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2月19日(日)雨水 旧暦1月29日
休日は撮りためたビデオ録画をできるだけ見るようにしている。 そんな録画のなかでこんな言葉に出会った。 思わず映像を止めた場面である。 そうでありたい。。。 今日は春らしい一日となった。 いまは鳥たちが元気である。 ひとたび外へ出れば、鳥たちの鳴き声が地上に満ちている。 昨日の谷保の畑を歩いていた鳥。 これはきっとセグロセキレイではないだろうか。 ハクセキレイはよく見かけるが、ハクセキレイは顔が白い。 この鳥は黒い。 珍しい。 始めて会ったのかもしれない。 そして、こちらは同じく谷保の畑。 こちらもセキレイだと思うのだが、こんな色のセキレイを見たことがない。 キセキレイかとも思ったが、身体が黄色くないのである。 調べたところによるとホオジロハクセキレイか。 ご存じの方、間違っていたら教えてください。 そして、これは今日仙川で見かけたキセキレイ。 おおかた水辺にいる。 黄色が美しい。 目下鳥たちは食欲旺盛である。 栴檀の実をついばむヒヨドリ。 何かを咥えている椋鳥。 今日はこの他にもたくさんの鳥たちを見た。 お知らせです。 昨日このブログで、小山玄紀さんの句集『ぼうぶら』によせた高橋睦郎さんの一文を紹介したが、一度アップした時点で、さらに高橋さんがより深い読みの文章をくださった。 さきほど、それを昨日のところにアップしなおしましたので、是非に読んでください。 小山玄紀さんには、「ふらんす堂通信」にて、「この度の句集についての思い」を寄稿していただく予定である。 今日は、橋本石火著『長谷川素逝の百句』より。 春めくと障子をしめて机にもどる 『暦日』 昭和二十一年 机に向かって何か書き物をしていたのだろう。根倉の中川氏宅の離れで養生をしつつ、ふみ子夫人、幼い洋子さんとの家族三人の暮らし。けっして楽な生活ではなかったが、素逝は句集の編纂や新しい俳誌「桐の葉」の創刊の準備、近隣の俳句仲間への俳句指導など、次から次へとすることがあった。根を詰めた体を一時休ませたのだろう。外は春のきざし。気分転換をはかると、また障子を閉めて机にもどる。吟行ではこれと思う対象に目をこらし、凝視を続けるという作句態度だが、この句は肩の力を抜いたどこかほっとする句である。 「障子」って好きだな。わたしの家にも障子がある。 小さな家としては、九枚ほどの幅広の障子があるので、障子がある方だと思う。 障子を締め切ってしまっても威圧感はなくて、やさしさで守られているような安心感がある。 障子を通して入ってくる薄明かりもいい。 そして今日の録画より。
by fragie777
| 2023-02-19 21:04
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