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10月26日(水) 旧暦10月2日
名栗に咲いていた秋明菊。 山里に咲く秋明菊はどことなく放埒な感じでいい。 今日は車を12ヶ月点検に出す。 大切に乗っているので、大丈夫だと思うが、お金がかかったらイヤだなと思っていた。 いま、終わってもどってきた。 すべて規定範囲で、代金は発生しなかったということ。 良かった!! 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装帯有り 218頁 二句組 著者の滝澤一美(たきざわ・かずみ)さんは、昭和20年(1945)群馬県うまれ、現在はさいたま市にお住まいである。平成9年(1997)の「相思樹」入会、平成11年(1999)「朝日カルチャー教室」にて俳人の鈴木貞雄に学ぶ。平成12年(2000)「若葉」(鈴木貞雄主宰)に入会、平成14年(2002)「瑠璃の会」入会、平成17年「相思樹」を退会する。「若葉」同人、俳人協会会員。本句集は、平成11年(1999)より令和3年(2021)までの作品を収録した第1句集であり、「若葉」の鈴木貞雄主宰が序文を寄せている。抜粋して紹介をしたい。 句集『羽化』は、花鳥諷詠の本道をゆく一集である。それは、まず、写生の基本が確りされていることだ。 雨脚の路上に立ちし驟雨かな 火の水面毀ち荒鵜の浮び出づ 花鳥諷詠のもう一つの基本である季語も、よく吟味され、生かされている。 行暮れて花柊の香と覚ゆ 巫女渡る丹の橋美しき水の秋 作者の俳句への情熱は、四季の行事への関心のほかに、さまざまな表現上の工夫となって現れている。 寒鯉の影のずしりと横たはる ほうたるの光り濡れゐる青さかな などなど、丁寧にたくさんの句をあげながら、作者の俳句の鑑賞をされている鈴木貞雄主宰である。 写生句であるということは、その始めの頁をひらいただけでわかる。 俳句に出合って二十余年、瞬く間に過ぎてしまいましたが、コロナ禍にあって、溜まった句を整理しつつ、一冊に纏められたらと考えるようになりました。ここに至るまでは、遅疑逡巡の日々でした。主人にも相談したところ、今年は「喜寿」になるのだから、この機会に、句集を出すのも良いのではと、背中を押され、漸く思い切ることが出来ました。 「あとがき」に著者の滝澤一美さんは、句集出版の決意をこのように語る。 担当は文己さん。文己さんの好きな句である。 鋤きたての土を咥へてつばくらめ 水打つて灯の色走る老舗かな 花街に抜け道多し鶏頭花 冬ざれや絵皿に残る茜色 雨あとの神苑に立つ秋気かな 古稀過ぎの一日ひと日や竜の玉 鋤きたての土を咥へてつばくらめ つばめは泥が好きである。細見綾子の有名句がすぐに頭に浮かんでくるが、この一句は、まさに写生の一句だ。見たとおりを即座に一句にしたのだろうか。泥と言ったって何でもいいわけじゃない。かたい泥ではなく、「鋤たて」のものがいい。燕にだって土へのこだわりが大いにあるのだ。いつだったかしら、夏の木曽路を友人たちと歩いていたとき、燕がたくさん飛んでいた。そこには水気をたっぷりふくんでぬらぬらと輝く土があっちこっちとあった。泥で巣作りをするのだ。泥ってあるいは水分をたっぷり含んだ土って、生臭い匂いがする。巣作り最中の燕の巣も生臭い匂いを放つ。この句「鋤きたて」が眼目だ。鋤立ての土であることによって土の匂いや日の光や燕の動勢などが生き生きと見えてくる。人の生業との関係も。写生の背後にあるそれぞれの生のありよう。そんなものまでが想像される一句だ。 雨脚の路上に立ちし驟雨かな わたしはこの句が面白いと思った。鈴木主宰も序文であげているが、まさに写生の一句だ。驟雨が季語。夕立のことだ。「雨脚の路上に立ちし」という措辞の大胆さにつきると思う。雨が降るものではなく、立ち上がるものとして捉えた。しかも巧みなのは、「立ちし」と「シ音」で切って、ふたたび「シ音」で始めることによってそこに緊張感がもたらされる。「雨脚」もそうであるがイ行の音が効果的だ。そして最後に切れ地の「かな」を置くことで、句に安定感が生まれた。これが「驟雨」でなくて、「夕立」であったら、まったりした表現となってしまって激しくするどく降りそそぐ雨がみえてこない。