ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko

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徹底写生、雪月花汎論という俳句理念をこころに。

4月5日(水) 清明 旧閏暦2月15日


徹底写生、雪月花汎論という俳句理念をこころに。_f0071480_17560124.jpg


ワイエスの「Faraway」と題した絵の一部分。(障子が映りこんでしまっている)
と言ってももちろん本物じゃない。
印刷されたものをかなり前に骨董を商っている俳人の石田郷子さんから500円(!)という特別価格でわけて貰ったもの。
それを額装して家においているのだけど、わたしは毎日この少女に一挙手一投足を見られている。
この絵を最初に見たときは、絵に描かれているのは少年だとおもっていた。
買ったときもそう思っていたのだけど、この絵とくらしているうちにふと少女かもしれない、って思うようになったのだ。
そしてその思いつきはとても気にいったのである。
そう思うとこの眼差しが遠い日の少女であった自分の眼差しと重なって、そう、わたしもこんな目をした少女であったかもしれないって思ったり、もう十分に歳を重ねてきてしまったけれど、どこかにこの眼差しと響き合うものがまだ自分の中に残っていたりすると思ったりする。あるいは、わたしの素っ頓狂な日々を眺めているこの少女の視線を感じることも決していやではないのだ。かえって励まされるように思うときもあったり。
少年であってもそれはそれで嫌ではないけれど、もとより少年が気に入って購入したのだから、嫌なはずはあろうことがないわけなのだけれど、ひとたび少女と思ってしまった今、そしてかなり長い間その少女と親しんできた今、わたしにとって少女以外のなにものでもないのである。
実はここに描かれたのはワイエスの息子Jamie Wyethであることも最近知ったのであるが、わたしにはその事実より、日々ともに暮らしているこの絵の中のひとりの少女の語りかけのほうがはるかにリアリティがあるのだ。






新刊紹介をしたい。

齊藤久美子句集『星月夜(ほしづきよ)』


徹底写生、雪月花汎論という俳句理念をこころに。_f0071480_17563765.jpg
四六判ハードカバー装帯有り 184頁 三句組


著者の齊籐久美子(さいとう・くみこ)さんは、昭和23年(1948)福岡生まれ、現在は東京・東久留米市在住。平成14年(2002)俳誌「円」に入会し、岡部六弥太に師事。平成15年(2003)「山火」に入会、岡田日郎に師事。平成23年(2011)第21回「山火」新人賞受賞。平成29年(2017)第62回山火賞受賞。現在「山火」同人。俳人協会会員。本句集は平成15年(2003)から令和3年(2021)までの作品を収録した第1句集であり、今は亡き岡田日郎の「山火」選後評を鈴木久美子現主宰が抜粋して収録し、序に代えている。岡田日郎亡き後は鈴木久美子主宰が、本句集のためにいろいろとお骨折りをされ世に出された句集である。
岡田日郎氏の選後評の掲載のあとに「まとめ」と題して、岡田日郎の言葉が一頁を要して載っている。「山火」(平成30年12月号)に掲載されたものだ。「山火」の俳句理念が掲げられているのだが、そこに「徹底写生、雪月花汎論の大道を着実に歩んでこそみずからの俳句の道が開かれるのだと思う。」とある。本句集はまさにその「徹底写生、雪月花汎論」の実践の一書である。選後評をいくつか紹介したい。

 凍てに凍て払沢の滝直立す
奥多摩の「払沢の滝」は全面凍結する年もある。「払沢の滝」は先にも出てきたが、目の前の「滝」を見上げて「凍てに凍て─直立す」と徹底写生の手法で成功した。全面凍結しているわけではないのでこの詠み方は正しくていい。

 あめんばう向き変へ跳ねて堰落ちず
「堰」の水の落下点近くに輪を描く「あめんばう」のようだ。あやうく「堰」から落ちそうになると、突如「向き変へ跳ねて」落ちることはない。「あめんばう」のいきいきとした様子、臨場感が表現された。このような作をめざしたい。

 みんみんやブリキ四手吊る山社
「四手」とは「しめなわ・玉串などに紙を細長く切ってさげたもの」と辞書にある。「山社」などではよく見かける。紙などであると風雨などに弱いので似たように「ブリキ」で作って「吊」りさげている「山社」もあり、私も見たことがある。ハイキングなどで山を歩く人にはさして興味はないかも知れないが、俳句の素材としてはどこか楽しい。着眼点の良さでもある。


本句集の担当は、文己さん。好きな句をあげてもらった。

 ひと風の止みて穂絮の舞ひ上がる
 雪搔きの宿に朝刊届きけり
 灯籠の一つ離れて瀬に点る
 首立てて白鳥雨に身じろがず
 みんみんや鎮守の杜に月昇る

「地元が栃木なので日光の山々や那須高原、男体山を詠んだ景が親しく感じられました。」と文己さん。

 ひと風の止みて穂絮の舞ひ上がる

この句についても、岡田日郎氏は、選後評でとりあげている。「強風に「舞ひ上がる」のではなく「風の止みて」そのあとから「舞ひ上がる」である。」と。「強風の間はじっとしがみついていて、そのあと一斉に舞い立つ」そこをきちんと見据えていることを評価し、「事実に即して平易に表現したところがいい」と評している。丁寧にものを見ていないとこの一句は生まれなかっただろう。「徹底写生」ということの実践の一句だ。

