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3月5日(日) 旧暦2月14日
国立・矢川の菜の花。 まだまだ春寒しといえども、郊外をあるけばすっかり春の景色である。 今日は菜の花がひときわ目立っていた。 矢川緑地の湿原は水が枯れてしまって、友人たちはそちらには行かず、わたし一人湿原を歩いたのだった。 すっかり乾いてしまった湿原。 友人たちは「ママ下湧水公園」に行くという。 あそこは水が豊かである。 わたしもあと追う。 ママ下湧水公園。 公園と言っても遊具があるわけではない。 子どもを連れたお父さんがザリガニ採りをしているくらいである。 何が釣れたのかな、とのぞき込む。 小さな魚が数匹いた。 前方に翡翠がいる。 おお、ラッキー!! 小川にそって、わたしを誘うように少し飛んでは止まる。 翡翠をおいかけて水にそって歩き、 水を渡ったところで、気づいたのだった。 すっかり道に迷ってしまったことを。 それでも先に進んでいくと、 見知らぬ教会の前に出た。 今日は日曜日である。 礼拝をしているのだろうか。 美しい教会である。 さて、どう行ったらいいのだろう。 わたしはiPhoneマップに行き先を入力し、案内を乞うことにした。 すると5分もしないうちによく知っている道に出たのだった。 今日は、山崎祐子著『細見綾子の百句』より。 菜の花がしあはせさうに黄色して 『桃は八重』 昭和十年 「倦鳥」昭和十年七月号掲載の句であるが、同月の特選欄「燕泥抄」に〈菜の花が実になりにけるものあはれ〉(『桃は八重』)が入っており、こちらが靑々の高い評価を得ている。自註に「なにがしあわせなのかよくわからないのだけれども、私は黄色い花を見ると何だかしあわせそうに思う」と記す。孤独な療養生活の延長上での作。「しあはせ」と「あはれ」は表裏一体なのだ。右城暮石の『桃は八重』の序「句集を通じて流れる、一種虚無的なとも思はれる感傷こそ、この句集の特質」に通じる句。掲句、牧歌的な句とは別の鑑賞ができる。 友人が仙川でセレクトショップをやっているのだが、今日はその40周年のお祝いの会があって呼ばれていた。 わたしは矢川緑地散歩の約束があったので午後2時よりはじまるその会へは行けなかった。 そのセレクトショップとyamaokaは、まさに創業すぐの40年来のお付き合いである。オーナーのYさんは親しい友人である。 子どもをのせたバギーを引いて店をたずねたのがはじまりだ。 帰りがけに立ち寄ってみると、まだ人がいて賑やかである。 しかし、帰ろうとおもったのだが、寄って行くように強くすすめられ、お客さんもよく知っているマダムばかりなので、帰るのも野暮とも思ってすこし寄らせてもらうことにした。 今日のお祝いのイベントとしては、ここのお客さんでもある俳優座の女優のKさんの朗読と桐朋学園のバイオリン科を卒業したSさんによるバイオリン演奏があったということ。とても素晴らしかったということで、おおいに遅れたyamaokaのためにもバイオリンを弾いてくれるという。 曲はバッハの無伴奏ヴァイオリンの曲から3曲。皆がよく知っているものである。 生演奏はお腹にひびいてくる。 弦の出す音が震えとなってこちら側にリアルに伝わってくる。 演奏が終わってヴァイオリンを見せてもらった。 イタリア製で、確か「パオロ」って言っていたと思う。 十分にいや目がとびでるくらいお高いものである。 40年をYさんは仙川の街で頑張ってきた。 ふらんす堂は36年、業種はちがえども年齢も近く、励まし合ってやってきたという思いがある。 Yさん、40周年おめでとう。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() わたしはお祝いに桜をプレゼント。
by fragie777
| 2023-03-05 20:57
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