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12月13日(火) 正月事始め 旧暦11月20日
神代植物園の曙杉の紅葉。 壮観である。 曙杉(あけぼのすぎ)は別名メタセコイヤ。 わたしはずっとメタセコイヤって覚えていて、最近である、曙杉という名前を知ったのは。 あけぼのすぎ。。。 いい名前だ。 速達を投函しに、地上におりた。 地面はしっとりと湿っていて、それほど寒くない。 交差点で信号待ちをしながら、この交差点でこうして信号待ちをするようになって、何年くらい経ったのかしら。なんてぼんやりと思った。 すでに、10年以上が経っていたのだった。。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装帯有り 二句組 186頁 著者の栗原修二(くりはら・しゅうじ)さんは、昭和27年(1952)千葉県生まれ、現在、東京北区在住。平成16年(2004)「鷹」入会、藤田湘子に師事。平成17年湘子死去により小川軽舟に師事。平成22年(2010)「鷹」同人、平成29年(2017)「鷹」新葉賞受賞。現在「鷹」同人、俳人協会会員。本句集は第一句集であり、序文を小川軽舟主宰、跋文を奥坂まや氏が寄せている。 まずは序文を抜粋して紹介したい。 読まれざる詩歌はやがて囀に 選ばれた詩人だけが詩歌を作るのではなく、国民の誰もがたやすく詠む。わが国の詩歌のありようを言祝ぐ句である。ごく一握りの詩歌を古典として残して、あとはすべて読まれずに忘れられる。いや、そうではない、それらは耳を澄ませば囀りとして聞こえるのだ。 タイトルともなった一句である。 奥坂まやさんの跋文からも抜粋して紹介したい。 栗原修二さんは、奥坂まやさんが指導されている「新宿の五人会」に毎月欠かさず参加されたと「あとがき」に書かれている。そういうことから、奥坂さんは、栗原修二さんという方をよく知っておられ、今日までの俳人として歩みに触れながらあたたかく懇切なる跋文を書かれている。 またもがく蠅にもどりてながれけり 蠅の句は作者の写生句の白眉と云っていい。流れに落ちてしまってさんざん踠いたが、どうにもならなくて一たびは諦めた蠅。それがまた努力を始め、踠きながら流されてゆく。このように直截簡明に写生されると、私たちの身にも起こり得る情況として、読み手と蠅を一体化する迫力がある。 読まれざる詩歌はやがて囀に 昨年の令和三年、鷹七月号でこの作品と逢った時、涙が滲んできた。涙をもたらしたのは、ひとつには、あんなにも独創性を追い求めていた作者が、このような境地に達したことへの感動。もうひとつは、俳句という詩の根源を摑まえたことへの驚き。でも落ち着いて考えてみると、独創性を真摯に追求したからこそ、さらに作者の世界に対する優しい心根が季語にも向かったからこそ、両者の相互作用が、この句をもたらしたに違いない。 句集名となったこの「囀に」の句をおふたりとも賞賛をしておられる。 いい句であると思う。 手の染みに痛みの記憶夏帽子 光るとは弾く力ぞ冬の蓮 笑はせるための笑顔や若楓 イヤリング揺らして手話の涼しさよ ワイパーの拭残す雨夏了る より広き水恋ふ水や流灯会 畳まれしセーターの胸やすらかなり 冬雲やわが胸奥にルドンの目 重心を抱きとる介護小鳥くる 本句集の担当は、Pさん。Pさんの好きな句をあげた。 光るとは弾く力ぞ冬の蓮 この句は奥坂まやさんが、跋文にとりあげておられる。〈薄氷にあをぞら痛く映りけり〉の句とともに。「枯蓮が太陽に照り映えるのは、自らの「弾く力」によってだというのにも、青空を映すことで薄氷が痛みを感じているというのにも、発見がある。枯れきった蓮、今にも溶けてしまいそうな氷に潜在する精気を抉り出している。」と。この句を読んで、わたしは作者はなぜ「枯蓮」や「枯はちす」としないで、「冬の蓮」と詠んだのだろうかとおもった。実際、枯蓮の状態とはなんとも情けない状態である。葉をうしない細い茎ばかりにとなり折れ曲がったりしてその枯れざまはすさまじい。枯れているのである。その枯蓮に冬日が差し込んできらりと光った。