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12月23日(金) 乃東生(なつかれくさしょうず) 旧暦12月1日
今日も寒い一日となった。 朝出かけようと玄関ドアーを開けたとたんあまりの寒さに、ムートンの長目のコートに着替えたのだった。 このコート、長い間たぶん15年以上タンスのコヤシになっていたのだが、おもいきってじゃんじゃん着ることにした。 そうしたらとびきりあったかく、重宝している。 良かった、古着として出してしまわなくて。。。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装帯有り 200頁 3句組 著者の名取光恵(なとり・みつえ)さんは、1947年山梨県巨摩郡生まれ、現在は北海道苫小牧市在住。1984年「濱」入会、1987年「濱」退会。1990年「アカシヤ」入会、1991年アカシヤ賞準賞受賞、1994年「百鳥」入会、2004年「百鳥」退会、2005年「いには」創刊同人。2012年第2回いには同人賞受賞、2014年第21回俳人協会俳句大賞受賞、2015年苫小牧賞受賞。現在「いには」そよご集1同人、「アカシヤ」木理集同人、俳人協会会員、北海道俳句協会会員。本句集は第1句集『水の旅』につぐ第2句集となり、村上喜代子主宰が序文を寄せている。抜粋して紹介したい。 名取さんは平成十八年、第一句集『水の旅』を上梓している。そしてこの度第二句集を上梓することとなった。その間約十五年、送られてきた俳句を拝読していると、どの句からも彼女の生きてきた確かな足どりが窺え、心に沁みこんでくる句ばかりであった。そこで三句組にしてなるべく多く句集に残そうではないかと提案、ここに五百一句を所収した第二句集『羽のかろさ』が上梓された。 名取さんは自らを病気の問屋というほどにいろいろな病に罹りその都度打ち克って今日があるという。多くの人は嘆きや苦しみを吐き出そうとするのであろうが、彼女の句は決して重くれず、からりとしていて不思議と明るい。 花の夜やかそけき音の酸素管 (急性心筋塞) 花は葉にI C U を出て十日 (クモ膜下出血) 清拭に転がされをり夏に入る (略)彼女の長い闘病生活の精神的支えはまさしく俳句を作ることにあった。句集の後書きに彼女自ら語っている「ありのままを受け入れて暮らすことで得られた静かな時間を有難く思います。言葉の持つ肯定の力が、俳句になることで更に肯定力を増し、自分を(略)解放してくれたように思います」との言葉が全てを語る。 名取光恵さんに寄り添い心をそわせて書かれた村上喜代子主宰のあたたかな序文である。 句集『羽のかろさ』は、平成一八年から令和四年七月までの五〇一句を収めた第二句集です。句集名は「遠汽笛羽のかろさの春帽子」より採りました。 『水の旅』を出して以降のほぼ一五年間には、持病の難病に加えて心筋塞、クモ膜下出血を患いましたが、二度とも命冥加を授かりました。 「あとがき」の言葉であるが、病気と向き合い戦いながらの15年間であるということにまず驚く。それにもかかわらず、まるで呼吸をするごとく自然に自在に俳句をつくられている作者であることを思う。 本句集の担当は文己さん。 「たば風、ウトナイなど大らかな北海道の暮らしぶりを感じる句が多く、楽しく拝読しました。 「病歴欄が狭すぎる」ほど数々の病を抱え、入退院をくり返しながらも前向きに病と向き合っていらっしゃるのが伝わってきました。」と文己さん。好きな句をあげてもらった。 立夏かな戦ぎゐるものみな光り 母の忌を待ちて封解く新茶かな のこりたる視野を出入りの初螢 さとしゐる母のことばのやうに雪 病み抜けし二人に新米ごはんかな 今年米ぶつきらぼうの眼が笑ふ さとしゐる母のことばのやうに雪 句集の後半におかれた一句。北海道にお住まいの坂田光恵さんにとって、雪はめずらしいものではないだろう。日々降り続く雪であり、ある意味、見飽きてしまう雪でもあるかもしれない。しかし、ひとたび俳句の目によってとらえられた雪は、なんと優しく深い意味をもって降ってくるのだろう。「さとしゐる母のことば」とは、それは叱責でもあり、励ましでもあり、慰めでもあり、癒しでもある、いつも見ている雪がそのように思えた一瞬、こうして一句になったのである。雪はひとつとして同じ雪ではあらず、しかし、それを同じものとして感受しないのはまさに詩心である。雪におおわれた北海道に住みながら、雪をこんな風にとらえることのできる作者は、きっと日々の一刻一刻、その一瞬一瞬をかけがえのないものとして生きようとしている故のことと、わたしは思ったのだった。 水温む水の流るるやうに生き 立ち止まった一句である。村上喜代子主宰も序文にとりあげておられる。