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10月31日(月) ハロウィン 旧暦10月7日
秋薔薇(あきそうび) 神代植物園のバラ園にて。 10月最後の日となった。 明日からはもう11月、するとすぐに12月となってしまう。 明日からは左足から歩き出すことにしよう。 今日のゴミ回収に、古着をだすことにした。 古着といってもまだまだ着られるものばかり、しかし、とっておいても着ないのだ、これが。 さんざん迷って出すことにした。 ゴミではけっしてなくて、誰かに着て貰えるものだって思うとすこし気分がかるくなり、洋服たちが可愛そうでなくなった。 10月27日づけ朝日新聞の「東海の文芸」のコーナーで、歌人の荻原裕幸さんが、山崎るり子詩集『猫まち』をとりあげて評している。タイトルは「日々の猫の詩『他者』の存在を慈しむ」。抜粋して紹介したい。 (略)はじめは、猫その他の動物との暮らした人だけに見えるような情景、だと思って読んでいたけれど、猫ならぬ人間と一緒に暮らしていたって見える情景である。著者はつまり、猫を通して「他者」の存在を考えたり慈しんだりしている。 猫はタオルです 涙が拭けます 猫は日向です 凝(こ)った体をじんわりさせます 猫は子守唄です 猫の喉の揺れと合わせていれば 夜は味方です 猫は湯たんぽではありません 足の先でつつかないで 題は「猫は」。猫にすっかり依存してしまう人間。猫をどこまでも愛してしまう人間。猫の姿を通して描かれる人間の姿が、実に美しく感じられる詩集である。 「猫の姿を通して描かれる人間の姿が、実に美しく感じられる詩集」とは、本当にそうであると思います。この詩集を言い止めていると思います。とてもいい詩集です。 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装グラシン卷帯有り 186ページ 二句組 著者の徳永真弓(とくなが・まゆみ)さんの、第1句集『神楽岡』に次ぐ第2句集である。徳永真弓さんは、1952年愛媛県松山市生まれ、現在は京都市在住、俳誌「扉」を経て、現在は「百鳥」(大串章主宰)の同人である。2013年第20回鳳声賞(「百鳥」同人賞)を受賞されている。俳人協会会員。 『日降坂(ひふりざか)』は、『神楽岡』に続く私の第二句集です。五十代後半から、六十代の句をまとめました。日降坂は神楽岡(京都市の吉田山の別称・我が家の裏山)の坂の一つで、その名は、「神楽岡が天から降って出来たとする古伝から」来ています(鈴鹿隆男編著『吉田探訪誌』二〇〇〇年)。坂の途中には「枝うつりほがらに呼ばふ小鳥らと詣でに来つれ神います丘」(平井乙麿)、「神丘に啼く鶯の﨟たけて」(鈴鹿野風呂)などの碑があります。尉鶲の群れに出会ったり、鶯の声を聞いたりする静かな坂で、お天道様の日を浴びていると朗らかな気持になります。 「あとがき」よりまず紹介した。さすが京都にお住まいだけあって、古い歴史を感じさせる「日降坂」である。 本句集の担当は、文己さん。好きな句をあげてもらった。 藤原宮跡ひろびろと露を踏み 古き手帳旧き友の名小鳥来る 冬木の芽小さな影をもつほどに 背泳ぎの指やはらかきものに触れ 切株に人待つやうに冬帽子 風薫る森に描く木を探しをり 白梅や玄関広く下駄ひとつ 「足元の落葉、冬木の芽、飴玉、絵本の動物たち…小さなものに向けられる目線が優しく温かでした。」と文己さん。 藤原宮跡ひろびろと露を踏み 「藤原宮跡」とはかつてあった藤原京の跡地のことで奈良県橿原市にある。わたしは行ったことがないけれど。この句は「露を踏み」の表現がおもしろい。「草露を踏む」だったらよりわかりやすい。「露を踏む」としてもそれは多分草についている露のことなんだろうと思うが、そのへんをいっさい省略してダイレクトに「露を踏み」と詠んだ。されば、眺望のきくひろびろとした大地の広がりがみえ、しかも露の玉が大きく作者にはっきりと見てとれる。その露を踏んでいるのである。露のきらめきを見ながら踏んでいく。かつて都のあった大地への足裏の感触を確かめながら。目の前のはかなき露の玉を通して栄枯盛衰の思いをはるかにしているのかもしれない。 礼服の靴で落葉を裏返す なんとなく所在なげな人間の風景がみえてきて面白い。「礼服」とあるから、結婚式などに出席してのその合間に場面だったりするのだろう。わたしは礼服をきた男性をおもった。磨き上げた黒の革靴がみえ、その靴が落葉を裏返しているのだ。軽く蹴っているのかもしれない。