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11月7日(月) 立冬 旧暦10月14日
臭木の実。 鮮やかなピンクの萼(?)に瑠璃色の実が映える。 臭木が川をおおうようにして、大きな臭木である。 矢川緑地にて。 今日は立冬。 今日から冬か。。。。 冬と思うとそれほど寒くはない。 歩いて出社。 ふらんす堂のドアーの前で気づいた。 マスクをしてなかった。。。 わあ。 途中でパン屋さんによって、カレーパンを一つ買った。 何もいわれなかったけれど、、いやだったろうな、周りの人。 わたし、平然としていた。 今から思うとなんというかねえ。 またやりそうでこわい。。 ![]() 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装グラシン卷 182頁 二句組 西川栄子(にしかわ・えいこ)さんの第1句集である。西川さんは、1967(昭和429年愛知県生まれ。1997(平成9)年「ボナペティ句会」に参加、句作を始める。佐久間慧子に師事。2010(平成22)年俳誌「葡萄棚」(佐久間慧子主宰)に入会。2013(平成25)年「葡萄棚」同人、2018(平成30)年「葡萄棚」特別同人。俳人協会会員。本句集に、佐久間慧子主宰が序文をよせている。 序文を抜粋して紹介したい。 貼り紙に簾売り切れ御免とぞ 月今宵夜の蒼空のぞきけり アイロンは日なたの匂ひ冬隣 家守る女となりて盆支度 のっけから栄子さんの佳吟をご披露します。栄子さんの資質のよく表れた作品です。(略) 作品から知る彼女の着実な資質、実生活に対する真摯な姿、さらに加えてよく笑う人、色白の無邪気な笑顔がなんともチャーミングなのです。 あたたかな眼差しで作者をみつめ懇切な指導されている佐久間慧子主宰である。 佐久間主宰からはときどきお電話をいただいたのだが、西川栄子さんをとても大切にされているご様子だ。 本句集の担当は文己さん。好きな句である。 抜け道の出会ひ頭の桜かな 小さき蜘蛛小さき蜘蛛の囲美しく 洗車機のトンネル抜けて小春かな 夏蝶のぐんぐん天に挑むごと いつとなく親しきものに夜の蜘蛛 侘助やいつものお茶を淹れて待つ 「日常の小さな喜びや、お勤めのことなど、共感する句がたくさんありました。」と文己さん。 「栄子さんは、ばりばりのキャリアウーマンなのよ」って佐久間慧子主宰が言っておられたのだった。 いつとなく親しきものに夜の蜘蛛 夜の蜘蛛って、不思議だ。私は小さな時に「朝蜘蛛は殺すな、夜の蜘蛛は殺せ」と言われた。誰が言ったのだろうか、よく覚えていないのだが、それの言葉が心に刷り込まれていて、「夜の蜘蛛」というか、正確にいえば夜に出会う蜘蛛のことだが、それを見つけると緊張し警戒してしまう。幼心にやきつけられた言葉って磁力をもっていて、いまもなお効力を発揮することがある。「夜の蜘蛛」ってちょっと闇の支配者みたいで、単なる虫と思えないのだ。どこかにそういう磁場があって、人の世を覗きにきたというか、覗きにきただけならいいけど、なにかの力を宿していてそれが人間に効力を発揮する、わたし想像がすぎるかしら、いや、そんなことないぞ、コワイもの、夜蜘蛛は。しかし、この一句を読んだら、ああ、そういう人もいるかもしれないって妙に納得してしまった。どうしてだろう。多分それは作者の心の余裕にかかわるものかもしれない。夜という時間の深さに心を預けている時にどこからともなくやってきた蜘蛛、仕事から解放されてゆったりとそれを見つめている作者がいる。そんな日がときどきつづいた。ああ、ひょっとして私に会いにきているのかも、静寂のなかで音をたてずに蜘蛛があらわれ消えて行く、作者はいつしかその蜘蛛に親しみを覚えるようになったのだ。〈小さき蜘蛛小さき蜘蛛の囲美しく〉という句もあるように、作者にとっては「蜘蛛」はとりわけ愛おしい存在であるのかもしれない。この一句「夜の蜘蛛」であるからこそ納得の一句だ。人の心をとらえるのは、夜の蜘蛛か、やはり魔力をもっているような気がする。 空蝉の爪に力の残りけり 作者は「空蝉」がお好きなようだ。本句集には、空蝉を詠んだ句が五句ある。そのうちの一句である。空蝉は蝉の抜け殻であるから、すでに命はない。しかし、俳人はそこに命を見いだす。空蝉はおおかた何かにしがみついた形で見つけられることがおおい。葉の表裏に、柵に、木の幹に、「あっ、空蝉」って気づいて取ろうとすると思いも掛けない抵抗にあうことがある。