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2月14日(火) 魚上氷(うおこおりをいずる) バレンタインデー 旧暦1月24日
春の水 語らう人。 この日はあたたかな一日だった。 (ああ、今日はバレンタインデーだったな……)と思いながら、わたしはいただきもののチョコレートではなく、お饅頭を食べている。餡子の甘さがやさしくとびきり美味しいお饅頭である。が、賞味期限が明日まででしかもたくさんいただいたので、せっせと食べなくてはいけない。スタッフたちにもたくさん配った。美味しいと言っても、わたしはひとつが限界。 しかし、うまいお饅頭ではある。 を紹介したい。 正直なところ、山崎方代の作品をこのようにまとめて読むのははじめてである。わたしにとっても恰好な入門書である。 「死んでからの方が人気が高くなった歌人はそんなにはいない。方代はその代表であろう」とは歌人小高賢の言葉である。 そして、執筆者の藤島秀憲さんは、その「解説」の頭でこのように記す。 短歌を始めて二十三年になる。長いと言えば長く短いと言えば短い年月に、山崎方代は常に私の隣に居てくれた。「歌集を手元に置いていた」でもなく、「読み続けて来た」でもなく、「隣に居てくれた」という表現が一番合う。とは言っても実物の方代ではない。二十三年前に方代はこの世にいない。とうのとっくに「骨壺の底にゆられて」ふるさとの右左口村へ帰ってしまっていた。だから、居てくれたのは『山崎方代全歌集』に収められた方代の歌である。(略) 全歌集を手にした日のことはしっかりと覚えている。埼玉県の上尾市、駅前にあった「麦書房」に注文してあった本を取りに行った。街にはクリスマスソングが流れていた。誰もがコートに丸く収まるような寒い日だったが、私の身体は興奮で熱くなっていた。 その日、〈コーヒー代節約ひと月ついにわが手にする『山崎方代全歌集』〉という歌を作った。 方代へのこのような思いをもった歌人によって執筆された『山崎方代の百首』である。 何首かの歌と鑑賞を紹介したい。 とぼとぼと歩いてゆけば石垣の穴のすみれが歓喜をあげる 小さな自然と語らい、友達になることが好きだった方代。元気なく歩いていても、すみれが迎えてくれる。そして励ましてくれる︒。石垣の穴という、決して恵まれた環境で育っているわけではないので、余計に仲間意識が強いのだろう。 センチメンタルであり、ロマンチストだった方代の特質が良く出た歌。 愛唱性があると評価されることの多い歌の中にあって、この歌はとりわけ愛唱性が高い。一読して覚えてしまうし、忘れ難い。 茶碗の底に梅干の種二つ並びおるああこれが愛と云うものだ 方代は小道具の使い方が絶妙である。小道具によって心境をくっきりと浮かび上がらせることができる。 平凡だけれども愛に満ちた生活がイメージされる「梅干の種二つ」。小道具として実に良い仕事をしている。 ちなみにこれは空想であり、理想。現実ではない。 四句と結句を合わせても十三音。一音足りない。一音欠落に何かを補うとすれば私なら「?」を入れたい。「ああこれが愛」と感極まって言いながらも「ほんまかいな」と方代自身で突っ込みを入れている感じがする。字足らずはしばしば使われたテクニック。 一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております 赤が続く。晩秋から冬にかけて赤く色づく果実。 「一度だけ本当の恋」で思い出すのが広中淳子。方代がたった一度だけ彼女に会ったのは一月の半ば。だから、南天の実の時期に合う。 訪れた広中宅に南天が実っていたのか。方代が南天を見たのは淳子の病室に通される前か、それとも出て来た時か。すなわち、失恋前か失恋後か。その時に見た赤い実が今も忘れられない。なんとも悲しい歌。 打ち明けるような口語文体で軽く歌ったことが、いっそう悲しくさせる。 このようになまけていても人生にもっとも近く詩を書いている ここからは最後の年、昭和六十年に発表された作品。 前年の十二月に自宅近くの診療所で肺がんと診断され、年が変わって一月十一日に藤沢市民病院に入院、五月二十五日に退院するまで長い病院生活を送る。 上句で自嘲、下句で自負。自身の人生を振り返って歌う。さんざん自嘲を歌って来た方代が最後になって堂々と「人生にもっとも近く詩を書いている」と宣言する。 「書いてきた」と過去形にしなかったのは、生きていたい、まだまだ書きたいことがたくさんあるという思いであろう。 巻末の解説「『自分』を求めて」には、山崎方代の境涯を追いながらそのときどきの作品を紹介していく。歌集未収録の作品をも紹介している。 病院の一本松の梢(ほ)の空(そら)をかなかな蟬が叩きおこせり 四国詣りののはなしをしてゐると面会時間は過ぎてしまへり〈岡部桂一郎〉 さりげなく主治医の丹生屋先生が私の「首」を読んでゐてくれたり 玉城氏がひよつこり病院へ来てくれて心臓の薬をのみて帰れり 病院の窓の内より民衆に笑みを送りて祝福申す 昭和六十年「うた」十月号に掲載された「遺影 蟬」五首。歌集に収められることはなかった。今は全歌集の「資料編」でのみ読むことができるので、この一冊にもぜひ残しておきたいと思った。(略) 「自分」が何者か知りたくて短歌を詠みつづけた山崎方代。わたしもまた「自分」が何者か知りたくて山崎方代を読みつづけている。 本著の担当はPさん。 「どの歌がいちばん好きだった?」って聞いたところ、 ことことと雨戸を叩く春の音鍵をはずして入れてやりたり 「他にも好きな歌はたくさんあったけれど、なぜか悲しくなります」とPさん。 人間はかくのごとくにかなしくてあとふりむけば物落ちている こんな歌もかなしく、そして可笑しい。 川鵜。
by fragie777
| 2023-02-14 19:00
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