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1月26日(水) 旧暦1月5日
武蔵野の裸木。 欅だろうか、すがすがしい。 こちらは桜の木、 こころなしややピンクがかっている。 午前中に歯医者に行く。 ご近所ということもあるのだろうか、よそよそしいyamaokaに対して、先生も歯科技工士さんたちもとてもフレンドリーである。 今日も治療中に、先生が、 「yamaokaさん、体調はどう?」って聞く。 「はい、なんとか」と口をあけながらかろうじて答える。 「僕ねえ、帯状疱疹になっちゃってさ、もう痛くて痛くて…」と先生。 「まあ、それはお気の毒な……、どこに出たのですか」と聞くと、 「顔だよ、こっちがわの」と言って右半分を指さす。 顔か。。。 どこに出ても帯状疱疹って痛いらしいけど、顔というものつらいだろうなあ。 まだ帯状疱疹になったことがないyamaokaであるが、いろいろと周りではなったという人を聞く。 ワクチンも最近では開発されたということだが、結構な値段であるということ。 どうします? 新刊紹介をしたい。 四六判仮フランス装カバー掛け 132頁 2句組 加藤喜代子(かとう・きよこ)さんの第3句集であり、遺句集となるものである。加藤喜代子さんは、大正13年(1924)福岡生まれ、昭和39年(1964)「駒草」に入会、一力多美子に俳句の手ほどきを受ける。昭和49年(1974)「青」に入会し、波多野爽波に師事、「青」終刊ののち、田中裕明の指導のもとに学ぶ。平成5年(1993)「晨」入会、同人。平成12年(2000)「ゆう」創刊、入会。平成13年(2001)「ゆう賞」受賞。平成17年(2005)「ゆう」終刊。平成21年(2009)「晨」同人を辞し、すべての句会から退く。本句集は、第1句集『聖木曜』(1994年刊)、第2句集『霜天』(2005年刊)につづくものである。 本句集には、作者の「あとがき」と孫にあたられる藤本夕衣さん「付記」がある。 まず、「付記」を紹介したい。 本句集は、祖母の第三句集です。生前、ごく親しい友人と家族のみに配る私家版の句集を、と祖母が希望し、私が編纂を手伝っておりました。まだ時間があると思っておりましたが、「あとがき」の直しを入れた二週間後の花の夜、祖母はひとり静かに帰天いたしました。 そのまま私家版とするか、第一、第二句集と同じく、ふらんす堂さんにお世話になって上梓するか、家族で話し合いました。祖母は恥ずかしがるかもしれないと思いながらも、せっかくなのでという思いが残り、こうして皆様のお手に取ってもらえる形といたしました。お読みいただけましたら幸せに存じます。 私家版での出版のご予定があったところ、こうして嬉しくも生前にご縁のあった加藤喜代子さんの遺句集を刊行させていただいたことを、わたしはしみじみとありがたいことであると思っている。 加藤喜代子さんとは何度かお会いすることもあり、その細身の体に毅然とした魂をやどしておられる方だった。熱心なカソリック信者であられたことによるのか、峻厳なるものがその佇まいにあってこちらまで姿勢を正される、そういうお方だった。俳句の師である田中裕明さんを心の底から敬愛しておられた。 「付記」に記されているように藤本夕衣さんをはじめとするご家族の方のおもいによって、上梓された第3句集である。 担当は文己さん。 冬の鳥きく日だまりの少しあり 寒禽の小さきはことに光りけり 満月となりたる雛の名残かな 書きものの父にたんぽぽ置かれけり (トトロでしょうか^^) いくつかは手に拾はるる沙羅の花 青空となる無患子も菩提子も 秋潮にながくのばして手を洗ふ どんぐりを机にすこし眠りけり 露葎あたたかき手に待たれをり 寒禽の小さきはことに光りけり これってよくわかる、裸木のなって鳥たちの姿がよく見えるようになると、その大きさも明確になる。枝移りしながら寒禽たちは活発な動きをみせる。とくに小さな寒禽のうごきは素早い。さっと飛んできてさっと飛び去る、その時まるで光をつれているかのように身体が光る。