ちょっと時間をもてあましている人間が、することもなく足元の落ち葉を裏返しているその一瞬を詠んだもの。黒の革の硬質感、そして落ち葉の赤や黄色の暖色系のあざやかさと軽さ、色の対比、質感の対比、礼服という改まった状況、落葉というすでにラフ(?)な状況、それも人生の一場面であると思うとなんだか面白いのである。一句の面白さは「礼服」ただただ礼服にあると思う。 金木犀ふり向きし時ふり向かれ 作者が自選十句のなかに選んでいる一句である。わたしも立ち止まった一句だ。これも情景がよく見えてくる。金木犀がよく香っている道だ。「ああ、いい匂い」なんて思いながら金木犀の見事な咲き振りをみつつ歩いている。金木犀ってまずその匂いがやってきて、それから花の所在を捜すっていうことが多い。そんな感じで歩いて行き、人と擦れ違った。相手もきっと花の香にとらわれていたのだろう。そして、お互い見知った人であることを擦れ違ったあとに気づいた。あらって振り向いたその瞬間、相手も、あらって。金木犀の花の下ではよくあること。中七下五の措辞がその後の二人の生き生きした会話を語っている。 授業中らしはくれんの浮かぶ空 著者の徳永真弓さんは、教職についておられたのだろうか。句集の前のほうに〈秋桜教室の子のよそ見して〉という句もある。この句も好き。しかし、教職におられたかどうかは、どちらでもいいことかもしれない。「はくれん」の句は、外側から学校のの教室を眺めたのだろう。たくさんの子どもがいる教室も授業中はしずかだ。窓を開けて騒ぐ子も、廊下をはしる子もいない。その靜かな窓ガラスがたくさんある校舎の前に白木蓮が花を咲かせている。「浮かぶ空」がいかにもはくれんらしい。「咲く」ではなく「浮かぶ」としたことによって、ひろやかな空間と青い空がみえ、そこにはくれんの白さが際だった。「授業中らし」という上五の措辞が、巧みだ。生徒たちの命のひしめきの気配、しかし、それとは関係なくのどかにはくれんは真白なる花を咲かせている。 校正スタッフのみおさんは、「〈走り来る子らぶらんこを譲らねば〉がとても好きです。大人だって、子供がいないときはぶらんこで遊んでいいんで すよね。」 おなじく校正スタッフの幸香さんは、「〈蝸牛隣のかたつむり遠く〉が特に好きな句です。」面白い一句だとわたしも思う。 子育て中、在職中は、自分の身の回りの自然に細やかな目が向きませんでした。近年は花や鳥の名前を調べてみることも多く、この地で、こんなに多くの草花や虫、鳥、小動物と共に生きているのだと、改めて驚いています。 ふたたび「あとがき」を紹介した。 本句集の装釘は、君嶋真理子さん。 グリーンを基調にタイトルは金箔。 扉。 風薫る森に描く木を探しをり この俳句の世界にふさわしい爽やかで瀟洒な一冊となった。 句集上梓の後のお気持ちをうかがってみた。 第一句集は大串章主宰に選をして頂き、すっきりとまとまりましたが、今回の第二句集は自選です。後半、「あれ、あれ」と思うほど、幼児や子供を詠んだ句が多く、選に悩みました。三人の孫が生まれ、孫や同じ年頃の幼児に自然と目が向くようになったためです。多くは入集できませんでしたが、この期間に幼子の句をたくさん詠めたことは幸せでした。 私は、出会って心が動いたものを、素描するという句の詠み方が好きです。内へ向かいがちな性分なので、なるべくゆったりと、外に体と心を開くようにして詠んできました。 これからの自分の俳句について考えていた時、「表象への祈りII 吉仲正直展」(何必館)を見ました。線描に特徴のある抽象画です。吉仲は、「正規に純粋に視る」デッサン(1992年のインタビュー)を生涯にわたり大切にしたそうです。デッサンを究めて作品(抽象画)へ至るのは遠い道ですが、画の中の描線の明暗やリズム、寂寞や烈しさ、そのダイナミズムに感銘しました。感銘したというのは、ひとつのヒントを受け取ったということなのかもしれません。 自分ができるところまで、こつこつと句を詠んでいきたいと思います 徳永真弓さん。 刊行日の11月7日は徳永様のお誕生日です。 装丁は「鳥が樹の中にかくれていて森の雰囲気があって、とても気に入りました」とおっしゃってくださいました。 と担当の文己さん。 上梓後のお気持ちをうかがって、第3句集もまた楽しみになりました。 さらなるご健吟をお祈りもうしあげます。 神代植物園の薔薇園。 わたしはあまり足を踏み入れないところ。
by fragie777
| 2022-10-31 20:27
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