カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
外部リンク
画像一覧
|
2月17日(金) 二の午 旧暦1月27日
春寒の日々であるが、歩いて出社するのは気持がいい。 そしていろんな鳥にも出会う。 雄である。 すこし離れて雌の鶫がいた。 雌は、全体的に色がうすい。 そして、空を見上げれば威勢のいい鳥声がきこえた。 オナガ。 このヘンはたくさんのオナガがいる。 警戒心がつよく決して近寄れないのだが。。 オナガは留鳥であるが、鶫は渡り鳥、もう少ししたら帰ってしまう。 昨日16日づけの毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、高山れおな著『尾崎紅葉の百句』より。 芸なしの余寒を裸踊かな 尾崎紅葉 「書生たちの荒涼野蛮な乱痴気騒ぎ」という高山さんの読みに対して、坪内さんは「私などもこれによく似たことをした」と書き、「真夜中に友人を真っ裸にし、皆でわっしょいわっしょと担いで鴨川に投げ込んだ。」と学生寮でのコンパの乱痴気騒ぎについて記している。 へえー、そうだったのか。。。いい時間をお過ごしのことでした。と、乱痴気騒ぎとは不幸にして無縁だったyamaokaはやや羨ましい。 学生時代、わたしはどっちかというとピューリタン的生活をしていたような気がする。 だからいまイカレタR女なのか。。。。 いやそうではない、いまだって十分にピューリタン(?)であると思っているのよ。イカレテはいるけど。。。。 2月5日付けの北海道新聞の「十七音の旅」に櫂未知子さんが、名取光恵句集『羽のかろさ』の句をとりあげて、いい鑑賞をしておられる。抜粋して紹介したい。 (略) 癒ゆるためのひと日はじまる草氷柱 名取光恵 著者は苫小牧在住である。この句の「草氷柱」は、草に飛びついた水が凍ってできたもの。繊細で美しい季語である。この句の「癒ゆるための」には理由がある。作者は難病を抱えつつ、急性心筋梗塞やくも膜下出血を患ってきたというのだ。それを「病む一日がはじまる」のではなく、癒えるための一日が始まるのだとしたところに、さり気ないけれど強靱な精神が見てとれる。次の作品もそうだろう。 点滴とおもふ雪解のしづくかな 名取光恵 規則正しく落ちてゆく雪解けの雫を、「点滴」に見立てた。点滴を扱った句の多くが暗くなりがちな中で、この作品は違う。点滴のその一滴一滴が自分を快方に向かわせるように、間違いなく春がそこに来ているのだと感じさせてくれる季語を選んだからだ。 病んだ自分を詠みきったから、その作品に価値が生まれるのではない。また病に打ち克ったからこそ、いい句ができるわけでもない。身体的にはひじょうにつらいけれど、十七音という短い詩型の中で自由を得ることが作品に翼を与えることがあるのだと、私はこの句集から知った。それは書名の『羽のかろさ』にもよくあらわれている。いいタイトルだ。 「十七音という短い詩型の中で自由を得ることが作品に翼を与える」という言葉、 まさに然りである。 よき評をえることもまた、作品を輝かせる。 以前、朝日新聞の埼玉版に熊谷女子高校の卒業生としての取材をうけたことがあったのだが、今日またふたたび担当記者の佐藤さんが来社された。 というのは、先日、朝日新聞の俳人協会賞の記事をみて、その記事とはふらんす堂刊行の森賀まり句集『しみづあたたかをふくむ』と高柳克弘句集『涼しき無』がそれぞれ俳人協会賞、俳人協会新人賞受賞の記事であるが、そのお祝いの電話をいただいたのだった。 そして、すこし取材をさせて欲しいと言うことで、今日来社された。 1時間ほど、ふらんす堂の仕事についてのお話をしたのだった。 わたしは二つのことをお話できればと思っていた。それは、紙の本の大切さ、もう一つは「田中裕明賞について」。 あんまり話すことなってないな…などとスタッフには言っていたのだけど、ガンガン喋っている自分がいてちょっと可笑しくなってしまった。「百句シリーズ」「百首シリーズ」等々、えらい営業モードのyamaokaになっていた。(どこがピューリタン?!) ![]() 『しみづあたたかをふくむ』を左手に、『涼しき無』を右手にかかえて、「百句シリーズ」「百首シリーズ」を目の前ににんまりと笑うyamaokaの写真をとって佐藤さんは帰られた。 いったいどんな記事になるのかなあ…… このわが友たちにも知らせておこう。
by fragie777
| 2023-02-17 19:13
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||