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3月3日(金) 雛祭 旧暦2月⒓日
仕事場へいく途中の梅。 今日の毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、小澤實句集『瓦礫抄』より。 ちらし寿司かまぼこ断面に男雛 小澤 實 「『雛祭にちらし寿司を食べられる幸せ』と作者は日記に書いている。」と坪内さん。そして「今夕、わが家もちらしずしだ」と。わたし、雛祭にちらし寿司を食べたことあるかなあ、ないかも。そう考えると不幸なR女である。そんな風におもったこともないけど。 梅の花は俳人が好んで詠む花のひとつであるけれど、それはもういろんな詠み方をされている。 今日は、仁平勝著『永田耕衣の百句』より、梅の花を詠んだ句を紹介したい。 死近しとげらげら梅に笑ひけり 母の死や枝の先まで梅の花 或る日父母が居ないと思う梅花かな 父母の死に際しては、それぞれ「死近しとげらげら梅に笑ひけり」「母の死や枝の先まで梅の花」というふうに「梅」が配された。そして『陸沈考』は、掲出句を含む「梅花父母 九句」によって終わる。 と仁平勝さんは三句目の鑑賞に書いているが、永田耕衣にとって「梅の花」とはつねに喪失感を伴うものだったことがわかる。桜の花ではなく、「梅の花」であるというところが面白い。しかし、現実として父母が死にゆくとき梅の花が咲いていたのだろう。 梅の花が咲く様子を、「枝の先まで梅の花」と詠んでみせた。というより、これは「梅の花」の句ではない。梅はまるで、母の生命が乗り移ったように咲いている。作者はその「枝の先」で、まだ母の末期の息遣いを聞いているのだ。思えば父が死んだ日も梅の花が咲いていた。これ以降、亡き父母を詠むときは「梅」が取り合わされるようになる。 仁平さんの二句目への鑑賞だ。 父は自分の死期が近いことを告げると、声を立てて笑ってみせた。そうした最後の振る舞いが、とりわけ強く印象に残ったのである。その笑い方を「げらげら」と大袈裟に表現し、そこに庭木の「梅」を配した。歌舞伎の一場面を思わせるが、文字通りこれは、父の一生の幕引きを意図した演出というにふさわしい。 これは一句目の鑑賞である。 耕衣の梅の花を詠んだ句では、この一句目の「げらげら」が特に好きである。 なぜ好きなのか。死がちかいことを聞いてげらげら笑う父はちょっと尋常ではない。しかし、気がふれたわけではない、死を覚悟した人間の突き抜けたような諦念がげらげらにあるのように思えるし、それを端で聞く人間の乾いた悲しみのようなものも感じる。なんと言っても梅の花がいい。心の緊張を緊張のママに解放してくるなにかが梅の花にはある。 とここまで書いたら美容院の予約の時間となった。 ちょっと行ってきます。 と言ってもお隣なのであるいて6.7歩かな。 * * * 今戻りました。 ああ、さっぱりした。(はやいでしょ。なんせお隣だから) 髪を切ってもらっているときは気持よくなってうつらうつらしてしまった。 いまは首筋辺りがちょっとスウスウしている。 さっ、ブログのつづきを書こう。 今日は雛祭、そして星野立子忌、さらにふらんす堂の創立記念日である。 ふらんす堂はおかげさまで36歳になりました。 ![]() これは、深見けん二先生の奥さまである龍子夫人より、今日送っていただいたもの。 いつも覚えていてくださってこうしてお祝いをしてくださる。 きっと龍子夫人の手作りである。 これは紙雛であるが、 目鼻なきことこそよけれ豆雛 深見けん二 今日いただいた雛さまの右横にある刺繍の雛さまも龍子夫人の手によるものである。 こうしていろんな人の思いによって今日まで支えられてきたふらんす堂である。 心より感謝を申し上げます。 そして、これからもよろしくお願い申し上げます。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 髪を切ってきたyamaokaも頑張ります。 ![]()
by fragie777
| 2023-03-03 19:26
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Comments(2)
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