 灯籠の一つ離れて瀬に点る

この一句も事実のみを叙してほかは何も言っていない。季語は「灯籠」、お盆に仏を迎えるために灯すものだ。この景は、「一つ離れて」とあるようにたくさんの灯籠がみえる場所に灯されていて、そのうちの一つのみが離れて川に灯っていたのである。「瀬に点る」とあることから、夜の暗いところでの景色であることがわかる。一つのみ離れて水に点っている灯籠にわたしたちはおのずと哀れを感じる。「灯籠」ゆえにこそ。「灯籠」という季語にすべてを託して詠んだ一句だ。

 雪の降りつつ雲の奥日射しけり

これはわたしの好きな一句である。「奥日光四句」と前書きのある一句である。このあとの一句が、「地吹雪の立ちては雪の上走る」であり、雪の吹雪く寒さの激しい奥日光を吟行したときの句だ。それにしても、奥日光は春夏秋に行くことはあっても冬にはあえて行かない、さすが、山男たちが集う結社「山火」であると思った。ハードな吟行であったと思う。それはさておき、この句、雪が降っていても「雲の奥日射しけり」と普通はきづかない雪空を言い留めた。雪を降らせている空には奥行きがあって、そこには自然界の奥義があり、ぼんやりしていたら気づかない、しかし、作者の目はそれを捉えたのだった。日頃の写生をする目が利いたのである。

 一花二花辛夷の開き谷地晴るる

この一句にも岡田日郎氏の短評がある。「「開き」はじめの花にはういういしい美しさがある。「一花二花」の表現に感動がこめられているといっていい。そこがいい。」と。わたしは「谷地晴るる」の措辞が巧みであると思った。「山」ではなく「谷地」と詠むことで山と谿がみえてきてそこに咲く山辛夷が野趣に満ちている。しかも咲き始めたばかり。晴れていても風はまだまだ冷たく、粗い。そんななかで咲き始めた辛夷ははりつめた清らかさがある。こんな辛夷に出合いたい。

校正スタッフのみおさんは、「〈薄氷のつまめば水に戻りけり〉の句に惹かれました。つまむという小さな動作が、いかにも「薄氷」だなあと感じます。」と。

おなじく校正スタッフの幸香さんは、「〈山羊長き紐に草食み鰯雲〉のどかで淋しい状景が表されていて惹かれた句でした。 」と。


俳句を始めて凡そ二十年が経った。幸い健康にも恵まれ日郎先生の俳句の原点ともいえる奥日光をはじめ横手、八ヶ岳、湯沢、有馬、那須など色々なところへご一緒させていただくことができた。日常を離れて自然と向き合い、日郎先生の厳しくも温かいご指導のもと俳句に専念できた時間は何ものにも代え難く、今も私の中に生き生きと残っている。
鈴木久美子代表には本句集上梓にあたって、ご多忙にもかかわらず句集名や再選などすべてにわたって適切なご助言をいただいた。さらには山火雑詠評より抄出して掲載の労をとってくださった。身に余るお心遣いに有り難く厚くお礼を申し上げたい。
常に慈愛に満ちた深いお心でお見守りくださった故岡田日郎先生、「山火」へとお導きくださった故岡部六弥太先生に心からの感謝の言葉を捧げたい。直接お伝えできないのがただ残念でならない。

「あとがき」を抜粋して紹介した。



装丁は君嶋真理子さん。


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「星空を」という齊籐久美子さんのご要望に応えたものである。


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題字は著者によるもの。
ツヤ消しの金箔押し。


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扉。



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花布は、淡いクリーム色。
栞紐は白。



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 潮騒に海暮れ寒の星月夜


句集名となった一句である。伊豆で詠まれたもの。



本句集上梓にあたってお言葉をいただいた。


今までは大した勉強をすることもなく、毎月の結社誌の順番に一喜一憂しながら句作を頑張っていたというのが本音だったかもしれない。それは楽しい日々だったが、気が付けばいつのまにか句はマンネリ化し俳句への意欲もなくなってきていた。いっそ俳句を辞めれば楽になれる、けれどそれでは今までの時間は何だったのだろうと踏ん切り悪く思い悩む。このままでは進むことも後退ることも出来ない。迷った末にとにかく一度区切りをつけようと、会の代表の鈴木久美子様にご相談の上句集の上梓を決心した。

ふらんす堂さんには色々ご無理なこともお願いしてしまったが、私には勿体ないほどの立派な句集を作っていただいた。

自分自身に区切りをつけるための句集の上梓だった。けれど今出来上がった句集を前に改めてページを繰ってみた時、そこにはその時々の私という一人の人間としての時間も詰まっていることに気が付いた。そうだ、これは拙いけれど私の大事な自分史でもあるのだ。

迷いはいつか消えていた。今後は亡き師の御教えをもう一度最初から勉強し直し、俳句を人生の伴侶として私なりのペースでこの道を歩いていこうと思う。そうすればいつか私にとっての一句が授かれるかも知れない。




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齊籐久美子さん。




句集を上梓してみて、そこにご自身の姿を見いだしたということ、

そしてさらに俳句に向き合おうとしていかれるということ、すばらしいです。


この度のご上梓をこころよりお祝い申しあげます。





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今朝みつけた花。

「オオキバナカタバミ」というのですって。









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by fragie777 | 2023-04-05 20:37 | Comments(0)


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