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11月11日(金) 旧暦10月18日
有無をいわせぬ赤さである。 朝、aiの「アレクサ」におはようと言ったら、「おはようございます。今日は鏡の日です」という。 11.11で左右対称で鏡文字になるからって言っていたと思う。そして、 「鏡よ鏡、世界でいちばん美しいのはだれ?」って、アレクサに聞けって言う。 さいきんはおおかたアレクサの要望は無視してきたが、(誰って答えるんだろう?)ふっと興味がわいて、聞いたところ、 「世界でいちばん美しいのは、それはあなたです」。 へっ? 「アレクサ、つまんねえー!」ってわたしは思わず叫んでしまった。そして、 「もっと気の利いたこと言えよ-!」って更に突っ込んだのだった。 聞くんじゃなかったわ。。。。 こんなとおりいっぺんのことを言われて喜ぶとおもう? アレクサ。。。 今日の毎日新聞の坪内稔典さんの「季語刻々」は、柏木博句集『迦陵頻伽』 より。 初時雨墨染といふ駅を過ぎ 柏木 博 「この駅、京都市伏見区にある」と坪内さん。「冬、駅に降り立つと時雨に遭うことが多かった。だから、冬は時雨用に折り畳み傘をいつも携えた。」と。「墨染(すみぞめ)」なんてステキな駅名だな。時雨ということばとよく合う。さすが京都である。 俳人の細谷喨々さんからお電話をいただいた。 南うみを著『石川桂郎の百句』 がとても良い出来栄えであると。 細谷喨々さんは、石川桂郎に師事をして俳句を始められた方だ。まさに直弟子である。 執筆者の南うみをさんはその師系にあるが、神蔵器を師として俳句を始められた方。 だから、孫弟子にあたる。 細谷喨々さんが、「孫弟子という距離がかえって桂郎を語るに良かったのでは、」とも。 そして、本著のなかの句に触れて、その背後にあるものをすこし語ってくださった。 たとえば、「ほと毛濃き農婦の初湯田を隔て」という句集『含羞』にある一句について、南うみをさんは、「この句を「馬醉木」の句会に出したところ、水原秋櫻子は没、波郷は採り上げたという後日談がある。俳句に対する波郷と桂郎の阿吽の呼吸というものがあったのだ。」と書いている。水原秋櫻子が取り上げないというのは、わたしにはなんとなくわかった。しかし、細谷さんは、「秋櫻子もじつはこの句を認めていたんです。ただ、自分がこの句を認めてしまうと、真似をする人間が出てきてしまうのを心配してあえて没にしたということなんですよね。桂郎から僕が聞いたところでは。」直弟子ならではのエピソードである。「ただ、南さんがこういう風に書いたのは、これはこれでいいと思います。」と。もう一句「文机や柚子を代りの鏡餅」という句についても興味ふかいことをおっしゃっておられたのだが、わたし忘れてしまった。この一句は細谷さんがとても好きな一句であるということ。桂郎について語ることをたくさん持っておられる細谷さんである。そんなお話をうかがっていたら、さらに聞きたくなって、 「細谷さん、「ふらんす堂通信」に桂郎について書いていただけますか」と思わずお願いをしてしまったのだ。 「いいですよ。この『石川桂郎の百句』にそって、この本をプロモートする意味において書きましょう」と細谷さん。 有難いことである。 わたしはさっそく南うみをさんにそのことを申し上げたのだった。 「ふらんす堂通信175」を楽しみにしていただきたい。 長くなってしまうが、新刊紹介をしたい。 第一句集シリーズⅡの一環として刊行。 著者の萩原一幹(はぎわら・いっかん)さんは、昭和20年(1945)旧満州奉天市(現 瀋陽市)生まれ。現在は東京・墨田区にお住まいだ。昭和50年(1975)独学で俳句をはじめ、昭和55年(1980)ころより「馬醉木」と「山暦」へ投句を開始。略歴によると、水原秋櫻子、杉山岳陽、水原春郎、德田千鶴子の選をうけるとある。秋櫻子時代からの俳人である。現在は、「馬醉木」の「風雪集」同人 俳人協会会員。