まさに日差しを弾いたかのごとくに。枯蓮にある力、それを作者はふと見出したのだ。しかし、下五を「枯はちす」と置いたのでは、なんとも軽い。「冬の蓮」という後のすわりのよさと響きの安定感、そして枯れという語が導き出す先取りのイメージをさけるためにも「冬」という概念的な言葉によって冬を過ごす蓮の生命力を導き出したかったのではないだろうか。「冬の蓮」という言葉が効果的な一句であると思った。 ワイパーの拭残す雨夏了る わたしもこの一句は心に残った。なぜだろう。車のワイパーが雨を拭き残すということは、べつに夏の終わりでなくでもあることである。しかし、この一句を読んだとき、夏が終わっていく感慨がとても上手く表現されていると思ったのだ。激しい雷雨のときなど、ワイパーがどんなに頑張ってもおいつかないことがある。車総体がびしょ濡れとなってしまったような、そんな感じ。ワイパーは必死で左右に首をちぎれんばかりに振っているが、それでも前が見えなくなる。この句の状態はそんなに激しいわけではないかもしれない。台風の時期などもそう。「ワイパーの拭残す雨」という状態を繰り返しながら、ああ、夏が終わっていくんだなとワイパーの作動をみつめながら一句ということなのだろうか。どうもいまいちな鑑賞かなあっておもって、Pさんに聞いてみた。するとPさんは、「そんな激しい雨じゃなくてもいいんですよ。つまり必ずといっていいほど、雨がふるたびに拭き残すところがあって、ああ、うざったいなあって思っている間に夏が終わってしまったということです」とのこと。そうか、しかし、「秋」や「冬」や「春」でもなく、やはり「夏終わる」の季語がいちばんふさわしいと思うのだけれど、それはなぜか。夏はエネルギーの放出がはげしい。夏のおわりはそんな疲れがでるころだ、ワイパーも働きづめに働き、しかも十全に作動していない、その徒労感が響き合っているのだろうか、とまで考えるのはこじつけかも。しかし、好きな句である。 畳まれしセーターの胸やすらかなり この句は軽舟主宰も奥坂まやさんもとりあげている。作者が病身の妻のために買ったセーターということ、「作者がニューヨークで奥様に買ったものだそうだが、肉体を離れて畳まれる時に寧らかというのは、病状を知っていると、ひどく切ない」と奥坂まやさん。栗原さんは闘病の奥さまを介護されておられる。〈重心を抱きとる介護小鳥くる〉という句も奥さまのことを詠んだ一句である。そういう文脈で読めば、この「やすらかなり」がとても心に響いてくる。しかし、この一句、セーターを詠んだ一句としてよくわかる一句だ。人体の入ったセーターは、その人の体型によりそいながら、身体をやさしくつつみこみあるいは心臓の鼓動に震えるときもあるかもしれない。人は、セーターを着たまま胸をわしづかみにすることもあり、セーターもなかなか落ち着いてはいられない。ひとたび人体を離れたセーターは、平らにされてきっちりと畳まれるとなんとも安らかに落ちつく。もうその人の心音を聞くこともなく、わしづかみにされることもない。セーターという季語ゆえに成立する一句だ。そしてこの句、セーターを見つめることを通して、それを着ている人へのそこはかとないいたわりの眼差しが感じられる一句だ。 裕明に霧一句露二十余句 本句集の掉尾におかれている句である。軽舟主宰、奥坂まやさんもとりあげている。軽舟さんは、「選者として大きな喜び」を見出したことと記し、奥坂さんは、「一期一会を現代的な幽玄の裡に体現している裕明の俳句宇宙を、読み手にしみじみと偲ばせてくれる。煌めく露の玉が、霧のとばりの中に次々と静かに消えてゆくようだ。」と、さすがに鑑賞が見事である。わたしは、田中裕明さんのことを詠んだ句があること、そしてこの句によってふたたび田中裕明さんを発見したこと、「田中裕明さん、愛されているんだなあ」って思ったことなどなどで嬉しかった。これも今は亡き俳人・田中裕明さんへの挨拶句である。こんな挨拶句をいれる栗原修二さんは素敵だなあ、って思ったのだ。事実をただ述べただけなのに、田中裕明への思いにあふれた一句である。 雨雲の中にゐるらし朴の花 本句集のはじめにおかれた一句である。