剥がすための力がいる。爪に全身の力を集約してしがみついているのだから。しかし、空蝉もさまざまである。すでに爪の力を失ったものもいる。〈空蝉の風に吹かれて落ちにけり〉こうなると哀れそのものだ。〈空蝉になり損ねたる骸かな〉いや、こちらの方がもっと哀れである。蝉として生きることができなかったのだから。「骸」の句の面白さは、「空蝉になり損ねたる」という表現だ。蝉として脱皮できなかったことに重点をおかず、立派に空蝉となれなかったことに読者の気持ちをむけていく。「空蝉」という季語の魅力だ。 春色をひと粒つまむ金平糖 巧みな一句と思った。「金平糖」という可愛らし和菓子でもって、春の季節を詠みこんでいる。この一句によって、「金平糖」には、春の色があるって納得してしまう。そう、あの色よ。ってわたしはピンク色のあざやかな、金平糖にはなくてはならない色をおもったのだけど、淡い黄色だっていいのかもしれない。ともかくも全体がパステル調で、なんとも春の気分に満ちている金平糖である。このお菓子をみているだけで、心浮き立つようなささやかな喜びを感じる、そんな日本の伝統的な和菓子である。そして金平糖が春を呼び込んでいるのだ。 ががんぼや大人とは心細きもの 「ががんぼ」って、蚊をおおきくしたような脚がながいやつ。こんな説明でわかります。わからない人はネット検索をしてみて。作者はこのががんぼを見つけた、そしてその時に作者のこころにおこった感慨がこの一句になったのか。「ががんぼ」って脚がすぐにとれてしまうらしい。つまりは頑丈な虫ではないのだ。作者の西川栄子さんは、会社勤めをされていて、伺ったところによると管理職におられるらしい。弱気なところは見せず、気をはって働く日々だ。そんなある日、ががんぼをみて、ふっと自身のなかにある気弱さに気づいた。「大人とは心細きもの」とは大人である自身の正直な感慨だ。ああ、こんなに心細いなんて、、、ということは、日頃やはり頑張っておられるのだろう。心細さを標榜していたら、こういう感慨は出てこない。ががんぼに気持をよせて思わず呟いてしまったのかもしれない。ああ、そのお気持ちよくわかります。わたしも常日頃から強気でやってますからね。もうむちゃくちゃに。つぶやくことのできるががんぼがいて良かったですね。この一句、共感するひと大勢いると思います。 校正スタッフのみおさんは、「〈夜の秋マンホールより水の音〉が好きです。密かな音が耳に入ってくるのは「夜の秋」ならではですね。」と。 おなじく校正スタッフの幸香さんは、「〈ががんぼや大人とは心細きもの〉に特に惹かれました。」と。あれっ、幸香さんも、そうか、ふ~む。 仕事仲間からの誘いを機に始めた俳句も、気がつけば二十年余り。嬉しい時も心細い時も、俳句は私の傍にあり、日々の暮らしを乗り切る櫂となりました。その時々の俳句は、故郷の風景や家族への思い、季節の移ろいや小さな生き物の記憶を静かに留めています。 この句集は、今まで私を支えてくれた方々への感謝を込めて編みました。 これからも俳句を人生の友として謙虚に向き合ってまいりたいと思います。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本句集の装釘は、君嶋真理子さん。 あまり派手にならず瀟洒に、というのが西川栄子さんのご希望だった、 紺を差し色に、グラシンをまいて。 タイトルを金箔に。 表紙。 見返しのあざやかな紺が効果的である。 扉。 これより願うことの大事は、上手、達者な俳人になるより、平常心、自然体で俳句という短詩型文学の虜になってほしいということです。(佐久間慧子・序文) ご上梓後のお気持ちを伺ってみた。 ◆所感 初めての句集。嬉しさの一方で、面映い思いもあります。佐久間主宰に教えられ、客観写生を心がけていますが、抑えた中にも私が表れていることに気づかされます。 気持ちが動いた時、稀に呟くように句ができることがあります。そして、少し心が落ち着きます。これからも急かず弛まず、俳句に励まされる日々を歩んでいけたらと思っています。 西川栄子さん。 お顔、いまはじめて拝見しました。 爽やかな素敵な方ですね。 甘えるも媚びるも苦手稲の花 西川栄子 納得の一句です。
by fragie777
| 2022-11-07 19:50
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