本句集に德田千鶴子主宰が序文を寄せている。タイトルは「感謝をこめて」。 秋櫻子の死後「馬醉木」が分裂した折、同人渡辺立男氏の提案で、急遽「墨東句会」を立ち上げられ、この句会は三十数年経た現在も続いている。私はこの句会に呼ばれて初めて一幹氏に出会った。 浅草橋の会社、両国のお住まい。隅田川の川風が身に沁みた人生と思う。 大川の悠然とした流れが氏の懐の深さに通じると思う。 序文を抜粋した。句集名「下町育ち」からもわかるように、本句集は下町の風景がよく出てくる句集である。 風景と言っても外側から眺めた風景ではなく、そこで暮らしそこに馴染んだ風景である。 下町は日向大事に菫草 前から三番目におかれた一句である。人々が肩をよせあって生活しているさまが見えてくるようだ。日向が大事なのはそこで暮らす人々でもあるが、路地に咲く菫にとっても有難い日向なのだ。菫がさく路地を行き交う人々が見えてくるような一句だと思った。 本句集の担当は、Pさん。Pさんの好きな句である。 花韮の冷えに聖者の胸薄し 初明り川より低き町に住み 抜き差しの鷺の脛より春動く 鎌倉へ日を集めたる黄水仙 漁火の霧に濡れたる夜明けかな 初明り川より低き町に住み 前半にある一句。川より低いところに町があるから下町というのかしら。ってこの一句をみたとき思った。いまネット上で調べてみると「都会で土地の低いところにある町」とある。そうか、あらためて下町の謂がわかったような。そして萩庭さんがすむ一画はきっと川より低いところにあるのだろう。この句「初明り」が新年の季語。歳時記によれば、「太陽が見えなくとも、感じられる」のが「初明り」ということだ。川より低いところに住んでも元日のめでたい暁光は、まんべんなくその町に満ちているのだ。そういう町に住んでいることを客観的にうけとめ言い放っているのがいい。「初明り」がめでたい。さきほどの「日向大事に」も納得である。 また次の時雨来てゐる橋の町 下町は川がたくさんある。ゆえに橋もたくさんかかっている。時雨が降ったかとおもうと止み、またすぐに降る。そんな雨を実感している作者であるが、「橋の町」という下五で一挙に景が広がった。雨を体感している個人の像からさあーっとカメラアングルがズームアウトされて大きな川と橋がみえてくる、「橋の町」なのだから、一つだけでなく大河にはたくさんの橋がかかっている。「また次の時雨きてゐる」で時間をとらえ、「橋の町」で空間を詠む。個人の雨の体感から大きな景にふる時雨へと景色をひろげる、巧みな一句だと思った。 寒雀日向の端を啄めり これも心憎い一句だ。作者も自選であげられている一句だ。なんとしても「日向の端を啄めり」がうまいと思う。この一句によって日向には端があることをあらためて認識する。そうか、端ね。日常的にはあまり使わない。しかし、寒雀が登場すればその景色がよくみえてくる。雀の小さな嘴が日向の端をついばんでいる、そんなさまを作者もまたよく観察をしている。この「端」という語によって、寒雀がおかれた厳しい状況もみえてくる。作者にはよく見えないかも知れないがその「端」には雀にとって大事な食べ物があるのだろう。日向の端を必死でついばむ寒雀がけなげである。 寒鯉の眠りつ移る日向かな この一句にも「日向」がある。意識して選んだわけではないが、どういうわけか、「日向」の句を選んでしまう。ということは、本句集には「日向」を詠んだ句が多いということか。まさに「下町は日向大事に」という措辞がこの句集に行き渡っているのかもしれない。この「寒鯉」の句は、あまりうごくことのないけれどすこしは動く寒鯉のさまを「眠りつ移る」と巧みに表現した。「日向かな」という下五によってさらに寒鯉の日向にあるとろりとした眠けをさそうような動きが見える。この句の手柄は「眠りつ移る」で寒鯉をとらえたことであると思う。そして「日向かな」というア行の音がつづく下五によって寒鯉は明るさへとみちびかれていくのである。 曼珠沙華この世に余白ある限り 作者も自選で選んでおられるがわたしも引かれた一句である。