「朴の花」という季語にふさわしい一句だと思う。高さもみえるし朴の花の堂々たる感もある。この句について、作者の栗原さんは、「あとがき」でこのように語っておられる。 句集の頭に置いた〈雨雲の中にゐるらし朴の花〉は吟行で初めて小川軽舟主宰とご一緒した時に主宰にとっていただいた句。箱根の霧の中の朴だった。朴の花は湘子前主宰の花だから、この句には二人の主宰が重なっている。一人は厳父、一人は怒ったところを見たことがないといわれる慈父。一回り近く若くとも、道を示す慈父の広さを感じる。 この句のなかに二人の師がいるというのがいい。そしてそれを最初におくということに、栗原さんの、俳句への、師への、リスペクトを思う。 句集を纏めてみて分かったのは、私の人生に寄り添ってきた物や生き物や人々が愛おしく、私の自分史に綴じこんでおこうとしていること。浅草で溺れた蠅を助けようとしたこと、ニューヨークで買った妻のセーター、釣り好きから読んだ小説家。言葉のリズムが身に沁み込んでいる夭折の詩人等々。私の生の成分となっているそれらが、蒐集され標本箱にピンで留められている。 高校の頃にボーヴォワールの「人はすべて死す」を読んで、人は生きていた証を残したくて壁に爪を立てるという考えに囚われ、モノを創る仕事を続けてきた。だが楽しい仕事で創りだしたそれらは、消えてゆく共同作品。自分の爪痕とは思えなかった。俳句に出会って、些細な個人の蒐集品にも自分らしさが滲んでいるように思えた。俳句に出会えて感謝している。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本句集の装釘は、金田遼平さん。 栗原修二さんのお知り合いのデザイナーさんである。 とても新鮮な一冊となった。 タイトルと名前には透明の箔をおしている。 たくさんの色が使ってあるのだが、派手派手しくなくちょっとクラシカルな雰囲気がある。 表紙。 緑が基調カラーである。 扉。 角背。 花布は薄茶。 スピンは、山吹色。 角背が若々しい。 どこか懐かしさを感じさせつつ爽やかな一冊となった。 この句集によって栗原さんの作品があらためて広く読まれる機会を得たことをうれしく思う。その力強い一句一句は、そう簡単に囀りにはならないことだろう。(小川軽舟・序) 本句集上梓後の思いを、伺ってみた。 (1)本が出来上がってお手元に届いたときのお気持ちはいかがでしたか? 装幀の話になりますが、思っていた以上に美しく仕上がっていて驚きました。というのも、ふらんす堂さんや装幀をお願いしたデザイナーの金田遼平さんとも、すべてメールだけのやりとりできちんとできた驚きと感謝の気持ちでした。私の事情でご無理をお願いしておきながら、若干不安もあったのですが、杞憂でした。 長くクリエイティブディレクターを仕事にしてきて、丸投げ的に全てをお任せしたのも稀な体験でしたが、意匠、紙の手触り、透明箔等々金田さんの感覚に感服でした。 和風で、静かで、しっとりと、という一般的な句集デザインの王道ではないものにしようと金田さんにお願いしたのですが、本当に良かったと思いました。ふらんす堂さんの的確で完璧なアドバイスにも感謝しています。 (2)初めての句集に籠めたお気持ちがあればお聞かせ下さい コロナで死が身近になったこともあって、終活のつもりでこれまで詠んできた句を纏めておこうという気持ちでした。俳句のあらゆる可能性を追求する、と「鷹」は掲げていて、私もいろいろな句を作ってきましたが、その中の一句でも読まれた方の印象に残ったらこの一冊の意味があったのかと思います。 (3)句集を上梓されて、今後の句作への思いなどございましたらお聞かせ下さい。 シンプルで、深さのある句が一句でもつくれたら。 第一句集の刊行、おめでとうございます。 第二句集をめざしてのご健吟をお祈りもうしあげます。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
by fragie777
| 2022-12-13 20:27
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