ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko

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わたしは土くれの人間だが、自分の話してることはちゃんとわかっている。

2月19日(日)雨水  旧暦1月29日



休日は撮りためたビデオ録画をできるだけ見るようにしている。

そんな録画のなかでこんな言葉に出会った。



わたしは土くれの人間だが、自分の話してることはちゃんとわかっている。_f0071480_20134498.jpg


わたしは土くれの人間だが、自分の話してることはちゃんとわかっている。_f0071480_20134623.jpg

思わず映像を止めた場面である。

そうでありたい。。。





今日は春らしい一日となった。

いまは鳥たちが元気である。
ひとたび外へ出れば、鳥たちの鳴き声が地上に満ちている。



わたしは土くれの人間だが、自分の話してることはちゃんとわかっている。_f0071480_20020783.jpg
昨日の谷保の畑を歩いていた鳥。
これはきっとセグロセキレイではないだろうか。
ハクセキレイはよく見かけるが、ハクセキレイは顔が白い。
この鳥は黒い。


わたしは土くれの人間だが、自分の話してることはちゃんとわかっている。_f0071480_20041621.jpg
珍しい。
始めて会ったのかもしれない。



そして、こちらは同じく谷保の畑。


わたしは土くれの人間だが、自分の話してることはちゃんとわかっている。_f0071480_20021067.jpg
こちらもセキレイだと思うのだが、こんな色のセキレイを見たことがない。


わたしは土くれの人間だが、自分の話してることはちゃんとわかっている。_f0071480_20021297.jpg
キセキレイかとも思ったが、身体が黄色くないのである。

調べたところによるとホオジロハクセキレイか。

ご存じの方、間違っていたら教えてください。



そして、これは今日仙川で見かけたキセキレイ。


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おおかた水辺にいる。



わたしは土くれの人間だが、自分の話してることはちゃんとわかっている。_f0071480_20241748.jpg
黄色が美しい。


目下鳥たちは食欲旺盛である。



わたしは土くれの人間だが、自分の話してることはちゃんとわかっている。_f0071480_20242844.jpg
栴檀の実をついばむヒヨドリ。


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何かを咥えている椋鳥。


今日はこの他にもたくさんの鳥たちを見た。



お知らせです。

昨日このブログで、小山玄紀さんの句集『ぼうぶら』によせた高橋睦郎さんの一文を紹介したが、一度アップした時点で、さらに高橋さんがより深い読みの文章をくださった。
さきほど、それを昨日のところにアップしなおしましたので、是非に読んでください。

小山玄紀さんには、「ふらんす堂通信」にて、「この度の句集についての思い」を寄稿していただく予定である。






今日は、橋本石火著『長谷川素逝の百句』より。

 春めくと障子をしめて机にもどる   『暦日』 昭和二十一年

机に向かって何か書き物をしていたのだろう。根倉の中川氏宅の離れで養生をしつつ、ふみ子夫人、幼い洋子さんとの家族三人の暮らし。けっして楽な生活ではなかったが、素逝は句集の編纂や新しい俳誌「桐の葉」の創刊の準備、近隣の俳句仲間への俳句指導など、次から次へとすることがあった。根を詰めた体を一時休ませたのだろう。外は春のきざし。気分転換をはかると、また障子を閉めて机にもどる。吟行ではこれと思う対象に目をこらし、凝視を続けるという作句態度だが、この句は肩の力を抜いたどこかほっとする句である。



「障子」って好きだな。わたしの家にも障子がある。
小さな家としては、九枚ほどの幅広の障子があるので、障子がある方だと思う。
障子を締め切ってしまっても威圧感はなくて、やさしさで守られているような安心感がある。
障子を通して入ってくる薄明かりもいい。







そして今日の録画より。




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by fragie777 | 2023-02-19 21:04 | Comments(0)


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