた。 たしかに、そうかも。 このところちょっとボンヤリしていることも確かであるが。。。。 お騒がせをいたしました。 ![]() 新聞記事を紹介したい。 東京新聞に相子智恵さんが、句集の批評を書かれている。 抜粋して紹介したい。 3月18日(土)付のものは、森賀まり句集『しみづあたたかをふくむ』と和田華凛句集『月華』の二冊について。タイトルは「系譜ではなく」 森賀まりの句集『しみづあたたかをふくむ』が、この度第62回俳人協会賞に決まった。(略)〈白桃や過去のよき日のみな晴れて〉〈青蘆やふたりが遅れつつ五人〉〈こほろぎの滴のごときかうべかな〉(略)言葉を詰めこまない文体が、そぎ落とした鋭さには向かわず、豊かな余白のふくらみにつながるという作風は、森賀の夫で二〇〇四年に夭折した俳人、故・田中裕明の作風とも通う。(略)田中裕明は死後も人気が高い俳人で、それもあって森賀は田中の妻として語られがちだ。だが、〇九年からの十四年間の句をまとめた本書からは、前作までの句集にない、森賀独自の句境の深まりがあり、頼もしい。 女性俳人を顕彰する第11回星野立子賞に決まったのは、和田華凛の『月華』。あとがきに「曾祖父後藤夜半が創始し、七十四年続く俳誌「諷詠」4代目主主宰を後藤家の長女として生まれた私が今日継承しているのは、天命である」と書くのには、自らを鼓舞する思いがあろう。(略)〈能面の月華を宿す白さかな〉〈いつも雨都をどりに行く時は〉〈獅子鍋や丹波訛の虚子贔屓〉俳句界には「師系」という言葉がある。(略)定型や季語などの基本から文芸の志まで師から学ぶものは多く、俳人が師系を大切にするのは自然な流れと言える。 ただ、森賀や和田のような境遇の作家の作品を読む時、世間はつい系譜を前面に語りがちで、これには自戒を込めて慎重でありたい。(略)語るべき作品は今目の前にあり、森賀も和田も語るに堪える強さをもった作品を生み出しているのだ。 そして4月15日付けのものより。こちらは斉藤志歩(1992年生れ)の句集『水と茶』(左右社)と、小山玄紀(1997年生れ)の句集『ぼうぶら』、岩田奎(1999年生れ)の句集『膚(はだえ)』の若い世代の句集3冊。タイトルは「臍の緒をつなぎ直す」こちらも抜粋にて紹介。 斉藤志歩句集『水と茶』。従来の模範的な詩情から解き放たれたフラットな眼差しで、現代の日常を軽やかに切り取る。〈冷蔵庫の明りに中でハムを食ふ〉〈錠剤のぱちりと出づる涼しさよ〉 小山玄紀句集『ぼうぶら』。調和的な有季定型句はすべて捨てて、無季と有季を区別しない新たな作品を世に問う。〈鶏のゆきもどりして国境〉〈顔(かんばせ)の乾いてゆきぬ芒原〉(略)ラディカルな試みの奥にある繊細さが静かに胸を打つ。 岩田奎句集『膚』。メタ的な思考と眼前の写生とが同居する不思議な味わいの句集だ。〈あと一度ねむる夏蚕として戦ぐ〉〈蠅の目のうつくしかりし港かな〉 (略)彼らに共通するのは俳句をフラットに思考する姿勢だ。一見スマートなその裏には、歴史と臍の緒が切れ、検索すれば様々な論が溢れ、自らが立脚するはずの俳句(季語・定型・詩情・自己表現)を無邪気に信じられなくなった現代にそれでも「俳句とは何か」を考え続け、俳句と自分の臍の緒をつなぎ直そうとする情熱を感じる。早々に他者から評価された早熟な彼らにとって、第1句集とは俳句と純粋につながり直す、生れ直しの産道なのかもしれない。 個人的なことなのだが、と言ったっていつも個人的なことを恥じらいもなくこのブログに書いているyamaokaじゃいかって、そう、その通りよね。 で、 愛猫・日向子の状態が芳しくなく、あとどのくらい生きられるのかちょっと定かではない。 明日二次診療をするべく大学病院へ予約をとったのであるが、結局キャンセルをした。 19歳という高齢を考えれば、もう十分生きてくれた、ということなのだが、まだまだ生きて欲しいという思いがあって、なんとか突破口はないものかとここ二週間ほど大いに悩んだのだが、なすすべがないのである。そして猫本人が検査などのストレスで苦しむことは避けたいので投薬で対処することにしたのだった。 日々目にみえて衰弱していく姿を見るのは辛いものだ。 三年前に19歳で亡くなった愛猫のヤマトは、衰えてはいたものの普段通りにしていて朝に眠るように亡くなった。すこしも苦しんだ形跡もなく。日向子もきっとそうだろうって思っていたのだが、、 もとはPさんの猫だったので、このところ、Pさんも家にやってきて、日向子と一緒に過ごしている。 あと、何日生きられるだろうか。。 今日の日向子とわたし。(Pさん撮影) 目はもっとブルー。
by fragie777
| 2023-04-23 22:08
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Comments(2)
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お財布、見つかってよかったです。私も先日、同じような体験をしました。夜まで気がつかなくて、焦りまくりましたが、無事戻ってきました。
日向子ちゃん、どうぞおだやかに毎日を過ごされますように。本当に美しいお猫さまですね。ヤマトちゃんも愛らしく…ブログで拝見するのが楽しみでした。Yamaokaさまもどうぞご自愛ください。
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オスカーさま
お言葉ありがとうございます。 戻ってきたお財布はヒシと胸にだきしめたのでした。 日向子のこと、ありがとうございます。 無邪気な目をこちらに向けますので、おもわず胸がつまります。ヤマトのことも覚えていてくださっているのですね。嬉しいです。 寒いですからお風邪など召しませぬように。 (yamaoka)
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