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1月12日(木) 旧暦12月21日
バンコク・水上マーケットで売られていたもの。 プーケットではタイで一番美しいという夕日をみたが、この水上マーケットの夕日のほうがなぜか陰影ふかく思い出されるのだ。 丁寧な読みの書評であるので、紹介をしておきたい。 「ふらんす堂通信175号」のための「編集室から」「編集後記」「コラム」の原稿を大いそぎで書いてわたす。 「コラム」は,例年のようにことしの漢字一文字。 スタッフの文己さん曰く、「今年をみすえる一文字ではなくて、去年の総括としての一文字のほうが考えやすいですよね」と。 「そうかもしれないわねえ。「惨」とか「忍」とかね。」 「でも、新年に出るものだから、やはり前向きのものじゃなちゃ、とも思います」と。 この漢字一文字、スタッフたちはなにを出してくるか、楽しみだな。 新年にでる号なので、校正スタッフさんも加わってにぎやかなコラムとなる。 お客さまがふたりご来社。 俳人の高橋白崔さんと句中間の長尾博さん。 長尾さんが今年90歳になられるのを記念して、句集を上梓されたいということである。 記念として、ということで私家版で少部数をご希望。 担当の文己さんが対応する。 長尾博さんには、はっきりした句集へのお考えがあって、見本の本も持参されそれを以ていろいろとご相談をうける。 そして表紙にあたる紙クロスを選び、おおかたのイメージを決められた。 同行の高橋白崔さんが、序文を寄せておられる。 高橋白崔さん(左)と長尾博さん。 90歳になられるとは思えないほど、矍鑠としておられる。 新刊紹介をしたい。 四六判変型上製本帯有り 394頁 2012年にふらんす堂のホームページの連載サイト「俳句日記」の小澤實さんの日記を一冊にしたものである。2011年の12月1日から2012年の11月30日までの日記である。これは小澤實さんのご希望によって実日記となった。(通常の日記は、先取りして書いてもらうため実日記ではない)であるから、ここに記された日々は実際に小澤實さんにおこったことである。 タイトル「瓦礫抄」については、「あとがき」にこんな風に記されている。 「「澤」平成二十四年四月号から翌年三月号まで、一年にわたって再掲している。 平成二十三年は東日本大震災が起こった年である。コロナ禍が終息していない現在も辛いが、この年には福島第一原子力発電所の事故も発生して、都内で生活していたぼくにとっても、たいへん心細かった。「瓦礫抄」なる題名は、震災の瓦礫による。震災後の心細さを忘れてはならじと、題とした。」 ただ、本文を読んでいくとわかるように、日記の内容は人との豊かな交流があり、多忙をきわめてもどこか生活を楽しんでおり、明るいトーンである。「瓦礫抄」というややおもくれた暗いタイトルに鬱々とした内容かと思った読者は救われた気持になるかもしれない。 ふるっているのは、1月2月3月と項目をたてないで、それに該当する部分を日記のなかのセンテンスで立てていること。 たとえば、しょっぱなの12月は「うたかたがわれ」、以降紹介しておく。1月「スティーブジョブズの掌」、2月「ツイッターはじめました」、3月「複雑な春」、4月「花を見し記憶なし」、5月「お原稿はどうなっていますか」、6月「ビールをズボンに注ぐ男」、7月「旧東海道のヒダル神に憑かれる」、8月「蝉欲」、9月「分身の術」、10月「ぼくの臍の緒ありますか」、11月「サントペテルブルクの魔女」。 こうして書いて紹介してみると、どのタイトルも小説の題名になりそうなものばかり。背後に物語性をふくんでいる。しかし、すべて、日記のセンテンスから引用なのだ。さりげなく読み手を日記へといざなう小澤實さんである。 いくつか日記を紹介したい。 十二月二日(金)曇 【季語=茶の花】 カルチャーサロン・青山にて俳句講座。兼題は「目貼」。兼題はできるだけ、触れられる「もの」の季語にしたいと思っている。触れられるものの季語を使うことは、俳句を強くする。兼題は当番が二十ほど選んでおいたものの中から、ぼくが決める。 木の窓の螺子式の鍵茶の花咲く 「触れられるものの季語を使うことは、俳句を強くする。」という一文など、俳句を学ぶ人にとっておおいなるサジェスチョンとなるだろう。注意深く読んでいくと。句作りのためのヒントなども得られるかもしれない。しかし、本書でもっともわたしが心動かされたのは、小澤實さんの人間を大事にするその心根である。