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1月10日(火) 旧暦12月19日
プーケットの海を飛ぶ。 砂浜をあるくわたしの足。 『現代俳句文庫87 中西夕紀句集』が出来上がってくる。 既刊句集『都市』『さねさし』『朝涼』『くれなゐ』よりの抄出句400句を収録したものである。そこにエッセイ「生涯の一句集 竹田小時」、「群青忌と藤田湘子」の二篇と筑紫磐井さんと堀切克洋さんの解説を収録。コンパクトにしてハンディによめるものであり、中西夕紀という俳人を知るうえで恰好の一冊である。中西夕紀さんは、俳誌「都市」を主宰しておられる俳人である。 かきつばた一重瞼の師をふたり という句が集中(『くれなゐ』収録)にある。略歴によると「岳」で宮坂静生に、「鷹」で藤田湘子に、「晨」で宇佐美魚目に学んだ中西さんであるが、この一重瞼のふたりの師はどなたであろうか。藤田湘子と宇佐美魚目であるか。エッセイ「群青忌と藤田湘子」には、水原秋櫻子と藤田湘子の師弟関係が書かれているが、湘子の秋櫻子に対する思いを湘子の弟子からの視点でこまやかに描いている。藤田湘子という俳人を知るうえでもいいエッセイである。 解説を書かれた筑紫磐井さんは、「騎馬する少女―中西夕紀論」というタイトルでおもに句集『都市』『さねさし』を中心に刊行予定の『朝涼』も句も視座にいれながら、夕紀論を展開している。藤田湘子の指導の影響下にあった句集『都市』と宇佐美魚目の指導下にあった『朝涼』の同じ題材の句をとりあげてその作句方法のちがいに言及している。抜粋となるが引用しておく。 それはさておいて、中西夕紀も藤田湘子の圧倒的影響下にある。湘子に対して批判的であるということも含めて湘子の圧倒的影響下にあるのである。例えば、最近号の「都市」で初期の若々しい代表句、 馬の癖乗つて覚えよ花ユッカ 『都市』 の句を自句自解しているが、その嬉しげな解説は、その時その場の記憶が未だに濃厚に残っていることを示している。(略) だからこの時代の中西夕紀の俳句の作法は、題詠であったようだ。とはいえ、湘子の独特の俳句指導に興味がありたびたび聞いてみたのだが、必ずしも私が知る子規や虚子のやっていた季題の題詠(十題十句とか一題十句)とは同じではないようだ。むしろ季節を含まない抽象的な題。これは湘子が作句力を伸ばすために独特の工夫をしたのかも知れない。いずれにしろこの句には、青春真っ盛りであるにもかかわらず、題詠のにおいが強かったようなのだ。 中西はその後、宇佐美魚目に師事し、写生を極めようとする。およそ写生というものをやったことが無かった中西にとってこれは辛かったらしい。やがてそれが結実して新しい方法論に馴れた時の句であろう、 雲の峰騎馬の少女は髪束ね (二十一・二十二年) がある。ここでは、二十年前と同じ素材(騎馬の少女)でありながら、しかし俳句に立ち向かう態度がよほど異なっている。二つの俳句の違いが、よくうかがえると思う。(略) もう一人の解説者・堀切克洋さんは、第4句集『くれなゐ』を中心に夕紀論を展開する。タイトルは「恋心、あるいは執着について」。こちらもわずかであるが抜粋したい。とくに『くれなゐ』中にみられる「一」の数字を用いた句が多いことに注目している。350句のうち27句もあるという。それらをとりあげているのだがここではそれらの句は紹介せず、「一」からの脱却として ばらばらにゐてみんなゐる大花野 の句をあげての解説が面白かった。 この句もまたこれからさまざまな人々に愛される句となるだろう。だが、ここでは、それぞれが「一」でありながら「全」でもある─などといえば、たちまち哲学めいた話になってくる。いやいや、そんな難しい話ではない。(略) いま、読者のイメージには、「ばらばら」でありながら「みんな」でもあるような人間の姿が、広大な大花野とともに浮かんでいるはずだ。だが、ここにもし「大花野」がなかったとしたらどうだろう。ただの「ばらばら」である。「大花野」はここで「地」となって、そのなかからマティスの描く形象のような「人間」たちが浮かび上がってくる。「大花野」はまるで、マティスの原色の背景色のような働きを担っている。(略) 先の「一」の句にある種の臨場感がもたらされるのは、自己(読者)と対象(句の中のイメージ)が一対一で、差し向かいに、対面しているような錯覚が得られるからだ。そのときほかのものはすべて捨て去られる。いわばそれは恋のようなもので、ほかの一切が見えなくなるとき、唯一見えているものが輝きを放ち、特別な存在感を獲得する。 「一」への執着を「恋のようなもの」とする見方が面白い。そして「大花野」の句などに「近代的自我という俗念を振り払って『ただある』世界を描くということ」と見解を示している。また中西夕紀さんの空海への関心についてもふれているのだが、それはこの解説を読んでいただきたいと思う。 以下は、本句集から。 まつ青な蘆の中から祭の子 『都市』 山見ゆるうちは山見て亞浪の忌 都市暮しやどかりほどの音たてて 闘鶏の赤き蹴爪の跳びにけり 『さねさし』 戦はす軍鶏に名のなし稲の花 涅槃図を落ちて濁世のかたつむり 次の世は子を産みたしよ青芒 秋草の手を切る丈となりにけり 『朝涼』 襖絵の大海原にゐて涼し この足袋を履かさば父よお別れか 人間も雨にうるほひほととぎす 仏具屋に玩具も少しつばくらめ 『くれなゐ』 泡消えしビールの前のふたりかな 捨猫に日数の汚れ月見草 旅にゐて塩辛き肌終戦日 口中の舌のごろつと年つまる 人生百年時代、これからは老人力を頼み先に進みたいと願っています。 と中西夕紀さんは「あとがき」に。 今日は、俳人の西村麒麟さんがご来社くださった。 麒麟さんは、この度俳誌「麒麟」を創刊される。 この4月には創刊号ができあがる。 若い俳人たちもおおく参加し、目下その準備に燃えておられる。 そして、 実は目下編集中の「ふらんす堂通信175号」にて正式に発表されるのであるが、この度ご事情により「ふらんす堂通信176号」を以て選者を退かれる髙田正子さんに代わって、西村麒麟さんが選者となられる。 その打ち合わせなどもあって、ご来社くださったのだ。 投句欄の名前は、「うづら集」となる。 髙田正子さんの熱心かつ肌理細やかな御指導をひきつぐかたちで、いい選をしてくださるだろう。 また、新しい俳誌「麒麟」創刊へむけて、いろいろなヴィジョンを語ってくださった。 興味のある方や、あるいは参加されたいという方は、以下にアクセスしてください。 「いまなら創刊メンバーに間に合います」と麒麟さん。 西村麒麟さん 過ぐる1月8日は、市川グランドホテルにおいて、俳誌「沖」(能村研三主宰)の新年会が開催された。 スタッフのPさんが出席。 ご挨拶をされる能村研三主宰 新しい時代というひとつの変化を感じます。 俳句は同じ土俵ということで、同じ立場で俳句の輪を作って行けたら良いかなと思います。 そういう意味で、50周年は迎えましたが、55周年、60周年に向けて新たな出発をしたいと思います。 とご挨拶。 花束をいただいたのは、昨年ふらんす堂より,句集『家系図』を刊行された塙誠一郎さん。 「沖」の方々が大勢あつまって、新春らしい晴れやかな会であったということである。 プーケットの海岸の砂と足跡。
by fragie777
| 2023-01-10 20:44
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