カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
外部リンク
画像一覧
|
4月7日(金) 旧閏暦2月17日
アメリカ花水木が花を咲かせはじめている。 打ちっ放しのコンクリートの建物がつづく通りには、白のアメリカ花水木の花はよく似合う。 新刊紹介をしたい。 四六判仮フランス製本カバー装 160頁 2句組 天アンカット 俳人・仁平勝(にひら・まさる 1949年生)さんの前句集『黄金の街』につぐ第4句集である。句集名の「デルボーの人」のデルボーは、わたしたちもよく知る20世紀のベルギーの画家ポール・デルボーのことである。裸体の女性を林立させ、孤独な冷たい夢想のなかに見るものを引き込む、一度みたら忘れられない画家である。本句集はそのタイトルとデルボーの装画によって、まず読者はこのシュールレアリスティックな絵の前に立たせられるのだ。いったいどんな世界がこれから展開していくのだろうか。目次の章立てもおもしろい。「夕方の匂ひ」「鉄塔のあたり」「初夢の弟」「きのふの豆」「デルボーの人( シュールな夏)」「足のマーク」「耳のうしろ」「放課後の虹」どの項目もそれぞれ俳句の一節をとっているのだが、みなどれも小さな物語秘めているかのようだ。 間をあけて立つデルボーの人涼し 本句集のタイトルとなった一句である。仁平勝さんの「あとがき」によると、本句集は基本的には夏からはじまり夏でおわる四季別になっているのだが、その真ん中の「デルボーの人」の項は、(シュールな夏)という副題があるように、特別な夏なのである。連作で総合誌「俳句」に発表した作品群であり「二〇二〇年夏、そんなに長引くとは思はなかつた。」という一文が添えられている。つまりはコロナ蔓延の状況下に生きる日々を詠んだものだ。それぞれがお互いに関係性をもつことなく佇むデルボーの人物たちは人間の関係性を絶つことを強要されたコロナ蔓延下の人々のありようを象徴しているかのようだ。しかしながら、緊迫をしいられた人との関係性を「涼し」と詠む仁平勝さんがわたしには好もしい。どこかこころのゆとりを感じる。 ポール・デーの冷ややかで硬質な感触の絵のまえに立たせられながらも、本句集は、頁をひらけばそこには気負いのないゆるやかな世界が展開していく。肩に力をいれず、いい感じで脱力して俳句を読む仁平勝という俳人がいる。読者もまた、関節と関節の間がゆるやかになってここちよく血流もかよいあう。とくにわたしなど世代を同じくする人間にとってはノスタルジーが呼び起こされる、そんな句集である。 本句集の担当は、Pさん。 窓を開ければ港が見える夜の秋 八月の湯の沸く音がしてをりぬ 綿虫くらゐは老眼でも見える 初夢の弟生きてゐて威張る 透明に仕切られてゐる薄暑かな 探梅といふ徘徊をして来たり 春深し耳のうしろをよく洗ふ 好きな句をあげてもらった。 窓を開ければ港が見える夜の秋 この一句のどこが好きなのか、Pさんには聞きそびれたが、この句は上五にあたる部分が字余りではあるが、それはわたしなどは気にならない。というのは、知る人ぞ知る、と言ってもある年齢の人間にかぎるが、「窓を開ければ港が見える」は、往年の歌手(古い言い方!)淡谷のり子の「別れのブルース」の歌詞の出だしの一節である。仁平さんは当然そのことを踏まえて一句にしたのだ。言ってみれば歌詞に「夜の秋」の季語をつけたのみである。ずるいよ仁平さん。しかし、こうして一句として目の前におかれてみると、「夜の秋」がなんとも詩情を深めている。選んだPさんはぜったいに「別れのブルース」などは聴いたこともないと思う。そのPさんの心をとらえた一句なのである。わたしは同じ様な歌詞を踏襲した句では、〈木枯を母のない子のやうに聴く〉の方に立ち止まった。「時には母のない子のように」と題したカルメン・マキのフォークソングの一節である。寺山修司の作詞だ。これは仁平さん、きっと耳にタコができるくらい聴いたと思う。わたしもそう。「木枯」の季語が巧みだ。「本歌取りやパロディを好む」(あとがき)仁平さんの遊びこころである。 初夢の弟生きてゐて威張る この句は、校正スタッフのみおさんも好きな句としてあげていた。「「威張る」が切ないですね…。」と。仁平勝さんは弟さんを亡くしている。翻訳者で享年五三、自死だった。とても仲が良かったようだ。前句集『黄金の街』で追悼の句を何句が載せている。〈夏月和厚信士享年五十三〉〈なきがらの横にビールを注いでをり〉〈暑がりの弟の墓洗ひけり〉。掲句は、死んだ弟が初夢に出て来たのだ。しかも生きている。そして威張っている。兄に威張る弟がいてそれはそれで遠慮がなくていい。「威張る」と下五にぶっきらぼうにおくことで、思いを断絶させるように述べているが、それがかえって弟の非在を思わせる一句となっている。みおさんがいうとおり、「切ない」。 おほまかな鉛筆の地図あたたかし これはわたしの好きな一句である。