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11月9日(水) 旧暦10月16日
この先が湿原となっていて、この道をあるくのは好き。 この次に来たときはきっとあざやかな冬紅葉となっているだろう。 このところ、朝出社すると机の上やその周りが整頓されている。 「わあ、きれい! ありがと。」と言ってわたしはバランスボールにのっかる。 スタッフたちは誰もわたしの言葉に反応せず、なにごともなかったように黙々と仕事をつづけている。 わたしもそれ以上はなにも言わずに仕事を開始する。 しかし、えらく気持がいい。。。 今日は森賀まりさんがご来社くださった。 田中裕明さんの散文集を刊行したいと申し上げたところ、ご快諾をいただきその資料をもってきて下さったのである。 おどろくほどきちんとこれまで書かれたものがとってあった。 整理してわかりやすいようにしてある。 総合誌や俳誌に書かれたもの活字となったもののコピー、日記のようなもの、大学ノートにきちんと書かれた覚え書きのようなもの、驚いたのは学生時代だろうか、購入した本がすべて記入されているノートがあって、一日にものすごい量の本を買っているのだ。それはもう尋常じゃないほど。さらに、田中裕明さんが受けていたという波多野爽波の添削指導原稿など、見ているだけでなんといったいいのだろうか、ワクワクしてくる。 まりさん曰く「爽波先生の添削をうけながら、もう最初のころによく知られるようになった句があるんですよね」と。 肉筆でかれたものを見ていると、そこから田中裕明さんの声が聞こえてくるようで、なつかしい。 森賀まりさん 「ここにはこんなことが書かれているんです」と言いながら、ノートひとつひとつをとりあげて、たのしそうに教えてくださる。 左側の原稿用紙に朱が入っているのが、添削のもの。 田中裕明さんは熱心に受けておられたようだ。 大学ノートに書かれた日記とも覚え書きとのものがあって、読んでいくと楽しい。 24日 たかつきで 俳句の会。 牙城さんて どんな人かな? と記されている。 島田牙城さんにこの句会ではじめてお会いしたらしい。 昭和52年(1977)4月24日のようだ。 『田中裕明全句集』の年譜によると、 四月、島田牙城に誘われ「青」入会、「青」の学生メンバーの「がきの会」に参加。波多野爽波の選をうける。 とあり、田中裕明さん、18歳のときだ。 このノートのさらに下の方には、 やっぱり今日も 心寂しいのです。 と一行のみぽつんと記されている。 (そうなのかあ、)なんてわたしはクスって心の中で笑ってしまう。 青春だなー。 こちらは、同じ頁の上の方にしるされたもの。 見始めると止まらなくなりそうである。 散文集をつくることによって、あらためて田中裕明という人に出会う、そんな気持がして心が浮き立つ。 まずは、できるだけ早くこれらに目をとおして、どういう構成にするか、おおまかのイメージをつくりあげたい。 いろいろな仕事をかかえながらのことなので、あまり焦らないで丁寧に取り組んでいきたい。 森賀まりさんにはいろいろとご相談しながら、編集作業をすすめたいと思う。 大切なことは、俳人・田中裕明の資料を残すこと。 100年先をみすえて作業をしていきたい。 さあ、帰るかと、立ち上がって自分の机をみたときの乱雑さ。 朝のきれいさは、いったいどこに行ってしまったのか。。。。
by fragie777
| 2022-11-09 18:58
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