ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko

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多分うらめしさとあきらめのまじった薄ら笑いとなると思う。

11月4日(木) 一の酉  旧暦10月11日




多分うらめしさとあきらめのまじった薄ら笑いとなると思う。_f0071480_17211918.jpg

ジブリパークの紅葉。



多分うらめしさとあきらめのまじった薄ら笑いとなると思う。_f0071480_17211088.jpg

「ジブリの大倉庫」の受付をまちながら眺めた風景。



寝室の蛍光灯が切れた。
天井にはりついている丸型のものなので、外すのが一苦労。
助っ人の手をかりながら、ようよう外したのだが、またふたたびつけるのか、ヤレヤレである。
さっき島忠に行って換えの蛍光灯を手にしたのだが、ふと後ろをみたところ、
「蛍光灯をLEDに変えましょう。そうすれば電球をもう換える手間いらず」の文字が目にとまった。
よくよく目にすれば、LEDにすれば半永久的に換える必要がないらしい、ヨシこれに決めたと少々お高いセットを購入。
それをかかえながら、寿命がないってどういうことなんだろう、わたしには寿命があるのに、これからこんな風に寿命がないものがふえていく未来となっていくのだろうか、なんて考えたらそれもさびしいような複雑な気持ちがしてきたのだけれど、まあ、知っちゃこっちゃないのかもしれないわねと考えることはやめたわ。






多分うらめしさとあきらめのまじった薄ら笑いとなると思う。_f0071480_17244998.jpg
今日出来上がってきた南うみを著『石川桂郎の百句』を紹介したい。
讀賣文学賞を受賞した『俳人風狂列伝』によって文筆家としての石川桂郎(1909~1975)はよく知られ、またこの著書は文庫本にもなっていてわたしたちは読むことができる。しかし、俳人としての石川桂郎の俳句を読もうとなるとなかなか難しいというのが今までの状況だった。
この度のこの『石川桂郎の百句』の刊行によって、代表句をふくむ百句を読むことが可能となったことがうれしい。また、その鑑賞によって桂郎の交友関係や時代背景なども見えてきて、桂郎俳句の入門書ともなった。
執筆者の南うみをさんの尽力によるものである。
内容をすこしではあるが紹介をしたい。


 師の声のある日の声を冬の鵙    『含羞』(昭和二十二年)

「横光利一逝去」の前書がある。桂郎は俳句から出発したが、小説家でもあった石塚友二の勧めで、昭和十四年の「鶴」に、随筆の「入学試験」や「蝶」を発表する。これが「文藝春秋」編集長の永井龍男の目に留まり、さらに「文藝春秋」にも随筆を載せた。散文に目覚めた桂郎は、横光利一の門を叩き小説を学ぶことになる。利一は厳しく、ひとかどの作家になりたければ俳句を捨てよ
とも言った。桂郎は俳句に軸足を置いているが、散文に傾いていたのも事実であった。今、桂郎の耳に在りし日の利一の𠮟咤の声が聞こえてくる。



 筆休やすめ花葛を見て足らひけり  『高蘆』(昭和四十四年)

さて「箸休」とは言うが「筆休」とはいかなるものだろう。「箸休」は、食事の途中に、気分転換になるよう作られたおかずやつまみのことである。これにちなんで原稿執筆や編集に疲れた眼を遊ばせる(気分転換)のを桂郎は「筆休」とした。七畳小屋を取り巻く竹に、葛が絡んでいる。ちょうど花が咲き始めた。前にも書いたが桂郎は小屋の周りや村の自然が好きなのである。繁茂する葛に香りのよい花が咲いた。その花と香りにしばし、疲れた眼と心を癒すのである。


 三寒の四温を待てる机かな    『高蘆』(昭和四十五年)


桂郎はこの年の一月半ばより風邪をこじらせて、肺炎になり、二月初めまで半月ほど寝込んでいる。「三寒の四温を待てる」には、肺炎の症状が峠を越え、快癒を待ち望んでいる心情が読みとれる。また「四温を待てる机かな」からは、執筆や編集の仕事机を、自らの分身として受け止めていることもわかる。原稿が山積みの机もまた春を待っているのである。桂郎の常住坐臥の心が率直に表れた句と言えよう。


 粕汁にあたたまりゆく命あり    『四温』(昭和四十九年)

「二十四日、院内教会のクリスマスイブ礼拝に加はりし時、永井先生お見舞に来て下さりしをベッドに戻りて知る。銀座近くの心当りに電話、「宮うち」に居られるとわかりて車をとばす」と長い前書がある。また永井龍男も「風土」石川桂郎追悼号で、「桂郎を見舞いに行ったが会えず、帰りに行きつけの居酒屋で、酒を酌んでいたら桂郎が駆けつけて来た」と書いている。桂郎は龍男から粕汁を頂き、そのぬくもりに師のあたたかさを、また今生きているわが命のぬくもりを、ひしと感じたのである。

「手前の面(つら)のある句をつくれ」は桂郎のことばとしてよく知られている。
この言葉について、南うみをさんは巻末の解説でこう書く。「私や私の身辺を詠んだから俳句になるものではない。誰のものでもない個性の滲み出る俳句を作れ」と桂郎は言っていると。
執筆者の南うみをさんは、解説で桂郎のそれぞれの句集をとりあげながら、句集がうまれた時代背景をふまえつつ作品にふれ、句の背後にある生活や人間関係などを語っていく。貧しかったけれど桂郎を支える豊かな人間交流があり、昭和という時代の活気を感じさせる。
「解説」は是非に読んで欲しいものだ。
最後の部分のみ紹介をしておきたい。

 虫のこゑいまなに欲しと言はるれば     S・五十年
 甘からむ露を分かてよ草の虫       S・五十年

「甘からむ」の句は、水さえも喉を通らなくなった桂郎が虫たちに露を切望しているもので、絶句と言ってよい。桂郎は私や身辺、また人間模様を句にしてきたが、本当は鶴川村や七畳小屋の周りの移り行く自然が好きだった。
桂郎は昭和五十年十一月六日に逝った。死のぎりぎりまで、「手前の面のある俳句」を貫いた俳句人生であった。


 あまり寒く笑へば妻もわらふなり

これは『含羞』に収録の一句である。「どん底の暮らし」のなかでの笑いと南さんは解説しておられる、そして笑いから妻の信頼が伝わってくると鑑賞されているが、わたし、この「笑い」がかなり怖いのである。しかも好きな一句である。このような状況だったら、わたしも笑うかもしれないが、、、多分うらめしさとあきらめのまじった薄ら笑いとなると思う。









多分うらめしさとあきらめのまじった薄ら笑いとなると思う。_f0071480_18515585.jpg

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by fragie777 | 2022-11-04 19:00 | Comments(0)


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