冬の間に家のなかに閉じこめられていた生活も、春になって野山がいろづくころには出かける人たちも多くなる。いまはどこへ行くにもiPhoneなどに入っている地図アプリが親切に案内をしてくれる。しかし、上手く使いこなせなければ役には立たない。そこは非情なまでに。この一句に登場する地図は、たぶんメモ書きの地図だろう。「あら、そこに行くのね。ちょっと書いてあげるわ」なんて言ってその辺にある紙をみつけてササッと鉛筆書きをしたものだ。それをもらって歩き出す。つくづくみれば、たしかに大雑把であるが、要点ははずしていない。それを書いた人間の顔やその動作までみえてくるような鉛筆の線である。これがあまりにも緻密できっちりでありすぎるとそりゃそれですごいと思うが、ふっと笑ってしまうようなスキがない。大まかであるということは、スキもあるということ、思うにこの作者は人間の緻密さよりも、かえっていい感じのラフさ加減を楽しむ粋な心をもっているのではないだろうか。だから、「あたたかし」と楽しむ心の余裕があるのだ。この一句の背後にみえる心根が好き。アナログ的次元の心やすさもいい。 春深し耳のうしろをよく洗ふ これはなんといっても「春深し」の季語がいい。耳のうしろをよく洗うのは、いつの季節でもやることだけど。この句を読んでいると、生ぬるい温水が耳のうしろをながれていくような心地よさを感じる。そして指先でキュキュとあらうのだ、耳のうしろを。耳のうしろという秘やかなところを丁寧に洗う行為、それはまた自身の肉体をいとおしむそんな行為でもある。桜の季節はすぎて、木々に緑がみえはじめる。汗をかくこともおおくなる季節だ。深まり行く春に心のみでなく身体も繊細に反応にする。誰にも見られない耳の後ろをきれいに洗うこと、そしてそのことはわたしだけが知っていることだけど、ふかまりゆく春へのささやかな挨拶でもある。と書いたわたしはさっそく今夜は耳のうしろをよく洗うことにしたわ。 〈憲法がいぢられてゐる秋の暮〉〈戦争が近づいてゐる花野かな〉などの批評性のある句が収録されているのも仁平勝さんらしい。 私の俳句は初心から自己流で、これといった流儀はない。でも読み返してみると、それなりに先達の作風を踏襲している。本歌取りやパロディを好むのは、愛読した加藤郁乎の影響であり、季語の季節感にこだわらず季重なりも嫌わないのは、すなわち虚子に倣ったものだ。齢五十を越えて師事した今井杏太郎からは、「俳句は引き算でなく足し算である」というセオリーを学んだ。杏太郎はまた、なによりも五七五のリズムを大事にした。俳句という詩の根拠は、そこにしかないだろう。ただごとが五七五だけで俳句になっているといわれれば、それは褒め言葉になる。 五七五のリズム自体は、いわば通俗である。そして俳句は、自身の通俗さから出発し、その通俗さを対象化する詩なのだと思う。二十年余り前に出した『俳句をつくろう』(講談社現代新書)という俳句入門書にも書いたことで、私自身そうしたモチーフのもとに俳句をつくってきた。思うにこれは、初心の頃に出会った畏友・攝津幸彦の俳句から、私なりに手に入れた俳句観といえる。ここにも良き先達がいた。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 装丁は前句集同様、和兎さん。 そのデルボーの絵にするかは、仁平さんと相談しながら決めた。 表紙は赤。 扉。 各章には、すべてデルボーの絵の一部を配した。 不要不急の新茶を買ひに外出す 透明に仕切られてゐる薄暑かな 片陰の反対側を歩かうか 濃厚に接触したる蚊を打てり ゆく夏をいつか余生の語り草 (「デルボーの夏」連作より) 上梓後のお気持ちを伺った。 (1)今回の句集に籠めた思い どんな言葉が五七五によって俳句になるか、と考えながら、型にはめずにいろいろな句を作ってきた。本書は、現時点(73歳)におけるその集大成です。冒頭にいきなりパロディの句〈づかづかと夏の踊り子号に乗る〉を置いたのも、私なりの俳句マニフェストです。 (2)句集をまとめていて何かみえてきたものなどありますか? 句を並べていけば、連句と同じような効果が生まれてくる。そこで句がうまく並ばないところでは、いわゆる「遣り句」を入れてみた。するとそれは必然的に、切れのない平句のかたちになる。私は日頃、そういう平句的な句の魅力を説いてきましたが、俳句は発句とは違うということをあらためて確信した次第です。 仁平勝さん (2023年1月11日、カバーの刷取をまえにして) 甚平を着てなんにでも七味ふる 辛いものばかり食してはいけませんことよ。 ご自愛専一に。 そうだ。 「読んだあとにのこるさびしさがいい」 とPさんが言ってました。。。
by fragie777
| 2023-04-07 20:57
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||