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3月24日(金) 彼岸明 旧閏暦2月3日
神代植物園の桜。 染井吉野ではなく、神代曙(じんだいあけぼの)という名前の神代植物園で発見された桜であるということ。 ややピンクがまさった綺麗な桜だ。 今日はいつしか花の雨となった。 そして今日は支払日である。 経営者としては、ちょっと緊張する日でもある。 ちゃんととどこおりなく支払いができるかどうか。なって。 一応大丈夫でしたわ。。。 ![]() 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装帯有り 192頁 著者の飯田博(いいだ・ひろし)さんは、昭和11年(1936)東京・八王子生まれ、現在は国立市在住。平成31年(2019)「天頂」(波戸岡旭主催)に入会。令和元年(2019)「天頂」同人。本句集は、第1句集であり、波戸岡旭主宰が序文を寄せている。懇切な序文であるけれど、抜粋して紹介したい。 風船の糸の長さにある自由 飯田さんは、「天頂」に入会してまだ四、五年ほどであるが、それ以前から俳句とのご縁は長かったようで、「天頂」に入会されると間もなく句作の燃焼度が高まり、次々と佳作を発表されている。洒脱にして篤実なお人柄そのままに、句には素直な詠み口の中に飄逸な味わいがあり、且つまた飯田さん特有の奥行のある作品が少なくない。(略) 歯科医として、長年医道に携わってこられた飯田さん。本人は、まだまだこれからという気持ちなのに、周囲の人の目はきびしいもので、自分のことを「老医」と呼んでいるらしいことを仄聞した。むろん、ベテランの医師という敬意を払ってのことであろうが、いささか不満でもある。だが、これもまた一興。他人事(ひとごと)であるかのような気持ちになって、次の句が生まれたものであろう。 いつからか老医と呼ばれ汗拭ひ 飯田 博さんは、俳句の道においては遅まきの出発であるだけに、今後の伸び代は大きい。 初仕事糊のきいたる白衣着て この句にうかがえるように、飯田さんの発想は若々しく、句に勢いがある。今後のご活躍を大いに期待する所以である。 今年87歳になる飯田博さんは、いまなお現役の歯科医であるということである。 本句集の担当は文己さん。 往診の靴春泥の端踏んで 夜は夜のひかりを泳ぎ熱帯魚 送り火の消ゆる頃より風動く 探梅に一人来しこと惜しみけり 往診の靴春泥の端踏んで これはご本人を詠んだものだろう。歯医者さんでも往診をするのかと思うが、いまは高齢者を対象とした往診治療があると聞いている。そういうお医者さまがいると有難い。この句「春泥の端」がその情景をよく捉えていると思う。雪解けなどで泥道となったところをどうにか踏まぬようにして歩いていくそんな様子がみえてくる。「往診の靴」であるから行き先は決まっていて、迂回するわけにもいかない。そんな仕事の最中であることのある緊張感が「往診の靴」にはある。しかし、「春泥」が明るい。「端踏んで」と言い留めたところが仕事へのアクティブ感があっていいし、わずかそのことを楽しんでいるようなこころの弾みが見えてくる。やはり、春の季節をむかえた開放感が仕事をする身にも感じられるのだ。 夜は夜のひかりを泳ぎ熱帯魚 この一句は、わたしも〇を付した一句だ。熱帯魚は通常家のなかで飼うものだ。だから太陽光線に晒された状況でみることはほとんどといってない。家の中で光をあてて熱帯魚の美しい色やかたちその泳ぎのさまを楽しむのだろう。わたしは熱帯魚を飼ったこともなく、飼いたいとおもったこともないのでその魅力はちょっと分からないのだけれど、美しい生きものであることはわかる。そして、この一句は、「夜は夜のひかりを泳ぎ」が発見であるということだ。昼間の光とはちがった光のなかで熱帯魚を泳いでいるのである。「ひかりを泳ぎ」と言い留めたことで、そう、熱帯魚ってひかりを泳ぐ、そういう魚であることを読者は知るのだ。昼のひかりとはまた異なる夜のひかり、その美しさは熱帯魚を飼ったものでなくては絶対にわからないって思う。 片栗の花を見て来し膝の泥 これはわたしの好きな一句である。とても素直なよくわかる一句。片栗の花って小さな花だ。それこそ、顔を地面につけるようにして覗かないとなかなかその全体像をとらえがたい。そうでなくても俯いて咲く花である。だから、この人も地面に膝をついて、顔をかぎりなく片栗に近づけるようにして見てきたのだ。