曼珠沙華がみえてくるがそれ以外具体的なものは何もない。しかし、秋空のひろがりやその色などが背後にあることがわかる。「この世に余白ある限り」という措辞が、なんとも、である、曼珠沙華と「この世の余白」っていったいなんなのよって突っ込みをいれたくなるが、作者のいいたいことがなんとなくわかるのだ。理屈づけていえば、曼珠沙華はその花の形態より余白というか、隙間がたっぷりある風通しのいい花である。そして低く咲く花であるからおおかた見通しのよいところ川辺にそっていたりして咲く。つまりは曼珠沙華の背後には余白が十分すぎるくらいあるっていうことかな。作者にとってはその余白が大事だ。その余白があるかぎり、人間同士は……とその先は箴言めいたことばをつづけることもできる。しかし、俳句は詩である。それ以上を言ってはならない。ということで、意味深で終わらせるのである。ちょっとふざけてしまったが、作者の心情が訴えるものがあって、心に響いてくる一句だ。好きな句である。 『古壺新酒』という言葉に出逢いました。文字通り「古い壺に新しい酒を注ぐ」の意です。まさに作句に通うものを感じたのです。定まった形式の壺に、「様々に醸された味わい深さや感性に溢れた言葉を注ぐ」そのことに新鮮さを覚えたのです。この文芸様式があってこそ自己表現が出来、仲間の自然観や世界観に触れる喜びを感じています。 また、俳句は共感し認めあう仲間がいて成り立つ文芸です。仲間を大切に仲間の輪を広げ仲間と共に句境を高めてゆきたいと願っています。 必ずしも歳時記に載るような模範的な句ではなくとも、その人らしい個性を尊重したものでありたいと願っております。 長年暮し育ち、仕事を続けて来た下町への思慕から、題名は「下町育ち」といたしました。少しでも下町の雰囲気をお伝え出来たら幸せです。 未だに句境は定まらず模索状態ですが、自分のテーマを見つけ出し独自の詩境を得られれば幸いです。折につけ身ぢかにあっても、こころの旅を続けていく所存です。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本句集の装釘は和兎さん。 差し色がとてもいい色である。 日本の伝統色の路考茶(ろこうちゃ)という色。 広辞苑によると、「(歌舞伎俳優2代目瀬川路考が下女の役で着た衣裳からはやり始めたという)染色の名。黄茶色にやや赤黒みを帯びたもの。」とある。歌舞伎役者からの色とおもえば、下町育ちの萩庭一幹さんにはふさわしい色かもしれない。 辞世句は山の讃歌や雪蛍 辞世句は早い早い。コロナに感染された時の病室での句と思うが、元気になられた今、是非山への旅を続けてほしい。これからですよ、人生も俳句も。(序・德田千鶴子) 句集上梓後のお気持ちをうかがった。 (1)本が出来上がってお手元に届いたときのお気持ちはいかがでしたか? 合同句集などは経験していましたが、あらためて自分だけの句集が形になった喜びは格別なものがあります。 (2)初めての句集に籠めたお気持ちがあればお聞かせ下さい 終活の一端と思いましたが、健康が許せば次も亦との思いがあります。 (3)句集を上梓されて、今後の句作への思いなどございましたらお聞かせ下さい。 コンセプトを変えて自註文や写真を載せた句文集のような本を出してみたい気持ちがあります。 萩庭一幹氏。 萩庭一幹さま 是非、第2句集へ、あるいは句文集へとトライしてみてくださいませ。 ご健吟をお祈りもうしあげております。 すっかり遅くなってしまった。 これから歩いて帰ります。 でもいいのよ。もっか心を奪われている音楽を聴いて帰るからさ。
by fragie777
| 2022-11-11 20:19
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Comments(2)
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