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11月21日(月) 旧暦10月28日
歩いて出社。 途中に咲いていた柊の花。 こんなに満開の柊の花をみたのははじめて。 うっとりと見上げる。 今日の讀賣新聞の「枝折」に増成栗人句集『草蜉蝣』 が紹介されている。 「鴻」主宰の第4句集。「私も米寿。しかしまだ自分の俳句は見えてこない」とあとがきに記す。旅や吟行の句も多い。 存問の色でありけり鷹の爪 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装帯有り 232頁 二句組 初句索引 季語索引付き 令和俳句叢書 俳人・松尾隆信(まつお・たかのぶ)(昭和21年生)氏の第9句集となる。松尾氏が主宰する俳誌「松の花」は25周年を迎えられた。本句集はその記念の会に間に合わすべく刊行された。 「あとがき」を抜粋して紹介したい。 『星々』は、私の第九句集。七十代前半の三百六十六句を収めた。(略) 本句集には、コロナ禍一年目までの作を収めている。この疫病によって行動に制約を多々受ける面はあるが、作句の基本姿勢については何ら変わったことはない。眼前の〝物の見えたるひかり〟がわが内に蓄積された古典を稲妻の如くつらぬいた際に生じる一瞬の景を十七音の言葉にとどめ、〝行きて帰る心の味はひ〟のある作品として書きつけてゆくのみである。 梅の中ひとすぢの水走りけり ワイシャツの星屑払ふ不死男の忌 夏布団葉騒の中に敷かれけり 雨もよひとも雪もよひとも針供養 黒々と太々と幹はなふぶき 氷柱折るとき星々の声のあり 急坂を海へと神輿赤とんぼ 露の世を行く耳朶となりにけり 本文中、好きな句をいくつか抄出した。 梅の中ひとすぢの水走りけり この句は松尾氏も自選句にあげている一句である。描写はきわめて細かな景をとらえたものであるけれど、早春の冷気を感じる一句だ。梅の花のなかに水が走ったという、つまり梅の花びらを水滴あるいは雨滴がすっと流れた、それを作者の目がとらえたのだ。それを「ひとすぢの水走りけり」と詠んだ。水が流れたではなく、走ったと詠むことで、冬から解放された水のいきおいが詠み手に伝わってくる。水の意志のようなものまでみえてくる。梅の花ではなく「梅の中」と詠むことで、読み手の視点を梅の中に集中させた。梅の花では景がぼんやりしてしまう。巧みな一句であるとおもった。早春に目覚めたすべての命のかがやきのさきがけとして水は走ったのだ。 ワイシャツの星屑払ふ不死男の忌 松尾氏は、秋元不死男、上田五千石の師系につらなる俳人である。「ワイシャツの星屑払ふ」という措辞が秋元不死男という俳人にとても似合っているとまず思った。どうしてだろうか。横浜生まれの秋元不死男はその風貌からしてなかなかダンディーな俳人であったのではないか。ワイシャツなども粋に着こなして。〈今日ありて銀河をくぐりわかれけり〉〈ねたきりのわがつかみたし銀河の尾〉と詠んだ秋元不死男にとって銀河は遠いはるけきものではなく、身近に添う親しいものとしてあった。そんな不死男へのオマージュとしてのワイシャツの星屑である。その星屑をはらう、というのもなかなか粋な措辞だ。不死男も払ったであろう星屑を、作者もいま払っている。不死男のことを思いながら。 氷柱折るとき星々の声のあり 句集名となった一句であり、星々は作者につねに親しい。静かな詩情にみちた一句だ。氷柱を折ったときの一瞬の緊迫感、その眼前の一点から遥か天空に心を解き放つことによって星々の声にとらえられた作者。作者は、天空の星々の声に呼応している。手の中にある氷柱の冷たい重み、目をあげれば星々の瞬き、そして耳をすませば作者の心音がきこえて来る。氷柱の冷たい感触、星々のきらめき、そして声、触覚、視覚、聴覚を総動員して作者は宇宙の一画に点在しているのだ。あたたかな息をはき命を脈動させながら。 句集名とした「星々」の語を含む作は、集中に二句あるが、眼前に迫りすぎて前のめりにならぬよう、ゆったりとひろやかな〝眼前〟を志向したいとの思いから選んだ言葉である。 ふたたび「あとがき」の言葉を紹介する。「ゆったりとひろやかな〝眼前〟を志向したい」とある。このひろやかな「眼前」を思わせる俳句が随所にある。いくつかを紹介したい。 ゆつくりと蛇のどこかの進みをる スケートの十一歳は風のやう まつしろの犬来る茅花流しかな 明日ひらく白蓮の先うすみどり ゆつくりと蛇のどこかの進みをる 松尾氏も自選にあげている句である。わたしも好きな一句だ。目の前にいる蛇を描写して一句であり、さりげない一句であるが、「どこかの進みをる」が面白いと思う。蛇のすすむさまのありようが見えてくるような。作者と蛇の距離感もいい。まさに蛇をゆったりと眺めている作者がいる。心に余裕があるから、「どこかの進みをる」というちょっととぼけた表現が生まれたのだろう。ここには作者と蛇の緊迫感はない。まさに作者が志向する「眼前」の景であると思った。〈くちびるのビールの泡の中にあり〉もユーモラスな眼前の一句である。 本句集の装釘は和兎さん。 松尾隆信氏は、1月13日生まれ、ゆえに「山羊座」である。 ということから、山羊座のイラストを古い星座の美術書より用いた。 タイトルの箔は、金と銀のあいだのプラチナ箔。 表紙のクロスは、紺。 プラチナ箔と響き合って美しい。 見返し。 扉。 栞紐は紺。 花切れは金。 スマートな一冊となった。 逝く年の富士の白さを見尽くせり 「眼前」の一句として、一番好きな句である。 新しい年をまえにして、眼前の真白なる富士を見ている作者である。 「見尽くせり」という措辞に、作者の急がず、あせらず、そして遙かを思う、そんな晴れ晴れとした心根がうかがえる。 気持のよい一句だ。 本句集を上梓されたお気持ちを伺ってみた。 〇この句集に籠めた思いがありましたら、お聞かせください。 70代前半の自身の心の姿を俳句の言葉でとどめたい、との思いで編みました。 〇句集を上梓して見えてきたことなどがありましたら、お聞かせください。 今年の終戦日は、ロシアによるウクライナ侵攻のニュースを聞きながら『星々』の「あとがき」を書き直していました。そんな中で、師・秋元不死男の〈終戦日妻子入れむと風呂洗ふ〉という句の「妻子入れむと」に込められた万感の思いに改めて気付かされました。 〇上梓後の今後の句作への思いなど、お聞かせください。 自身の70代前半を振り返ってみて、俳人としての基本的な姿勢はそれ以前と何ら変わっていないと思いました。70代後半も、いまを生きる心の姿を俳句として表現して行きたい、という思いを新たに、強く感じています。 松尾隆信氏。 俳誌「松の花」25周年、おめでとうございます。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 「ひろやかな眼前」をめざして、さらなるご健吟を心よりお祈りもうしあげます。 今日は午後よりお客さまがおふたりいらっしゃる。 俳人の朝吹英和さんと画家の勝間田弘幸さん。目下俳句と絵のコラボレーションの本『瞬・遠』を制作中である。 l今日はゲラの読み合わせ。 担当のPさんと、午後1時過ぎから、6時過ぎまでずっと。 長い時間、お疲れさまでした。 良き一冊となりますように。
by fragie777
| 2022-11-21 19:11
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Comments(2)
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