なによりも「膝の泥」がそれを語っている。春をむかえた喜びが膝の泥にはある。わたしはまだ今春片栗の花をみていない。咲いていたら、そう、膝に泥がつくのもかまわずにまみえたいと思っている。〈チューリップそれぞれの空あるやうに〉これも可愛らしい一句。 子に言はぬ大戦のこと花菫 この一句にたちどまった。波戸岡主宰も序文でとりあげておられる。「ことに少年期に出合った戦争体験は、暗く重たいものがあったはずで、じかに目にした凄惨な情景なども脳裡に焼き付いておられることであろう。」と。それを告げないのは、下五におかれた「花菫」の季語からもわかるように「飯田さんの繊細な優しさがうかがえる。」と波戸岡主宰は記している。わたしはこの句には作者の複雑な心境が潜んでいるように思えるのだ。ある意味、語りたくなくても語らねばならない戦争の悲惨さである。しかし、あえて「子に言はぬ」のはなぜなのだろう。そうしてそのことをこうした俳句に記すということがどういう意味をもつのか。そこには錘のように作者の心にくすぶっているものがあるということを匂わせているのである。「言はぬ」ことによってそこにある悲惨さは重い。作者は、そのことを決して忘れてはいないし、忘れ去ろうともしていないのである。ただ、「子に言はぬ」と決めているのだ。その心境は推し測りがたいものがある。作者はそれを良しとはしていないようにわたしには思えるのだ。だから「花菫」なのだ。「花菫」は、作者のそんな心へかぎりなく優しいのである。一種の救済か。。またこの「花菫」がこの句を読むものにも優しい光を投げかけている。ほかに、〈原爆忌ドームは大いなる遺骨〉。 校正のみおさんは、〈声変りして双六に加はらず〉の句が微笑ましくて好きです。 声変わりってちょうど反抗期の頃ですものね。 もう一人の校正の幸香さんは、〈揺り椅子に揺るる光陰木の葉髪〉が好きです。 調べが心地よく、惹かれた句でした。 私は子供のころからスポーツ好きであった。特に球技系統のスポーツが好きで、野球をはじめボーリングやゴルフなどに夢中になったものだった。そんなスポーツ好きの私が、五十一歳の初冬、媒酌人を頼まれて新潟に向かう途中、北陸自動車道で交通事故に遭い、脳挫傷・顔面陥没骨折の大怪我を負った。幸い手術は成功したが、その後遺症のため、以後の私の運命は変わってしまい、障碍者のような暮らしをせざるをえなくなった。当然、スポーツは諦めざるをえなくて、その代わりに気慰みの居酒屋通いが少し増えていった。しかしそれはそれで楽しく、以前の世界とは違った人たちとも知り合いになることができたのは幸いであった。瀕死の事故に遭って諸々のことがあったが、しかし自分の生業の歯科の医業は、ずっと今日まで変わらず続けてくることができた。 「あとがき」の前半を紹介したが、衝撃的な体験をされた飯田博さんである。そして、その後俳句に出会う。 これまでの私は、運命に振り回されるがままの人生であったが、俳句に出会えたこれからは、俳句を生き甲斐とし、俳句を老後の楽しみとして、一日一句を目標に句作に励みたいと思っている。 抜粋となるが「あとがき」を紹介した。 本句集の装釘は、君嶋真理子さん。 表紙の布クロスは、淡い金色で光のいろのよう。 文字は黒メタル箔。 木洩れ日と型押し。 花布は、緑と白のツートン。 栞紐は,淡いグレー。 まずは、この第一句集の上梓を祝するとともに、これを発条(バネ)として、さらにご自身の句境を拓くべく、今後のお健やかなるご清吟をお祈りしたい。(序・波戸岡旭) 句集上梓後のお気持ちを、担当の文己さんがお電話で伺ったところ 出版後は、たくさんの方からご反響を頂いてなんとかお返事を書き終えたところだそうです。 もっと早いうちに第一句集を出していれば、今頃は第4,5句集だったかもなぁと笑っていらっしゃいました。 年齢を重ねることで、自身の句とのすれ違いも多くなり、また今はご病気の関係で、残念ながらなかなか対面句会には参加できていないけれど次の句集を目指してまだまだ頑張りたいと仰っていました。 いいですね、是非、第2句集を目標としてご健吟くださいませ。 楽しみにしております。 啓蟄や寝ぐせのままの当直医 この一句も好きな句です。
by fragie777
| 2023-03-24 20:04
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