「境涯を詠んでもなんとも爽やか。諦めとも違う。悟りとも違う。自分を飾ろうとも否定しようともしない。水のように、風のように、在るがままを受け入れようとしているのだ。」と。「在るがままを受け入れようとしている」という言葉に深くうなずく。しかし、季語は「水温む」である。一瞬「水」に「水」と思ったが、これは作者にとって「水温む」の実感をともなった一句なのだろうと思った。つまり春先の水のほとりに立った作者がいる。春の水をみながら、寒さで緊張していた身体もゆるみ、気持も解放されてゆく、そんなときに我が来し方をおもったのだ。病との格闘の日々であっても、どこか大きな流れに身をゆだねてまさにあるがままにやってきたということを感慨をもって一句にしたのだ。「水の流るる」の水は、「水温む」という上五の措辞によって、あたたかな水であることを感じさせるのである。 赤子泣く六月の雲押し上げて これはわたしの好きな一句である。なんと生命力にみちた力強い一句であることか。「鷹哉誕生」という前書きがあるので、あるいはお孫さんを詠んだ一句であるかもしれない。「誕生や煌めきやまぬ青田波」がその前の一句で、こちらもいい句だと思う。しかし、「六月の雲押し上げて」泣く赤子の力強さには負ける。「六月」は梅雨の季節でもある。雲もたっぷりと水気ふくんで鈍重である。そんな雲も押し上げるほどの赤子の泣き声とは、なんともあっぱれで頼もしい限りだ。 行く年やわれより吾を知る鏡 この句もおもしろい。歳晩にふっと鏡を覗き込んだ。朝晩にいつも見ている鏡だ。もうずっとそこにあってわたしが覗き込まない時だってわたしを映している鏡なのだ。鏡って不思議だ。ときどきそう思う。この句、「われ」と「吾」がいる。「吾」はわたし自身であって、わたしが気づかないわたしもいる。「われ」は、ほぼ自身が認識しているわたしだ。年の瀬もつまった忙しい時間に、作者は鏡に呼び止められたのである。そこに映ったわれに、ふと意外な発見をしたのかもしれない。鏡の不思議な力を感じているわたしにはわかる一句だが、みなさんはどうなのだろうか。。。 雀らにたたかふ翼冬深し 雀好きなので、この句もいいなあ。「羽」ではなくて「翼」としたところが雄々しい。雀ゆえに「冬深し」が効いている。 校正スタッフの幸香さんは、「〈青あらし群れて音なき魚の国〉北国の夏を生き生きと伝える句で惹かれました。」と。この句も惹かれた一句である。 句座や俳誌を通して出会えた沢山の句友と俳句。多くの俳句に出会わせて貰うことは、多くの人の人生に触れさせて貰うことでした。俳句を通して、私は生き方も感じ方も変えることが出来ました。俳縁という絆を結んで下さった多くの皆様ありがとうございます。 ありのままを受け入れて暮らすことで得られた静かな時間を有難く思います。言葉の持つ肯定の力が、俳句になることで更に肯定力を増し、自分を、世界をも肯定し解放してくれたように思います。 ふたたび「あとがき」を抜粋した。 本句集の装釘は君嶋真理子さん。 淡いむらさきをという、ご本人のご希望にそうものとなった。 遠汽笛羽のかろさの春帽子 常に前を向いて天与の命を大切に生きていこうとする気持ちが、この句集をこのように清々しいものにしているようだ。(村上喜代子・序) 句集上梓後のお気持ちをうかがった。 ・句集を編むために読み返した句は拙い句ばかりですが、一句一句から詠んだあの日あの時の風景や思いが蘇ってきて楽しかったです。俳句と向き合ってきた豊かな時間を改めて有難く思いました。 『羽のかろさ』の一冊に、私の15年の生きた足跡を残すことが出来ました。明るくて優しい色合いの装丁が嬉しいです。数々のご助言を有難うございました。 ・「いには」の村上喜代子主宰が、いつも言われる、「言葉はやさしく、思いは深く」を心に、日々のものがたりを紡いでいきたいと希っています。 『羽のかろさ』を手にとって、一冊に纏めて本当に良かったと思っています。 妻としても母としても失格の私ですが、俳句と向き合ってきた私を夫も子供もいつも応援してくれました。生きた足跡を残すことが出来ほっとしています。数々のご助言を有難うございました。 名取光恵さま 第2句集のご上梓、めでとうございます。 15年間の作品、読み応えのある一冊となりました。 どうぞ、お身体を大切にされて、更なるご健吟をお祈り申し上げております。 今日もノルマを一応果たせた。 やり残したことはあるが、まあ、どうにかなるだろう。 あっ、いけない、わすれていたことがある。 まっ、いいや、なんとかなるだろう。。(←甘い! って鏡の吾が言っております)
by fragie777
| 2022-12-23 20:21
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