動きの素早さが光線のように見えるのか、この句、イ音をアクセントにしながらリズミカルにテンポよく読者のこころに入ってくる。小柄な寒禽がよく光ると言っているだけなのだが、はりつめた冬の冷気、裸木の枝のシャープな線、そこに姿をみせる丸っこい小さな鳥たち、そしてまぶしい冬日、よく通る鳥の声々、すべてが見えてくる一句であると思った。 書きものの父にたんぽぽ置かれけり (トトロでしょうか^^)とあるので、文己さんにその理由を聞いてみたところ、メイちゃんがお父さんの机にたんぽぽを飾るというシーンがあるらしい。(わたしすっかり忘れている)加藤喜代子さんが、トトロのシーンを俳句に詠むだろうかと思っているのだが、いずれにしてもわたしも好きな句である。「机」や「テーブル」という言葉を用いることなく、「書きものの父」という措辞が巧みだと思う。それだけで子どもの目からみた父の姿が彷彿としてくる。そして「たんぽぽ」が置かれているのが、「父に」なのである。理屈からすれば「父の机に」が正しいのかもしれないが、それでは「たんぽぽ」を置いた子どもと「書きものの父」の距離が離れてしまう。この際、「机」は不要なのだ。なくても景がよく見えてくる。机の堅さと黒ずみ感、ひたすら何かをかいている父の背中の堅さ、そこに置かれたのがたんぽぽであるというのがいい。子どもの心の象徴のようにけなげでそうして向日性に輝いている。〈どんぐりを机にすこし眠りけり〉秋になるとこの机は団栗でひしめくのだ。 新しき雛に夜のあたたかく わたしの好きな一句である。箱から取り出された新品のお雛さま。外気はまだ冷たく、人の手もつめたく、真新しい雛さまを飾っていく。飾られた雛さまたちははじめての夜を迎える。子どもたちの声がして夕餉のしたくがはじまり、賑やかな夜となる。春の灯がともされていっそう雛さまたちはあでやかに。この句、まるでお雛さまに体感があるように詠んでいる。すこし不思議な一句だ。作者にとってもあたたかな春の一夕、せめてこの世にはじめてまみえたお雛さまにとってもあたたかな一夕であってほしい、そんな願いがあるのだろうか。「夜のあたたかく」という措辞が、詩情を醸し出し、句に陰影をあたえている。読み手の心にも夜のあたたかさがじんわりと届くような一句だ、お雛さまに対してこんな風に詠んだ句がこれまでにあっただろうか。〈満月となりたる雛の名残かな〉も近くにおかれている。 露葎あたたかき手に待たれをり この遺句集の最後におかれた一句である。加藤喜代子さん自身がここに置くことを意図されたのだと思う。この「あたたかき手」は、生者ではなく、すでにこの世にいない人の手であると思った。もはや作者の心は彼岸(天上)にあって、作者と親交のあった人々が作者を待っている。「あたたかき手」がいい。死者であっても、みなあたたかき手を差し伸べているのだ。生前、作者がいかに人との関係を結んできたか、それを実証するような「あたたかき手」なのである。そういう意味では幸せな生涯をおくられた加藤喜代子さんである。しかし、この句の眼目は「露葎」の季語にあると思う。この渋い存在感のあるあなどれない「露葎」という季語によって「あたたかき手」の温みがリアルとなる。「露の世」を去って、「あたたかき手」の待つところへと心がはやる加藤喜代子さんだったのかもしれない。 校正スタッフのみおさんは、「〈そのからだ熱くぞ雪に囀れる〉が好きです。他にも、小鳥を詠んだ句に心惹かれるものが多くありました。」 担当の文己さんは、「特に冬の句がどれもとても好きだったので、冬から始まる構成はどなたが考えたのか」と藤本夕衣さんにうかがったところ、 冬から、の構成は、祖母が最初から考えていたものでした。 はっきり理由は聞いていないですが、祖父の命日が秋で、祖父のことを詠んだ句が秋にたくさんあるので、(露葎の句もそうです)祖母のなかで、秋と冬の間が区切りの感じがあったのかな、と思っています。冬は、祖父の誕生日と裕明先生の命日がありますし、ちょうど刊行も…になりますので、タイミングもぴったりで、よかったです。 と、藤本夕衣さん。