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10月23日(日) 霜降 旧暦9月28日
新宿のデパートにのディスプレイ。 あっちこっちに黄色く塗られた自転車があった。 昨日は、「鹿狩り」の銃声にドキドキしながら山野を歩き回っていたのだが、今日は新宿まで用があって出向く。 といっても新宿は、馴染みの街で、わたしには故郷のように思えるところだ。 東京の街なかではどこよりも好きな都会かもしれない。 雑駁さとエネルギー、それが魅力だ。 田舎暮しと都会暮し、どっちが好き、って聞かれたら、断然、都会暮しである。 昨日も、わたしは山歩きをしながら、石田郷子さんにむかって、 「わたしってさ、シティR女なのよ」って自己アピールをしていたのだった。 今日は歩行者天国である。 新宿駅通路。 秋の紅葉をイメージしている。 3時間ほどわたしは新宿をうろうろとしていた。 新聞記事をひとつ紹介したい。 昨日の22日付けの毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」に、熊谷蓬山句集『数珠子』より一句紹介されている。 青蜜柑丸刈りの子が見当たらぬ 熊谷蓬山 「今や丸刈りの子」は全国的に希少、ほとんど見当たらない。」と坪内さん。ほんとうに丸刈りの子っていないな。 昔は、女の子も丈夫に育つようにって、3歳までは丸刈りにすることもあったようだ。わたしの従妹たちは、何人かそうやって育てられた。一度丸刈りにすると丈夫な髪の毛が生えてくる、なんても言われていた。わたしの息子は、悪さがすぎるので小学生の時に一度丸刈りにしたことがある。息子は「マルコメ、マルコメ」って言って喜んでいたので、なんの効力もなかったが。また、丸刈りがよく似合って最高に可愛かったのである。親ばかよね。 頭の容のいい人は、大人になってからでも男女を問わず丸刈りにしてもカッコいいって思う。 わたしも首が長く、容姿が整っていたら、丸刈りに挑戦したかもしれない。 残念である。 今日は、田中裕明・森賀まり共著『癒しの一句』より、10月20日付けのものを紹介したい。田中裕明さんの鑑賞によるものである。 駅弁を食ひたくなりぬ秋の暮 高浜年尾 高浜年尾は、明治33年(1900)東京神田猿楽町に高浜虚子の長男として生れた。現在の「ホトトギス」の主宰者稲畑汀子の父である。 掲出句は『年尾全句集』(昭和55年刊)所収。この句集の終わりに「病床百吟」として収められている句の内の一句。 「駅弁を食ひたくなりぬ」という措辞がなんとも大らかで、ユーモラスである。ごくあたりまえの、ぶっきらぼうな表現のようにも見えるが、じつはなまなかのことでは言えないのだ。高浜年尾でなければ、と言いたいくらいである。病室の中ので作だと知ると、また違った感興がわく。駅弁などそううまいものではない。食味を欲するのではなく、駅弁というものの持っている気楽な旅行の雰囲気をなつかしがっているのだ。句集では掲出句に続いて、「看護妻風邪に倒れて気の毒な」という句もある。これも困難な状況の中で、人間のやさしい気持ちが現れている。(秋の暮・秋) 最近駅弁って食べてないなあ。。。 わたしも食いたくなった。。。 今日はこれから出かけますので、早目のアップを。
by fragie777
| 2022-10-23 17:33
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