それがいたるところに浸透しており、言ってみればさまざまな小澤さんをめぐる登場人物によってこの日記は構成されている。自身に関わる人を誰ひとりとして疎かにしていないのである。ご近所さんが登場することもある。すべての人が同じ地平で語られていく。 三月五日(月)雨 【季語=啓蟄】 ツイッターを始めた第二の理由は、榮猿丸さんのことを知りたいからであった。編集長をお願いしているのだが、彼はなかなか句会に出て来ない、話ができない。ツイッターには、よく発言していると聞いたからだ。今日は啓蟄、彼のつぶやきから誕生日と知った。 啓蟄やいかな声あげ生まれけむ 「ツイッターはじめました」という3月の日記である。弟子が来るのを待っているのではなく、自分から弟子にちかづく。 七月十日(火)晴 【季語=片陰】 五月に加藤郁乎氏を失っている。郁乎氏とは昭和六十二年、神戸での「米寿・永田耕衣の日」でお会いして以来であった。パーティで会うことはあっても、じっくり話す機会は得られなかった。増田龍雨や籾山梓月ら忘れられた俳人の紹介『俳の山なみ』(角川学芸出版)は貴重な仕事だった。 片陰やカプセル錠を水無し?み 本書を読んでいると、こうしてこの年に亡くなった俳人がしばし登場する。ああ、郁乎さんが亡くなかったのはこの年だったのか。。と感慨深く思いおこす。あるいはすでにもうこの世におられない俳人も登場し、変わっていくこと、変わらないこと、この10年間の時間の経過とさまざまのことが去来する。 たくさんの日記を紹介したいが、あと少しのみにとどめる。 十月十二日(金)曇 【季語=芭蕉葉】 昨日は、「ひととき」「芭蕉の風景」の取材で、伊賀市へ。「旧ふる里さとや臍へその緒に泣なくとしの暮」を書くため、芭蕉生家の土間に立つ。この家の中で芭蕉は、母の大切に保管してきた自分の臍の緒を、母の死後に老いた兄から見せられたのだ。臍の緒にふるさとの中のふるさとをとらえている。 芭蕉広葉虫はばたいて浮きにけり 本書のもっとも際だった特色は、巻末に人名・店名索引があることである。 人名はもちろん小澤さんと交流のある日記に登場する人たち。俳人、歌人、小説家、編集者、「澤」の人たち、思想家、演奏家、プロレスラーetc.etc.国をとわずそれはもう多彩である。そこに「店名」が加わる。飲み屋が多いか、あるいは陶芸をこよなく愛する小澤さんのお知り合いの店等、じいっと見ていると小澤さんをつくりあげている細胞のひとつひとつであるかのよう。 縁あって、ご登場いただいた方々には、深く感謝したい。十年も経ってしまうと、多くの方が鬼籍に入られている。ご冥福を祈るばかりである。(略) おかげで、ぼくにとって、愛着深い一冊が残ることとなった。読み返すと、十年前の、少し若いぼくがいる。 「あとがき」である。 本書の装幀は和兎さん。 表紙の布クロスをどれにしようか、それがこの一冊の眼目となる。 小豆色をすこし思わせるような深い茶色、 このクロスを示されたとき、わたしは小澤實さんにぴったりっておもったのだった。 焦げ茶といってもどこか都会的でスマートさがありしかしあたたかい。 金の箔押しがよくはえる。 春の星拳ふたつをひらきえず 人間は心細くささやかな存在にすぎない。それを忘れてはならない。 三月十一日(日)晴 とある。 花布は白。 栞紐は焦げ茶。 十一月三十日(金)雪 【季語=雪】 特急サプサン号で、サンクトペテルブルクヘ。駅に日本文化センターの坂上陽子さんが送りに来てくれる。日下部陽介さんとは昨晩、別れた。サンクトはひどい吹雪。ホテルアストリア百周年のパーティに沼野さんとともに招待される。大女性作家リュドミラ・ペトルシェフスカヤが、シャンソンからロックまで歌いまくるのを聞く。 雪の宮殿雪の教会魔女歌ふ 最後の日記である。 「最後はロシア訪問で終わっているが、当時は、現在のロシアによるウクライナ侵攻が起こることなど想像もできなかった。」 と「あとがき」に記されている。 先日、ご来社された西村麒麟さんが、「最近よんだ句集で一番おもしろかったのは、なんといっても小澤さんの『瓦礫抄』です」とおっしゃる。 「どこが面白かったのですか?」と伺うと、 「日記と俳句がすこしずれている、そこが面白いんです。小澤さん、あえてずらしているのだと思います」と。 ふ~~む。 そうなのか。。。
by fragie777
| 2023-01-12 20:05
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