そうか、「露葎」の句は、ご夫君を詠んだものなのか、、、しかし、わたしは「あたたかき手」には、田中裕明さんはほかに加藤喜代子さんと親しい間柄の方たちがきっと含まれるって思っている。 『暦日』は、平成十七年から令和三年までの句から二百二十三句を記しました私の第三句集です。 日々を重ねながら思わぬ年まで生きて参りました。日常のささやかな想いから生まれた句は貧しく句集にするには足りないと思いましたが、これまでへの感謝と、八人の曾孫たちに何か残しておきたい気持もあって纏めてみました。 ためらっていたのですが、曾孫千穂の装画を得て一書といたしました。 「あとがき」を紹介した。 本句集の装丁は和兎さん。 藤本夕衣さんの『遠くの声』と同じような造本でおなじスタイルでというのがご希望だった。 表紙に装画をつかい、透明感のある用紙でカバーをまく。 タイトルは金箔で。 この表紙絵を描いたのが「あとがき」にも記されているように曾孫で藤本夕衣さんのご長女の千穂さん。 絵のタイトルは「大雨」 「墓参(裕明先生四句)」と前書きのある句を紹介しておきたい。 傘ふたつ寄せあふ今日の墓参かな 夏鳥の声の太きに訪ねけり 草引きつしばらく居りぬ雨の墓 虎尾草や疲れてをられしを知らず 本句集の発行日は、田中裕明さんの命日である12月30日である。 句集が出来上がって手にとられた藤本夕衣さんから、メールをいただいいた。 夜、母と娘たちと一緒に、段ボールを開け、包みをひらきました。 最初に手にした一冊、カバーをなでながら、少し照れながらも、娘はほんとうに嬉しそうでした。 遺影の前に置きながら、まっすぐな声で「私の絵で句集を作ってもらえたよ」と、祖母にかたりかけていました。 私も、祖母の第三句集を手にとることができ、あらためて祖母が「暦日」という書名にたくしたことに、思いを巡らせています。 特に、祖父が亡くなってからは、淋しそうにすることもありましたが、それでも、与えられた一日一日、大事に、ていねいに、暮らしていました。 そんな祖母の日々がぎゅっと詰まった一冊、こうして形にしていただいて、まとめて祖母の句に触れられることで、月日のめぐりのなか暮らすことにおいて、何が大事なのか、祖母が伝えてくれているように感じて、涙があふれてきます。 どんなときも、きっと、これからの日々を導いてくれるものになると、感謝の思いでいっぱいです。 そう思えば、やはり家族やごく親しいものだけに向けた一書だったかしら、と、祖母が恥ずかしそうにしている顔も浮かびますが、娘の絵を、こんなにすてきに装丁していただいて、俳句をとおしてお世話になった皆様に、そして、祖母自身が思っていたよりすこし広く、読者みなさまに恵まれることを喜んでくれていることと思います。 私も、俳句という場で祖母とつながることができたこと、これまで祖母を通していただいた俳友みなさまとのご縁が、大きなお恵みであることに、あらためて思いを寄せる貴重なときとなりました。 これから、クリスマス、祖父の誕生日、そして裕明先生の命日と、この句集とともに、いつも空から見守っていてくれる存在に思い寄せつつ、 感謝の気持ちとともに過ごしてまいりたいと思います。 そのなかで、私自身、心新たに、俳句に取り組んでまいりたいと思います。 そして加藤喜代子さんのご息女で夕衣さんのおかあさまよりもお言葉をいただいた。 この度は母の句集の出版について大変お世話になり感謝しております。お陰様で希望通りの句集が出来上がり私たち家族一同大変喜んでおります。母も喜んでいると思います。私はページを開くたびに涙が出てしまって困っていますが、母が残してくれた沢山の良きものを自分の中にしっかり残すためにもこの句集の力を借りたいと思います。 今後も夕衣がお世話になることもあると思いますがどうぞ宜しくお願いいたします。有難うございました。 小鳥にも走るよろこび春の土 加藤喜代子 ああ、春が待たれますね。。。。 藤本夕衣さま、そしてお母さま、 いろいろとお世話様でございました。
by fragie777
| 2023-01-26 20:02
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