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2月10日(金) 旧暦1月20日
天気予報どおり、東京も雪となった。 雪降るなかを歩いて出社。 どんどん積もっていく。 転んだら、やばいからね。 転ばないように歩く。 中学校の校庭も雪でまっしろ・ 甲州街道。 いつもより、10分以上時間がかかってしまった。 仕事場について、やれやれ、ほっと一息。 第14回田中裕明賞の応募句集をスタッフのPさんが、選考委員のかたたちに送るべく作業をしている。 今年の応募句集は全部で⒓冊。 詳しくは「田中裕明賞」の頁に記してあります。 新刊紹介をしたい。 46判ハードカバー装帯有り 128頁 二句組 佐藤延重(さとう・のぶしげ)さんの第1句集である。佐藤さんは、昭和14年(1939)秋田県生まれ、現在は埼玉県・川越市在住。平成21年(2009)に一行詩歌集『閑話休題』を上梓されている。佐藤延重さんは、結社には所属をされず自由に句作をしておられる。本句集には、作品のみで、「あとがき」になるものは付していない。従来の句集とはすこし趣のことなる編集のありようかもしれない。 句集名が「蝉時雨」とあるように、句集中「蝉時雨」の句が多い。目次は、「何がさて」「産業廃棄物」「墓が足りない」の三項目よりなり、この項目に該当する頁は、一句仕立てとなっている。たとえば、「何がさて」の頁は「何がさて平和を願う初山河」とあるように。 帯に、「一行詩をたしなむ作者の型にはまらない第一句集。どこか懐かしく、心に響く一書」とある。 近道は墓地を横切る蝉時雨 蝉時雨湯島天神おんな坂 いんにが二にはち十六蝉時雨 泣いている蝉の時雨の降る下で 蝉が逝く六根清浄六根清浄 こんな風に蝉の句からはじまる。 この句集の担当は文己さん。文己さんの好きな句を紹介したい。 いぬふぐり死んで私は星になる さようならサランラップで捲いた夏 夕立を止むまで待って日が暮れて 天上も花どきですかお母さん 死者達が僕の眼を捕りさくら狩 咳ひとつ瞬時に消えて夜の底 さようならサランラップで捲いた夏 「サランラップで捲いた夏」とはいったいどんな夏なのか。サ行の頭韻の調子のよさとこのサランラップの夏でわたしも立ち止まってしまった。この「サランラップで捲いた夏」をどう理解するか、あるいはどう分析するかはひとそれぞれであり、いやある意味安手な解釈をこばむものなのかもしれない。といいながら、サランラップで季節を捲くとしたら、冬でも秋でも春でもなく夏が一番にあうかもしれないなんてふっとおもったりした。サランラップというやや安手の透明な質感のあるもので安直にくるくると夏の思い出を包んでいくのか。そしてそれを一緒くたにして惜別する。そして清々しい秋を迎えるのだ。なんだか作者の気持ちがわかるような気がしてきた。サランラップをみるたびに、思い出しそうな一句である。 散る花を舟のかたちの掌(て)に包む これはわたしの好きな一句である。この二句まえに〈天上も花どきですかお母さん〉の句がおかれている。作者の佐藤延重さんの自選十句にある句であるとともに文己さんの好きな句だ。桜は作者にとって、天上にいる母へとつながっていくものなのだろう。であるゆえに「散る花」は、それが母からの伝言であるようにも思えるのだ。両手をあわせて舟形にして散る花をうけとめる。冷たい花びらがあたたかな手になかに積み重なっていく。死者のたましいのかけらをおのれの肉体の体温であたためるかのように、掌がうけとめる。母への慕情に満ちた一句だと思う。 逝く春の仰臥の胸に文庫本 春を惜しみつつよみさしの文庫本を胸の上にのせている人物像がみえてくる。「逝く春の仰臥の胸」という措辞にわたしは惹かれた。ややけだるく仰向けで寝ている人物の胸をうえをまさに春が過ぎ去らんとしているそんな情景がみえてくる。その時間の流れをおしとどめるかのようにポツンと胸の上におかれた文庫本。すべての時は永劫のかなたに過ぎ去っていく。しかし、作者が詠みふけった文庫本のなかに記されていることは真実であって、流れ去る時に楔をうちこむかのように過ぎ去る時に対峙している。作者にとって、文庫本に記されていることこそ真理にふれているのだ。 咳ひとつ瞬時に消えて夜の底 本句集の最後におかれた一句だ。文己さんも好きな句としてあげているが、わたしも好きな一句である。咳をした作者が夜の底に取り残されているような孤独な姿が見えてくる。咳をした。しかし、その咳も夜の不気味な靜けさのなかに吸われるように一瞬のうちに消え去った。あとは咳をしたおのれの肉体が、よるべなくただただ夜の底に所在なくあるのみである。孤独ゆえにこその咳への認識である。 校正スタッフのみおさんは、「〈行く春やエスカレータに僕ひとり〉の句が好きです。春の終わりの少し淋しい気持ちが伝わってきます。」と。わたしもこの句は好きである。 本句集の装釘は、君嶋真理子さん。 おもしろい装画の一冊となった。 タイトルは金箔押し。 布クロス装である。 見返し。 扉。 花布は、グリーンと白のツートン。 栞紐はグリーン。 孤独死に千の予備軍身に入みる 今年八十四歳になられる佐藤延重さんは、奥さまを介護されている。 「今回の句集で初めて奥様のことを詠んだそうです。 奥様の介護をされていらっしゃいますが、若い頃は自分が苦労をかけたからね、と穏やかにおっしゃっていたのが印象的でした。」と、担当に文己さん。 上梓後のお気持ちをうかがってみた。 衆知のように俳句は「定型詩」と言われます。「定型」と「詩」が表裏一体になっていることが望ましい訳です。 俳句を作る際に両者の比重を意識することは少ないと思いますが、数ある書き手の中には明確に意識した上で作る方もおられると思います。 『蝉時雨』は「詩(自由と置きかえても良いと思います)」六割、「定型」四割のスタンスを意識的にとっております。したがって「字余り」「字足らず」「無季」の作品が混在します。但し、六割を占める「詩」について明確に論ずることは困難です。 かつて「詩」の関連の書物で「五百人の詩人がおれば五百の「詩」についての考え方がある」と云う論考を読んだ記憶があります。「詩」を論ずことはかほどの困難をともないます。むしろ論ずれば論ずる程、「詩」は逃げて行くのかも知れません。 『蝉時雨』の作品創作期間中にロシアのウクライナ侵略、安倍元総理の銃撃など痛ましい事件がありました。「詩」は何の生計の足しにもなりませんが「詩」が自由に書かれ、読まれない様な社会が戦争などの酷い行為を生むのかも知れません。 敬愛する詩人、入沢康夫さん(故人)の『春の散歩』と云う詩集の中に次のような詩行があります。 そう われを責むるなかれ われに「詩」を求むるなかれ 「詩」とはただ 読むおのおのの こころの火 こころのほてり 『蝉時雨』の中のひとつでもいい。お読みいただいたどなたかの心に「火」をともし「ほてり」を生じせしめるようなことがあれば望外の喜びであります。 佐藤延重氏。 昨年の⒓月15日にご来社くださったときに。
by fragie777
| 2023-02-10 18:29
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