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2月13日(月) 旧暦1月23日
今日は昨日とうってかわって寒い一日となった。 そして、花粉も飛びはじめたらしい。 わたしは幸いにも花粉症ではないのでわからないのだが。。。 しかし、このところの天気の不順さには身体がびっくりしている。 わたしが眺めていると、大学生らしいガタイのいい男子がふたりやってきた。 「かわいいいな……」なんて言って二人でかがみ込んで見入っている。 「福寿草か、育てたいな」と言いながら、スマートフォンで「育て方」を検索しはじめた。 「ちょっと大変らしいよ」なんて言っている。 「これも可愛いなあ」って声をあげた。 ふたたびしゃがんで見入る。 福寿草が、これほどに若者の心をとらえるのを始めて見た。 ぬくもりて来し指先や福寿草 草間時彦 執筆者の山崎祐子さんは、細見綾子の最晩年の弟子である。 細見綾子については、その師系にあたるおおくの方々による鑑賞本がある。もちろん執筆者の山崎祐子さんは、その先輩たちの本を読んでおられる、今回本著を執筆するにあたって、これまで多くの人に読まれ鑑賞された綾子の一句をいかに自身の新しい目で読み取っていくかに腐心されたのだった。 山崎祐子さんは、細見綾子の出身である丹波に焦点をあて、綾子俳句を鑑賞していく。まさに「丹波人の矜持」である。 いくつか作品と鑑賞を紹介したい。 そら豆はまことに青き味したり 『桃は八重』 昭和六年 「まことに」「したり」と強い断定の言葉を使っている。青い莢を裂いて取り出すところから、「青き味」は始まっており、視覚も嗅覚も含めての「青き味」である。後年、手術後の見舞いにもらった蚕豆を「それを見た時ああこれだと生きかえった気持ちになった。私は毎年この句のためにもそら豆の時期を待っている」(『俳句の表情』)と記す。「風」平成四年八月号に〈そら豆の色形よみがへり来るもの多々〉(句集未収録)がある。療養中に綾子を力づけた「青き味」の蚕豆は、生涯、綾子に寄り添い、丹波の風土を思い出す縁となった。 ほの暗らく雪のつめたさ帯にある 『桃は八重』 昭和十四年 自註に、丹波は雪もよく降るとあり「朝早く起きて身づくろいの時、帯は雪のようにつめたかった」と記している。朝の身じたくであるから、順番でいえば、肌襦袢の次は長襦袢。そして着物で最後に帯。しかし綾子は、「帯にある」と断定する。こ「雪のつめたさ」は触れたときの感覚だけではないようだ。畳まれた帯を手に取り、解いて体に回し、ぎゅっと締める。締めたときに「雪のつめたさ」を実感したのではないだろうか。もちろん、寒いのはつらい。しかし、雪は丹波の盆地を包み込み、朝を清浄なものとしてくれる。 仏見て失はぬ間に桃喰めり 『伎藝天』 昭和四十四年 この「仏」も新薬師寺の薬師如来坐像。新薬師寺を訪ねる途中、高畑の八百屋で白桃を買い、仏像を拝観した後に、木陰で食べたという。句文集『奈良百句』に「すぐれて佳いものを見た感動のいまだ失せぬ間に急いで白桃を食べる必要があった。白桃を食べることによっていささかなりとも自分の内に何かを定着させたかった」とある。白桃の白い美しいフォルムは、魂の形のようでもある。指で皮を剥き、汁を滴らせながらかぶりつく。感動の定着を食べるという行為と結びつけるのは、綾子の特異なる身体感覚である。 再びは生れ来ぬ世か冬銀河 『牡丹』平成六年 綾子は、若い頃から、「美しく消耗する」を人生の哲学としてきた。追い求めてきた美は、伎藝天像に見出したように、剥落の美である。綾子は仏教の造詣も深く、信仰心も人並み以上はあったと思う。しかし、生涯の作品の中で、輪廻転生を想起させるような句はあまり思い当たらない。掲句、「再びは生れ来ぬ世か」と輪廻転生を拒む。『牡丹』は、平成三年から七年までの句が収められているが、特に後半は、人生を締めくくるような淋しさを感じる句が多くなる。その中で、自身の人生を総括するような潔さを遺言のように残した。 本書には、細見綾子の代表句が収録されている。あらためて人口に膾炙されるたくさんの句をのこした俳人であったと思う。 綾子は、正月には母親の手織りの着物を着た。母親は、細かい縞ばかりではなく、絣を織れる腕があったことをいくつもの随筆で書いている。「正月の旅」(『武蔵野歳時記』)に、松瀬靑々がいつも着ていた久米島紬を「渋い茶色の無地に同じ色のややうすい縞と小さい飛び絣のあるもの」と記し、靑々は、この久米島紬が、絹でありながら、木綿よりも木綿らしく見えるところを好んだと書いている。綾子は木綿の良さ、縞や絣の良さを靑々から学んだのかもしれない。また、靑々から〈木綿着て豪奢は捨てぬ牡丹哉〉の句を添えた牡丹の絵の画讃を頂いたが、大阪大空襲でなくしてしまったと同書に記している。木綿縞を纏うとき、母の姿とともに靑々の着物姿が浮かんだのではないかと思えてならない。 綾子は、丹波に帰省するとまず墓参りをし、近所の人たちも綾子の家族を喜んで迎えた。墓参りの道すがら、同行の欣一が「ただいま帰りました」とにこやかに挨拶したと近所の方が伝えている。(略)。丹波から運んだ木の家で、母の手織りを纏い、丹波人と繋がりながら丹波とともに過ごした一生であった。 この百句シリーズは順次今年も刊行していく予定である。 目下、岸本尚毅著「川端茅舎の百句」の編集中である。 今日、高橋睦郎さんからお電話をいただき、いろいろとお話をうかがう機会をえた。 そんななかで、いかに自身の俳句を更新していくかという話題になったとき、 「生きることは、期待を裏切るっていうことなんですよ。自分自身をも裏切ることができなければ新しい作品は書けないんです」 とつぶやくようにおっしゃったのだった。 この時わたしは、表現者としての峻厳さを垣間見たような気がしたのだった。
by fragie777
| 2023-02-13 19:14
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