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2月9日(木) 黄鶯睍晥(うぐいすなく) 旧暦1月19日
梅の花の魁けをみあげるときっておおかたまだ寒い。 そんな寒さの中で見あげる梅の花はまたひとしおである。 寒さが似合う花なのかもしれない。 「梅の花は近づいてしげしげと眺めたほうがいい。一輪か二輪咲いているだけでも、さまになるのが梅の樹だからである」と庭の梅の古木のことに触れながら渋澤龍彦が書いていたが、満開のときよりも確かにこうしてぽつりぽつりと咲く梅の花を食い入るように眺めるほうが心がおどるような気がする。 梅を詠んだ俳句を新刊の百句シリーズより。 梅挿すやきのふは酒のありし壜に 『含羞』(昭和二十二年) 桂郎は「鶴」の石塚友二の発案で、理髪師の技術を生かした出張理髪を勧められる。そこで鎌倉に住む文士や小田急沿線の画家や作家、出版社関係へ赴き日銭を稼いだ。その頃はカストリと呼ばれる劣悪な焼酎や合成酒が主で、桂郎もよく吞んだ。この句の様子からは、久しぶりに日銭が入り、まともなお酒にありついたようである。そのまま壜を捨てるには惜しく、庭に咲いている梅を挿して、風流を楽しむ。桂郎の美意識の一端が見られる句である。 表札は三橋敏雄留守の梅 『長濤』 句集『長濤』は『巡禮』以後の作。昭和五十七年刊行のその時点での『三橋敏雄全句集』に未刊句集として収められていて、後年、単独句集が刊行されている。四十七年に航海訓練所を退いているので、航海中の遠い長い「留守」ではないだろう。ともあれ、敏雄の留守を守っていたあの八王子のお宅の表札。 『しだらでん』に、「家に居る標札のわれ夏休」。「表札」の表記が違っているが、特に意味は無いのではないかと思う。こちらは、しっかり家に居る。普通の人にとって、家に居ることは余りにも当然。こう意識することがなかなかユニークで、どこか目出度く、仄かに哀しい。 梅の道白玉楼も遠からず 明治三十六年(一九〇三) 三月十八日付けの角田竹冷宛の書簡に記された句。紅葉は十四日に大学病院を退院して自宅に戻るが、見舞客が相次いで静養できないため、この日密かに芝新堀町(しばしんぼりちょう)(現・港区)の親類宅に移った。秋声会幹部の竹冷には特に居所を知らせたのである。白玉楼(はくぎょくろう)は白玉製の楼閣。唐の詩人・李賀の臨終に際し、天の使いが来て、「天帝の白玉楼が竣工しました。あなたを召して記念の文章を作らせます」と告げた故事から、文人墨客の死を意味する「白玉楼中の人となる」という成語が生じた。梅の白と白玉を響き合わせた優美な表向きながら、内容は悲痛だ。 まさに、梅さまざま、である。 さっきまで印刷屋さんのKさんが来ていた。 文己さんが担当している詩集の装丁の箔押しのことでの打ち合わせだ。 非常に繊細な装画に箔押しの効果をもたらせたいという意匠のものなのだが、ウルトラC級(ふるいね、わたしも)の難易度があって、箔押し屋さんが頭をかかえてしまった。 Kさんが箔押屋さんに行って再度確認したところ、やはり難しいという。 どうしようかと、相談したあげく、なんだかいい突破口がみつけられそうである。 良かった! ということで、いま、担当の文己さんもほっとして帰っていった。 本作りをしていると思いもかけないことによくぶつかる。 特殊紙のいい紙が製造停止になったりして、がっかりすることもある。 すわ、それではほかの用紙で、と言ってもそう簡単なことではないが、あきらめないで調べていくとおもいもよらないいい紙をみつける、ということもある。 だから、本作りはおもしろい。 夕暮れの梅。
by fragie777
| 2023-02-09 18:38
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