「驟雨」であるからこその雨が立ち上がる緊迫感がある。 紙風船折皺深く膨れくる この句は作者が自選十句にいれている句であり、序文にもとりあげられている。やはり写生の一句である。紙風船をふくらましているその一瞬を描写した一句だ。なんとしても「折皺深く」が手柄だと思う。膨らます前の紙風船がきっちりと畳まれていたことがわかり、人の息で折皺がのびて膨らんでくるわけだけれど、わたしが思うにこの「深く」がすごいと思う。膨らんでくるわけだから、深くではなくて「伸びて」とかした方が物理的であるような気がする。でも「伸びて」では詩にならない。この「深く」によって一句に詩の魂がこめられた。「深く」を見いだした著者の表現力の手柄であると思う。 梅と雪ふれあふあたり紅ほのか この句は、句集の最初のほうにある一句だ。どうってことない一句だけれど、わたしは好き。「紅ほのか」で水分をたっぷりふくんだ春の雪を思う。その雪がもっている透明感が紅梅の色をかすかに映しだしているのか。しかし、白の雪と紅の梅とのすてきな交感があって、「紅ほのか」という措辞が早春の気分をよびおこす。「ふれあふあたり」というぼかしもどこか言い切らない余韻があって、上質な日本画を見ているような気がしてくる。いい句だな。。 校正スタッフの幸香さんは、〈落蟬の鳴き尽したる腹白し〉が好きであると。「『腹白し』にあわれさと生ききった満足感が表れているようで惹かれた句です。」 句集名「羽化」は、ベランダの鉢に種から育てた柚子の若葉を丸坊主に喰い尽し、近所で柑橘類の葉を分けて貰いつつ、成長した青虫が愛おしく、蛹から羽化をする過程をつぶさに観察して、朝明の空へ放った「ナミアゲハ」の命の営みへの感動から句集名としました。 ふたたび「あとがき」を紹介した。 本句集の装釘は、君嶋真理子さん。 上品な美しい一冊となった。 蝶の文様を背後に題名は金箔押し。 表紙のクロスは淡いグレーがかったむらさき。 カバーとよく響きあっている。 扉。 花布は金。 栞紐はブルー 丸背が美しい。 出揃ひし足の屈伸蛙の子 骨格の確りした句が多いが、その中に、いたいけなものに寄せる慈愛に満ちた句が混っていて、心惹かれる。(序・鈴木貞雄) 句集原稿をおまとめになられている間に長く続けられていた「若葉」が終刊になることに。 最終号に合わせるよう、なるべく急ぎということで超特急でお進めしました。 装丁はシンプルにとこだわられました。 と、担当の文己さん。 俳誌「若葉」が終刊になるとは、残念である。 わたしたちも驚いている。 上梓後のお気持ちをうかがってみた。 若葉」に入会して20年が過ぎ、コロナ禍の引籠り中にと思い、俳句の整理を始めるうちに、句集が出せたらと思い立ち、選句を始めたが、これが至難の業、幾度も捨てては、拾い、自選に半年ほど費やしました。その後、若葉主宰に序文のお願いをいたしました。 気持が落着いた頃、令和4年4月号の若葉誌に、令和4年度末を以って「若葉終刊」の社告が掲載された。青天の霹靂とはこのことかと、途方にくれましたが、漕ぎだした船を引き返す訳にもゆかず、若葉終刊前に出来上がって欲しいと、ふらんす堂さんにお願いをしました。漸く句集を手にし、表紙をしみじみと眺めた時は、感慨無量で張りつめていた綱が一気に弛んだようでした。 これから、じっくりと句集を手に取り、秋の夜長を楽しみたい。 句集をまとめ終わって、感じた事は、虫や小動物は余り好きでなかったはずなのに、意外と関心を持って詠んでいたこと。句作を始めた頃は、大雑把に捉えがちだった句材が徐々に細かなことに目が向き、句作に引き込まれていたことに気づきました。 また、句作に没頭しているうちに、些事を忘れ、無我の時間が愉しいと感じることが多くなりました。 今後、新たな投句先を見つけ、これからの老に向かって、眼に触れた、小さな物や命を淡々と詠み、心豊かな時間を紡いで行けたらと願っています。 どうにかおまにあわせできて、ホッとしております。 第1句集の上梓を機に、さらにさらに俳句をとおして心豊かな日々をお過ごしくださいませ。 ふたたびのご縁を期しつつ。。。
by fragie777
| 2022-10-26 19:37
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